第14話 抑えきれない感情、八つ当たり
エフェス子爵家の屋敷は、貴族街の端に、引っかかるように存在していた。
しかし、その大きさはカタラ伯爵家のものと比べるとかなりこじんまりとしている印象だ。
それもそのはずで、貴族街にある屋敷はどれもおそろしく高価であり、貴族であっても大きな身代を持つ者でなければ、購入することは難しいものだからだ。
エフェス子爵家程度の貴族であれば、むしろ貴族街と一般街の間に、平民にしては大きいかな、というくらいの規模の屋敷が持てればいい方である。
それなのに、エフェス子爵家は今、貴族街に小さいながらも屋敷を構えているのだ。
聞けば、この屋敷もほんの二年前――つまりは、わたくしが死に、アリスの縁談が決まった辺りに購入されたものだという。
エフェス子爵の懐があやしいにもほどがあった。
そんなエフェス子爵であるが、本来はアルタスの北方にさほど大きくない領土を持つ貴族であり、王都にいない可能性が高かった。
エフェス子爵家くらいの規模の地方貴族というのは一般的に、王都にいるより自らの領地にいて、領民たちを直接治めているのが普通だからだ。
特に特筆したところもなく、領地の位置もさほど重要性がなく、商売に才能があるわけでもないエフェス子爵は、王宮で地位があるということもなく、したがって、王都にいる意味もあまりない。
だからこそ、王都にいないかもしれない、とわたくしは考えていたのだが、意外にもエフェス子爵は王都にいるという。
それも、アリスと結婚してからずっとだ。
子供もおそらくはここにいる、と聞いた。
だからわたくしは、直接エフェス子爵家を訪ねたのだが……。
「……ご主人様はお会いにならないと言っています。お帰りください」
にべもなくそう言い放ったのは、エフェス子爵の屋敷の門番の一人だ。
先ほど、わたくしが、エフェス子爵家の門番に、身分と来訪の目的を告げ、取次を頼んだのだが、エフェス子爵の意向を尋ねてくると屋敷に言った門番の一人が、戻ってきて直後に言った内容がそれだった。
身分はラウルス男爵家の令嬢、来訪の目的はアリスにかつて世話になったから、彼女の子供に一目合わせて欲しいこと、また彼女の墓参もしたいから、お墓がどこにあるか教えてほしい、というものだった。
けれど、帰ってきたのは残念な答えである。
しかし、予想はしていた答えでもある。
というのは、いきなり訪ねて来て、はい、会います、という貴族などあまりいないからだ。
貴族を詐称するのは罪になるので、端の方とはいえ、貴族街でそれをやる人間は普通、いない。
だから、そこをひどく怪しまれたというわけではないだろうが、しかし、それでもいきなり、今のわたくしのような年齢の貴族の少女が、一人で他家を尋ねるというのは奇妙だろう。
警戒されてもそれは仕方のない話だった。
わたくしとしても、まずは正面から行ってみよう、と思って無茶なことをしてみただけなので、そこまで文句はない。
ただ、まっすぐ行って、そのまま入れてくれれば簡単だろう、と思ってやってみただけだった。
後々、ラウルス男爵家に、わたくしのような娘がいるのか、と確認されても問題はないと分かっているからこそできる無茶である。
けれど、それはエフェス子爵家には通じなかったらしい。
仕方なくわたくしは、返事を持ってきた門番に言う。
「そうですか……分かりましたわ。後ほど、またお訪ねすることがあるかもしれませんので、エフェス子爵にはよろしくお伝えくださいませ」
すると門番は、
「承りました。それと、アリス様のお墓に関しましては、位置をお教えするように承っております」
そう言って、アリスの墓の位置を丁寧に教えてくれた。
てっきり、彼女の墓はエフェス子爵家の領地にあるものかと思っていたのだが、王都内にある教会の敷地内にあるとのことだった。
わたくしは教えてくれた門番にお礼を言い、そこに向かって歩き出した。
◇◆◇◆◇
「こちらでございます。では、私はこれで……」
そう言って、墓地の案内をしてくれた教会の司祭が去っていく。
わたくしは彼に頭を下げ、見送った。
十分に彼が遠ざかったのを確認し、改めて振り返り、それを見た。
『アリス・エフェス 王国歴833年没』
そっけなく、そう記載してある、よく磨かれた、灰色の石を。
そして、その石を見つめながら、茫然として何かを呟き続ける、柔らかな金色の髪を持つ、どこか幼い顔立ちをした、少女を。
そう、そこには、アリス・エフェスその人が立っているのだ。
司祭に案内された直後、その姿が目に入ったわたくしは、思わず息が止まりそうになった。
あなたは亡くなったと聞いたのに、どうしてここに。
そう、言いかけた。
けれど、近づいて彼女の姿がはっきりと目に入って、そう口にする気持ちは失せた。
なぜなら彼女は、半透明で、向こう側が透けていたからだ。
生きていない。
彼女の今の在り様は、つまりそういうことなのだろうと、わたくしには分かってしまった。
けれど、たとえ死んでいたとしても、彼女との再会が嬉しくないわけではない。
もう、永遠に会えないと思っていた人。
その本人が、今、わたくしの目の前にいるのだ。
「アリス……」
そう言って、わたくしは彼女に近づき、そして語り掛ける。
「しばらくぶりね。お互いに、何もかも変わってしまったわ。まさか、二人とも死んだ後にまた、出会えるなんて。アデライードと三人で、よく、死んでも友達よ、なんて言ったものだけれど……まさか、本当にそうなるなんて思ってもみなかった」
そう言ったときにはただの冗談だったこと。
けれど、運命は思いもよらぬ偶然を呼び、こうしてそのときの会話を真実にしている。
そんな状況が不思議で、滑稽で、嬉しくて。
わたくしはそう、アリスに言ったのだ。
けれど、アリスは何も返さない。
何かを呟くように、口を動かしてはいるけれど、わたくしに対して何かを言っているようではない。
「……アリス? どうしたの、アリス!」
彼女に呼びかけても、反応がない。
ただ、アリスの視線はどこか虚空に向かっており、そしてひたすらに何かをぶつぶつと言い続けているようだった。
わたくしは気になって、その口元に耳を寄せてみた。
急に近づいたので、普通なら何かしら反応があってもいいはずだ。
けれど、アリスは微動だにせず、ただひたすらに前を見つめている。
奇妙だった。
そして、寄せた耳に聞こえた声は、こう言っていた。
「……ごめんなさいごめんなさいわたくしはなにもできなかったエリカお姉さまどうして死んでしまったのごめんなさいごめんなさいアリアゆるしてごめんなさいごめんなさい……」
アリスは、延々と、そんな風に呟き続けていた。
誰かに言っているというよりは、壊れた魔法人形のように同じ言葉を抑揚なく繰り返している。
そんな感じである。
「これは……どういうことなの。アリス……アリス!!」
わたくしは、アリスに必死に呼びかけた。
けれど、反応がない。
何も変わらない。
ただ、ずっと誰かに、何かに謝り続けている。
「アリス……」
どうしようもなくて、わたくしが、その場に立ち尽くしていると、
「……これが、普通の死霊なのですわ、あるじ様」
そんな声が後ろから聞こえてきた。
振り返ると、そこにはルサルカがいた。
どこから現れたのか、と一瞬思ったが、彼女のことだ。
きっとわたくしが屋敷を出た直後から、ついてきてたのだろう。
それを気づかせずに行える技術が、彼女にはあるのだ。
何も不思議なことではない。
そう彼女の存在を納得したわたくしは、彼女に言う。
「それは、どういうことなの……?」
「通常の死霊は、自意識を持てないのです。生前に抱いた思いを胸に、ただそのことだけを考え続ける。いつまでも、いつまでも。そういうものが、普通の死霊なのです」
「いつまでも……けれど、わたくしやアルも死霊よ。であれば、いつか……!!」
いつか、自分の意識を取り戻し、わたくしたちの【仲間】になるのではないか。
そう期待しての言葉だった。
けれどルサルカは首を振る。
「それこそが、アルやあなた様の特別なところです。通常の死霊は、自意識を取り戻すことなどありません。そのまま、何年、何百年、何千年とその場にい続けることはざらですし、最終的にはそのまま消滅してしまうのです。本来、生き物の霊は死したのち、現世にとどまったりすることはせずに、まっすぐ死霊大帝の身許へ向かい、記憶を洗い流され、転生を果たすものですが……それが出来なかったとき、死霊はこうした、哀れな存在と成り果てます。救いは、永遠に来ません。どこまでも変わらないまま、このままの状態で存在し続ける。そういう、呪われたものなのですわ」
それは、絶望的な宣告だった。
それでは、アリスに何も救いはない、という話になってしまうではないか。
いつも可愛らしく、わたくしやアデライードに甘えてきた、アリス。
たまに我儘を言ったり、とるに足らないことで泣いていた、アリス。
それでいて、誰よりも周りのことを考えていて、わたくしとアデライードが喧嘩したときなどは、真っ先に仲を取り持ってくれようとした、アリス。
彼女に関する思い出は、たくさんある。
その全てが、彼女は決して、このような酷い仕打ちを受けるような人ではなかったと言っている。
彼女は幸せに生き、穏やかに死に、誰もに愛される生をもう一度受けるべき人だったのだ。
それなのに……。
「なぜ……」
呻くような声が、わたくしの喉から出てきた。
それと同時に、ゆっくりと湧き上がる溶岩のような、ふつふつとしたものが胸の奥底から体中に回っていく。
頭がカアッ、と熱くなってくるのを感じる。
手が震えてきた。
ここに鏡はないが、もし今、そこにわたくしの顔を映すことが出来たら、顔は、きっと醜く歪んでいることだろう。
これは、怒りだ。
あるべきでない、物事の道理から外れた出来事に対する、義憤だ。
わたくしは、そう、自覚した。
突然この身に湧き出たその感情にわたくしは一瞬、困惑を覚える。
けれど。
それでも、わたくしは、それを受けいれた。
受け入れてしまった。
この感情は、アリスのために湧き出てきたもの。
否定することは、アリスを否定することになる。
そう、思ってしまったのだ。
そう。
アリスは、素晴らしい人だった。
かわいい、人だった。
優しい、人だった。
それなのに、その全ては、穢された。
誰に?
あの、女にだ。
ノドカ。
ノドカ・マードック。
あの女に。
わたくし一人に対して、何かをするなら、まだ、良かった。
あの女がわたくしにしたこと、許すことなど出来はしないが、人として少しは救いのある死に方を用意してやるくらいのことはする気になれただろう。
けれど、こんな、こんな仕打ちをアリスに用意する人間に、果たしてそんな必要があるのだろうか。
答えはすぐに出る。
そんな必要はない、と。
あの女は、地獄に叩き落としてしかるべきであり、わたくしがそうしても何ら責められるいわれはない。
もしも万が一、わたくしがそうすることに文句がある者がいたとしても、わたくしはそのすべてを排除することだろう。
あの女は、殺さなければならない。
永遠に、地獄ですら生ぬるいと思うような死に方を、用意してやらなければならない。
許しを与えてはならないのだ。
怒りが、どこまでも湧き出てくる頭で、わたくしはそう、考えた。
空気が震える音がする。
わたくしの怒りが、ここにあるもの全てをガタガタと震わせているようだった。
墓地を、死者が静かに眠る場所を不当に騒がせている。
きっとこれは死者に対する冒涜であり、許されることではない。
そう頭のどこかで理解していても、困ったことに怒りは全く引いていかなかった。
制御できない激情が、生前、一切感じたことのない、強烈な感情が、わたくしの体中から噴き出ていた。
ルサルカが、そんなわたくしを見て、跪きながら、必死な声で言った。
「……あ、あるじ様……どうか……どうか、怒りをお鎮めください!」
見れば、彼女はいつもの、大人の女性としての余裕を体現したような態度ではなく、ただ、怯えていた。
冷汗をかきながら、地面に額づく彼女は、どこか、滑稽で……。
どうしてか、わたくしはイライラした。
そして、ふと、思った。
「ルサルカ……どうして、アリスを助けてくれなかったの?」
「……は……」
「どうして。あなたなら、あなたたちなら、簡単なことではなかったの? わたくしに忠誠を誓うと、そう口にするなら……わたくしの大切な友人を、助けてくれても、良かったのではないの?」
そうだ。
彼女たちなら、不死者たちなら、容易にアリスを救えたはずだ。
それなのに、彼女たちはやらなかった。
わたくしに、忠誠を誓うと言いながら、その言葉に反する行動をとった。
……許しては、おけない。
「そ、それは……ち、違います! 私どもは……」
何かを言おうとしているルサルカ。
しかし、わたくしの冷静でない頭はそれを認めようとしない。
わたくしは、感じる衝動のまま、自らのうちにある力を振るう。
すると、地面がぼこり、と盛り上がり、そしてそこから何かが這い出してきた。
見ると、それは骨だった。
人の骨でできた、人形。
骸骨霊。
数は、百ほどだろうか。
彼らは徐々にルサルカに近づいていく。
「あ、あるじ様……どうか、おやめください……どうか……!!」
彼女のそんな叫びは、わたくしの心を動かしはしない。
怒りはどうやっても引かず、わたくしは、衝動のまま、骸骨霊に念じた。
ルサルカを、捕らえよと。




