第17話 墓まで持っていった
一体それはどういう意味なの?
わたくしはすぐにでもアリスに、そう問いかけたい衝動に駆られた。
けれど、アリスはわたくしが口を開く前に、
「すべては、ジュリアンに会って確かめていただいた方がよろしいですわ」
そう言って微笑んだ。
そこには、かつて学園で彼女が見せていた弱さのようなものは全くなく、修羅場を潜り抜けた騎士のような、ある種の凄味のようなものが感じられた。
わたくしの知らない年月が、そこにはある。
そう思わせるような何かが、彼女の表情の中に宿っていたのだ。
とはいえ。
「……エフェス子爵家にはわたくし、入れてもらえなかったわ。アリスが行っても、入れるかどうか……」
なにせ、アリスはすでに死んだ人間である。
その容姿を見れば、エフェス子爵家の人間であれば彼女が彼女であると一目瞭然なのかもしれないけれど、一度死に、荼毘に付されたその場を目撃した人間からすれば、ものすごくよく似た別人が【アリス】を騙ってやってきたようにしか思えないだろう。
まさか不死者になって尋ねてきた、とは思わないはずだ。
信じたら信じたで恐ろしくなってくるだろうが……。
そう思っての質問だったが、アリスは、それを聞いてふっと笑い、
「まぁ、お姉さま。見ててくださいまし」
そう言って胸を張ったのだった。
◇◆◇◆◇
陽が隠れてしばらく経った。
あたりには闇の帳が降りて、静かに魔導灯が街中を等間隔に照らすのみである。
通りには女性や子供の影はなく、歩いているのは仕事帰りの労働者や兵士たちばかりだ。
たまに怪しげな、深いフードを被った、こそこそとした者たちもいて、そういうものは大半が脛に傷のあるものばかり。
そして、わたくしとアリス、それにルサルカは、まさにそんな怪しい者、と指さされるだろう格好をして、通りを歩いていた。
その向かう方向はもちろん、エフェス子爵の屋敷だ。
日があるころに訪ねたばかりで、今日だけで都合二回も訪問することになる。
ただ、それがわたくしだとは、今のわたくしたちの格好を見て判別するのは難しいだろう。
最初の訪問は、まさにちょっとした令嬢がお忍びで訪ねてきたような仕立ての悪くない服装で来たが、今のわたくしたちは見るからに裏街道を歩いているようなものにしか見えないのだ。
道中、官憲に捕えられ、その出身地と目的を仔細に尋ねられても文句は言えないくらいである。
けれど、実際にそんな事態にならないのは、ルサルカがかけた認識阻害の魔術が大きな効力を発揮しているためだった。
身に付けているローブは、その魔術の効果の増進と、認識阻害にかからない者に対して姿を記憶されないためのものである。
後者に関しては滅多にいるものではないが、そう言った幻術系魔術に一切かからない特殊な体質の人間も存在しているので、一応の用心のため、ということだった。
対策も一応あるとのことだったが、範囲を絞れないと難しいらしく、街中を歩く際にその対策を講じるのは簡単ではないらしい。
簡単ではないだけで無理と言わない辺り、恐ろしくなってくる。
魔術に関する特殊体質に対してはいかなる対策も不可能というのが世の中の常識のはずだが、ルサルカたちにはそうではないらしいからだ。
とはいえ、そういった対策をしない以上は、ただ街中を歩いたりするだけならルサルカたちが与えてくれた変装用の魔道具だけでもいい、ということになるかもしれないが、こんな時間にエフェス子爵という貴族の屋敷を訪ねるという目的のことを考えると、やはりそれだけでは問題だった。
後々、どこで怪しまれるのかわかったものではなく、そもそもそんな人物がエフェス子爵家を訪ねた、という事実自体を記憶させない方がよい、ということになったのだ。
特殊体質の者が運悪くその辺にいても、怪しげな者がやってきていた、という証言で終わるわけである。
色々と後ろ暗いところがあるらしいエフェス家には似合いの噂話で、おそらくはそれほど重要視されない証言になるだろう。
実際、認識阻害魔術の効果はどうかと言えば、通りの人々は誰もわたくしたちに目を留めることは無い。
と言っても、存在自体を認識していない、というわけではなく、わたくしたちにぶつかりそうになると、すい、と避けたりするなどの反応はある。
にもかかわらず、おそらく彼らはわたくしたちを認識することが出来ていないのだ。
そしてルサルカの説明によれば、のちのち、思い出そうとしても思い出せないらしい。
恐ろしい魔術であるというほかなかった。
これにはアリスも驚いていて、
「……このような魔術が存在していたとは思いませんでしたわ。学園で学んだこともありませんし……」
わたくしもアリスも、魔術学園で魔術を学んだ身である。
両者ともそれなりに成績はよく、努力も惜しまなかった、と思う。
当時、授業に関わる魔術についてはかなり調べたものだし、専門の研究者くらいしか使わない、使えないような魔術についても存在くらいは知っておこうと勉強したことも何度もある。
そんなわたくしたちが全く聞いたこともなく、また想像したこともない魔術、というのは中々ない。
それなのに、ルサルカたちはそのようなものをこうしてぽんぽんと、何でもないような顔で使うのだ。
驚くなというのが無理な話だった。
しかし、これについてはわたくしはすでに諦めがついている。
だから、困惑しきりのアリスに、
「ルサルカたちは、下手をすると学園それ自体よりも長い歴史を、その身で越えてきているから……。これくらいで驚いていては、心臓がいくつあっても足りないわ」
そう言った。
これにルサルカは、
「あるじさま。そんな、淑女に年齢のことをおっしゃるのはおやめください。これでもまだ、若いつもりです」
本気なのか冗談なのか、そんなことを言う。
恐ろしいのは、そう言った彼女の顔に浮かんでいる表情はまさに自分の言ったとおり、若い女性のものとしか思えないような、困惑と羞恥が覗く可愛らしいものであるということだ。
無意識にならともかく、意識してそのようなことが出来ることに戦慄を感じえない。
これを見せられれば、大概の男性はルサルカのことを可愛らしく純情な女性と信じ、そして気づかない内に彼女に惹かれていくことだろう。
まるで蟻地獄のような手練手管である。
ただ、それを使う相手がわたくしやアリスでは、それこそ冗談にしかならないが。
「……見た目は確かにお若く見えるのが恐ろしいです。昔から、不死者というのは骸骨霊とか屍鬼ばかりだと思っていましたから、こんなに美しいとは思ってもみませんでした」
アリスが感慨深くそう言った。
確かに、どんなところでも不死者について教えられることはそのようなものが多い。
不死者と言われれば、大抵の人間が骸骨霊か屍鬼、よくて死霊を思い浮かべて震えるもので、まさかルサルカのように人間の女性にしか、いや、人間の女性よりも遥かに美しい容姿を持つものが不死者なのだとは中々考えない。
例外として吸血鬼がいるが、青白い顔の男性、というのが絵本などでも多いし、やはりクーファを見てもそれだとは思えないだろう。
「お褒めの言葉、ありがたく受け取らせていただきますわ。しかし、アリス様も不死者には中々見えません」
とルサルカが言う。
今のアリスは中身の骸骨が透けてはいない。
全体を覆うローブを纏っているから、というわけではなく、その中身も普通の人間のように見えることは、顔が透けていないことからも明らかだ。
というのも、ルサルカが透けないコツ、のようなものをアリスに教えたからに他ならない。
ローブを身に纏う関係で、体を物理的に固定する必要があったためだ。
そして、その副産物としてそのようなことが可能になった。
もちろん、アリスは通常の死霊とは異なり骨格があるため、ローブを纏うくらいは出来なくはないのだが、その場合、体の輪郭をローブが通り抜けてしまうという問題が発覚したのだ。
それではローブを纏っている意味などない。
ちなみに実体化は死霊として、意識さえ取り戻していればさして難しいことではないらしく、すんなりとアリスはそれが出来るようになったのが救いだ。
わたくしはもともと体を持っていたのでそのようなことをする必要はなかったが、死霊が通常、通る道らしい。
アリスはルサルカの言葉に、
「そうでしょうか? でしたら屋敷にもすんなり入れそうですわ……」
そう言って微笑んだ。
しかしそれにしてもアリスは一体どうやってエフェス子爵家に入るつもりなのだろう。
忍び込む気なのだろうか?
いや……。
考えてもわからなそうで、わたくしは考えるのをやめた。
実際つけば分かることだ。
そう思っていると、
「そろそろですわね。見えてきましたわ、お二人とも」
ルサルカがそう言って、わたくしとアリスに一軒の屋敷を示す。
そこには先ほどと変わらず、エフェス子爵家があった。
門の前には、やはり門番が二人立っていて、素直に訪問を告げたところで中に入れてくれるような気はしない。
しかし、驚くべきことにアリスは、つかつかとその門番のところまで歩いていき、その前に立った。
門番二人はアリスが近づいてきたのを視認したときから持っていた槍を構えていたが、アリスは怯む様子など一切ない。
門番は、アリスに詰問するように言う。
「お前は何者だ!? それ以上近づけば、実力によって排除する!」
そんな風に。
そう言われるのは仕方がないだろう。
なにせ、今のアリスの格好は深いローブを身に纏った見るからに怪しげな人物である。
性別すら分からない状況で、警戒しない方がおかしい。
「……アリスは、一体どうするつもりなのかしら」
不安に思ってわたくしがそう言うと、ルサルカは、
「おそらくは、何かお考えがあるのでしょう。アリス様は聡明な方の様子。勝算のない賭けに出るとは思えませんわ」
と冷静に告げた。
確かにそれはその通りで、無理なこと、無茶なことをアリスは昔からやらなかった。
学院にいたときも、それはわたくしやアデライードの年長組が率先して行い、アリスはむしろリスクを考えて止める方だった。
年齢的にまるで正反対な役割で、見た目だけだとその反対に見える関係であったのである。
そんなアリスが、見るからに無茶なことをやっている、というのは珍しいことだ。
これは、わたくしたちからは無茶に見えるけれど、実のところはそれほどリスクの高い行為ではない、ということなのだろう。
実際、アリスは、門番の詰問にローブの帽子部分を脱ぐことで答えた。
ぱさり、と帽子が脱げ、その顔貌が明らかになる。
そんなことをしては、とわたくしもルサルカも驚いたのだが、わたくしたち以上に驚いたのは門番の方である。
「……な、お、奥様!?」
「馬鹿な! 奥様は亡くなられた……偽物ではないか!?」
驚愕と恐怖からかか、目を見開いて顔色を青くしつつ槍を構える門番二人に、アリスは口を開く。
「偽物? 訓練後に小腹が空いたからと言って厨房からチーズを盗んだのを黙っててあげたのは、一体誰だったか、忘れたというの、ナルズ?」
アリスがそう言って、一人の門番、背のひょろりと高い方に言って、笑いかける。
その指摘はどうやら真実らしく、ナルズと呼ばれた門番は、うっ、と喉を詰まらせるような声を発した。
さらにアリスはもう片方のがっしりとした体形の門番に、
「ダズ、貴方がジュリアンの秘蔵のお酒を勝手に拝借していたことも内緒にしてあげたことがあったわね? 誤魔化すのが大変だったのよ。あの人、細かいからすぐに気づくのだもの」
そう言って首を傾げる。
アリスが語っていることは本当にあったことなのだろう。
それを聞いた二人の門番の顔色が、青を通り越えてもはや白くなっている。
それにしてもとんだ不良門番を雇った者だと思うが、まぁ、これくらいはどこの使用人でもやっているものだ。
職業意識が高い者は軒並み高位貴族に雇われるものなので、子爵家の使用人であればこんなものだろう。
さらにアリスはいくつも二人の悪行を論い、最後に二人の顔を見て、
「……これでも私が偽物と?」
と尋ねた。
もしそんなことを言うのであれば、今言ったことすべて、告げ口をしてやるとでも言わんばかりのアリスの表情に、門番二人はものすごい速度で頷き、
「そんなことは申し上げません! ですから、ですからどうか旦那様には秘密に……!!」
そう言って、観念したのだった。




