第12話 昔と今と
「二年半……?」
一体いつ、それほどの年月が過ぎたというのだろう。
クーファの言葉を聞いて、わたくしがまず、考えたのはそのことだった。
なにせ、わたくしは、目が覚めてから今までで、二年半も過ごした記憶など持っていないのだから。
せいぜいが、数週間、といったところだろう。
不死者になった影響か、少しばかり時間経過に対する感覚が鈍感になっているような気はする。
しかし、それは意識すれば問題なく認識できることだ。
つまり、全く何も気づかないまま、二年半が過ぎた、ということはない、はずなのだ。
そこまで考えてから、わたくしはクーファに尋ねる。
「それは、あの、一体どういうことなのかしら……? わたくし、そんなに長い間、ぼうっとしていたの……?」
とは言え、自分で認識できていないという可能性はないではない。
不死者というのはそう言うもので気づかない内に数年たってしまったりもざらだと言われればそれまでだ。
その意味を込めての質問だった。
それにクーファは、明確な返答をくれる。
「いいえ。お姫様が蘇られてから時間はまだ、一月ほどしか経っておりません」
ということは、わたくしがぼんやりとしていたせいでこうなった、というわけではないようだ。
けれど……。
「でしたら、どうして……」
二年半も経ったのかしら。
つい、そんな声が出てしまう。
それを聞いた、クーファは少し悩んでいたが、一応、答えはくれた。
「……私たちが、エリカ様の蘇りに立ち会ったのは、つい一月前のことだと、先ほどお申し上げました通り、実のところ、明確なところは我々にもわからないのです。しかし、推測していることはございます……おそらく、エリカ様はお亡くなりになられたとき、死霊大帝より、【眠り】を与えられたのだと。その結果として、およそ二年半ほどお休みになられたのだろうと……」
言われて、わたくしは思い出す。
確かに、わたくしはあのとき聞いている。
ゆっくり眠れと。
お前はこれから、疲れを癒すために穏やかな死の眠りに入るのだと。
そう、聞いた記憶がある。
あれが……?
わたくしがそのことについて説明すると、今度はルサルカが言った。
「おそらく、それこそが今回のことの原因でしょうね……通常、不死者のうち、一般的な死霊というのは死したのち、そのまま霊体として世を彷徨うものですが、その際、大きく魂が傷ついていることが多いのです。死ぬときや、その前後に襲われたショックにより、精神が大きく損なわれてしまっているからです。ですから、死霊は不死者になったのちも、その欠損を抱えて、どこか性格的に欠けているところがあるものが多いのですが……見たところ、あるじ様の場合、それが他の者よりもございません。それはつまり……死霊大帝により特別の配慮があって、そのようになったのだと推測されるのです」
「その配慮が、【眠り】というものなの……?」
これについてはルサルカやクーファにもわからないところがあるらしい。
しかし、少し考えつつも、しっかりと答えてくれた。
「ええ。昔、そのような【眠り】を与えられた者が数名、不死者たちの中におりました。ですから、おそらくは間違いないかと。彼らに共通していることで、まず一つが、死霊大帝の声を聞いたということ、そしてもう一つが精神に欠損を抱えたままではなしえない、無念を抱えていた、ということがあります。それはたとえば……復讐でした」
復讐のために、精神的に完全である必要があった、ということだ。
わたくしはそれを聞き、少し考え、そして納得する。
「……わからないでは、ないわね。精神に欠損、というと、憎しみや怒りの感情すら希薄になったりしてしまう、と?」
魂の欠損とは精神の欠損、精神の欠損とは人間らしい感情を持てなくなるということだと解釈しての質問だった。
これに、ルサルカは頷き、
「そういうことですわ。死霊大帝は冥界の神。死者すべてを見、その魂を冥界へと運ぶ者。しかし、それと同時に死者に対して手厚い愛情を注がれる方です。ですから、稀に、そのようなご配慮をしていただけることがあるのですわ」
冥界の神と言えば、人間の世ではナト様であり、そして無慈悲かつ残酷な方だと伝えらえていた。
それは、かの方が、命と言うものを予想だにしていないときにあっという間に奪い、そして愛すべき人を冥界へと連れ去ってしまうからだ。
ナト様は、美しく赫人の魂を好み、自らの国へと迎え入れるために冥界から現世に手を伸ばし、連れ去ってしまわれるのだと、そう言われていた。
しかし、現実はその言い伝えとはだいぶ異なっているようである。
そもそも、生き物の生き死に自体、人間が考えているように、ナト様――死霊大帝が自由に支配しているというものではないようだった。
そうであるからこそ、死霊大帝は、人を、生き物をこうして、不死者にと変えるのだろうから。
そして、わたくしたちのような不死者をお作りになるのは――わたくしたちが生きているときに果たせなかった思いを果たさせるため?
そのために死霊大帝はわたくしたちを不死者にされるのだろうか。
わからない。
ただ、わたくしを、わたくしの目的のために、心に欠損がない状態のまま、不死者にしてくれたということは間違いないだろう。
とは言え、憎しみや怒りを忘れていなくとも、どことなく鈍感になっている部分はある。
痛みが薄く、また感情の動きもどこか緩慢で希薄だ。
時間の感覚も遠く、人に対する親愛の情は揺らぐ水面のように不確かに思える。
けれど、それは結局のところ、神でいらっしゃる、死霊大帝にも限界がある、ということなのかもしれない。
わたくしに確かにかの方は眠りを与えられたのかもしれないが、完全とはいかなかったのだろう。
そこまで考えて、わたくしは改めて自分の身の上を思う。
処刑され、二年半が経過している。
この状態について。
「……二年半で、良かったですわ」
ぽつり、と口から出た言葉に、クーファが首を傾げて、
「それは、どういった意味でしょうか?」
と尋ねる。
わたくしは、
「もっと長い時間、五十年とか、百年とか過ぎていたら、もはやわたくしは復讐も果たすことが出来なかったでしょう? その点、二年半なら……全く問題ないじゃない。えっと、問題、ないわよね……?」
この二年半で、わたくしの復讐相手たちがみんな、戦争や事故で死んでいた、と言われたらもう、どうしようもないので、少し確認を入れてみた。
クーファもルサルカも、これについてはよくわかったもので、
「ええ、全く。ミューレン、ノドカ、ルーク、ヒューリー……そして、あなたの兄上ワルド。全員がしっかりと生きております。やはり、憎まれっ子世に憚ると申しましょうか、ああいった手合いは皆、しぶといようですね」
吐き捨てるようにそう言ったクーファである。
それにしても、その言い方に、わたくしは少し違和感を覚えた。
彼らが、わたくしを貶めたことは事実であるが、世間的にはそれほど評判は悪くなかった。
むしろ、いい方だったろう。
けれど、クーファが言う、ああいう手合い、という言葉にはかなり強い非難が込められているようで、わたくしに対する仕打ち以外についても責めているような、そんな雰囲気を感じたのだ。。
わたくしは、クーファに尋ねる。
「……わたくしが眠っていた二年と少しの間に、何か、彼らがしたのかしら?」
これに、クーファは頷いて、
「ええ、まぁ……。お姫様、あなたを害したと言うだけで十分に罪深いというのに、あ奴らは……。今、この国は、国際的にあまり良い状況にありませんが、その原因の多くは彼らにある、と言えばお分かりになりますでしょうか」
「それはまた……」
クーファの言葉は中々に刺激的だった。
まだ、わたくしは王都に来たばかりで、この国の現状については不案内であるが、少なくとも二年半前はそれほど悪くない国だったはずだ。
と言っても、周辺諸国と比べて特に突出して栄えていたというわけでもなく、現状維持を長いこと続けていた、という感じに過ぎなかったが。
とはいえ、それが出来るだけでも悪くはない。
そういった国のあり方を正しく引き継ぎ、そしてそのまま、次の世代へ渡すというのが、わたくしが王妃となって支える予定であったミューレン様の仕事だった。
実際にそれが現実に行われることはなかったわけだが、ミューレン様に能力がないということもなかったし、あくまで彼がすべきは現状維持だったはずだ。
そこまで困難な仕事でもない。
それに、国王陛下もそれほど高齢ではなく、今もまだ彼の治世であるはずだ。
ミューレン様が国を背負って立つのはおそらく、まだ先の話だろうと思われる。
……いや、もしかしてすでにミューレン様が継いでいるのだろうか?
二年半の月日が流れているのだ。
ありえないとは言い切れない。
わたくしは気になって、尋ねる。
「ええと、今の国王陛下は、タンラン様、でよかったかしら?」
これには、ルサルカが答えた。
「ええ、その通りですわ。今もまだご存命でいらっしゃいます。ただ、一年ほど前よりお体の具合があまりよろしくないようで、政務が少しばかりおろそかになっておられます。この穴をミューレンが埋めておりまして、そのため、近々、ミューレンは立太子されるとの噂がたっております」
立太子、つまりは、ミューレン様が正式に次期国王と目される王太子として国内外に知らしめされる、ということだ。
二年半前も、そして今も、彼は最も次期国王の座が有力な、第一王子という立場だったが、それでも王太子ではなかった。
それは、現国王タンランがかなり頑強であり、しばらくは王位継承など起こらないだろうと見られていたからというのが大きい。
しかし、この二年半の間に、随分と状況が変わったものだ。
まさか、ミューレン殿下が王太子なんて。
立太子されるなどという噂が立つまでに、彼の存在感が増してきたと言うことだろうか。
陛下のお体の調子が大きく影響しているとはいえ、順調に次期国王への道を進んでいるらしかった。
「けれど……それなら、ミューレン様はその実力を認められた、ということよね? それでどうして国が傾き始めているのかしら?」
次期国王が現国王の仕事をしっかりとこなしており、そんな人物が立太子されるというのであれば、それはむしろ自然な成り行きと言うものだろう。
何も、問題がありそうには思えない。
けれど、このわたくしの言葉に、ルサルカは首を振る。
「いいえ、ミューレンの実力が認められた、という訳ではなく、彼に逆らうのは危険、と考える貴族が増えているというに過ぎませんわ。彼の友人である、あるじ様を寄ってたかって貶めた人々は、実際のところ自らが、もしくはその親類が国の中枢に深く食い込んでいます。そんな者たちの旗頭であるミューレンを貶めれば、彼らからきっと、報復を受けるだろうと……それを恐れる貴族が、今は多いのです」
日和見主義者が多いということだろうか。
まぁ、勝ち馬に乗るのは、政治でも戦場でもある意味、常道である。
仕方がないと言えば仕方がない話だ。
しかし、それなら……。
「では、現実の政務の方は?」
「かなり酷いようですね。病弱でも、教養があり、性格も穏やかで賢い第二王子殿下こそが次期国王になるべきである、という意見の方が本来大きいようです。ただ、それを真っ向から主張出来る人物は、今、この国にはいない、という状況です」
「第二王子殿下……」
彼のことは覚えている。
いつも、ベッドに眠っていた、痩せこけた少年だ。
確かに彼は静かな中にもどこか人を惹き付けるところがあり、頭の回転も早かった記憶がある。
五歳ほど年上のわたくしとの会話も、わたくしがまるで手加減して話す必要もなく、一緒にいると楽しくなってくるような少年だった。
確か、二年半前当時は12歳くらいだったから、今は14、5歳か。
そして、ミューレン殿下は19歳になっているはずである。
14、5歳の弟と比べられて、しかも賢さでは敗北していると言われている第一王子はいかがなものか、と思わないでもない。
けれど、王位継承に関連するいざこざというのはどんな国でもそのようなものである。
特に能力的に優れているから王座を継げるというものでもないのだ。
権力を先に押さえ、そして他の者をあらゆる方法でもって寄せ付けなかった者が勝ち取るものである。
その意味で言うと、第一王子はうまくやったのかもしれない。
けれど……。
「結果として、国が滅びては無意味よね」
「その通りですわ」
呆れたようにルサルカもため息をついた。
クーファも同じ気持ちらしく、
「余計なお話かも知れませんが、この国は私たち不死者にとっても居心地の悪くない国なのです。長い期間をかけて、積み上げてきたアルタス貴族としての偽装を、これから他の国でゼロからやり直すのは少々骨が折れます。ですので、アルタスには積極的に滅びて欲しいとまでは……お姫様が滅ぼしたい、とおっしゃるのであれば是非もありませんが」
そんなことを言って、首を振る。
実際、仮にアルタスが滅びたとして、さして困らないのが彼ら――というか、わたくしたち不死者というものだろう。
しかし、わたくしとしても、アルタスには多少、愛着はある。
ミューレン様以下、数名はそれこそ死んでも死にきれないほどに憎いが、アルタスの国自体が憎いわけではない。
処刑の時に見た、人々の視線。
冷たい空気、無慈悲な刃。
思い出せば、国自体に対する憎しみも湧き出ては来るが……。
難しい問題であった。
「……復讐のことだけに専念していればいいかと思っていたけれど、どうやらそういう訳にはいかなそうだわ。考えなければならないことが多そうな気がするの……」
わたくしが憂鬱にそう言うと、ルサルカは、
「細かなことは私たちの方で片付けますので、あるじ様はつまらないことは無視していただいても構いませんわ」
それに、クーファも続いて、
「ええ。重要なのは、お姫様。あなたさまがご自分の目的を果たされることです。とるに足らない些事に時間を取られるようでしたら、我々がすべて排除します。ですから……」
二人とも、わたくしには何も気にせずのびのび復讐してくれ、と言っているのだろう。
その結果として、アルタスを滅ぼしてもそれはそれで構わない、ということだ。
それはありがたい話で、わたくしもそうしたいとは思う。
思うけれど……。
「ダメね。今すぐは答えが出ないわ。少し、考えさせて」
そう言ったわたくしに、二人は頷いてくれた。
少し優柔不断に過ぎる気もするが、生前はそうやって悩む時間や選択肢はわたくしには与えられなかったのだ。
生まれ変わった今、それくらいの自由はあるだろう。
そう、思った。
◇◆◇◆◇
「ところで、話は変わるのだけれど、二人ともアデライードとアリスが今、何をしているか、ご存知かしら?」
アデライードとアリス、この二人は、わたくしが学園自体に特に仲良くしていた友人である。
お忍びで街を一緒に散策したのも、この二人が多かった。
アデライードは同い年の、ただわたくしより少しばかりお姉さまなところのある人だ。
派手な見た目で、美人、と言ったらこの人だろうと一目見ただけで納得させるような輝きを持った人だった。
性格もその見た目に似合った、少しばかりきついところのあるタイプだった。
アリスは一つ下で、アデライードとは正反対に妹のように甘えてくるような存在だった。
見た目もふわふわのお菓子のような、甘く可愛らしい女の子で、愛玩動物にしたいくらいだったのを覚えている。
実際、アデライードとわたくしは彼女をそのように扱っていたような記憶がある。
つまり、彼女たちとわたくしは姉妹のような関係であり、その中でわたくしは次女の立ち位置だったということだ。
学園を歩いているときは、身分の関係でわたくしが一番偉そうにしていたが、実際に一番偉かったのはおそらく、アデライードだろう。
わたくしもアリスも、彼女には頭が上がらなかった記憶がある。
そんな二人が今、何をしているか。
気にならないはずがなかった。
けれど、その言葉を聞いたルサルカとクーファは不自然に、ぴきり、と表情を固まらせる。
その様子を奇妙に思ったわたくしは、二人に尋ねる。
「……どうか、したの?」
嫌な予感が、しなかったわけではない。
けれど、わたくしは至極自然に、すんなりとそう、尋ねてしまったのだ。
そして、その質問に、わたくしに対して臣従を示してくれている二人が、答えないはずがなかった。
二人は顔を見合わせ、そして、クーファが覚悟したような表情で頷いから、ゆっくりと答えた。
「……残念ながら、」
――アリスさまは一年ほど前に、すでにお亡くなりになっておられます。
何を、言っているの。
瞬間、そう思って、わたくしは目の前が、真っ暗になった気がした。




