第10話 王都
馬車に揺られている。
カタラ伯爵家の馬車に、わたくしは今、乗っている。
隣にはルサルカが、御者はカタラ伯爵家の使用人の一人。
灰色の髪を撫でつけた、細身の老人である。
上品で、いかにも大家の執事、と言った雰囲気の人なのだが、言わずもがな、彼もまた、何百年となく時を過ごしてきた不死者である。
馬一つ扱う技術にしても、凄まじいものがあった。
「もう少しで王都につきますが、心の準備はよろしいですか、あるじ様」
ルサルカが窓の外から景色を見て、そう言う。
彼女ほどの存在なら、そんなことをせずとも自分の位置は完璧に把握できるらしいのだが、出来る限り人間らしい行動を心がけているらしい。
いきなり切りかかって来た剣士の一撃を振り返ることなく察知し、指二本で白刃取りが出来る伯爵夫人はおかしいだろう、ということらしかった。
とはいえ、カタラ伯爵領から王都に向かうにあたり、何度か盗賊の襲撃もあった。
すべて、ルサルカの無詠唱魔術によって撃退され、今では冥界の住人である。
ある意味でお仲間になったと言える。
わたくしたちを狙いさえしなければ今でも生きていられただろうに、気の毒に、と思わずにはいられない。
「心の準備、と言われても……どんな気分でいればいいのか、わからないわ」
わたくしは、ルサルカにそう、答えた。
自分が殺された街。
処刑された土地。
そしてそれを画策した者たちがのうのうと生きているところ。
そんな場所に行くにあたって抱ける感情は、憎しみと怒り、以外の何物でもないだろう。
けれど、それと同時に、あの街には思い出もあるのだ。
友人たちとお忍びでお菓子を買いに行ったり、お洋服を見に行ったり。
市井の者の服を着て、ただ町娘のように過ごしたり。
楽しかった思い出もたくさんある。
わたくしは、あの街をどう、見ればいいのだろう。
憎しみをぶつけて滅びよとただ願うべきか。
街に住む人々に罪はないのだと、幸せな学生生活を提供してくれた素敵な町だったと感傷に浸ればよいのか。
「……行ってみなければ、わからないわね」
しばらく考えて、わたくしはそう、結論付けた。
「そうですか。それでよろしいでしょうね……。そうそう、あるじ様。もし、街にお出かけになりたいというときにはこちらをお連れください」
ルサルカはそう言って、懐から何かを取り出した。
それは、小さな箱だった。
渡されて開けてみると、そこには骨が入っている。
「……骨? 何の?」
おそらくは小動物のものだろう、ということが明らかなのだが、ルサルカがふっと、息を吹きかけると、骨は自ら動き出し、そして形を作る。
「……ネズミかしら」
動物の骨についてはあまり詳しくないが、組み上がった形からするに、おそらくはネズミのものだろうと思った。
その骨は、ただ組み上がっただけでなく、まるで生きているかのように動き、わたくしの方に腕を伝って登って来た。
「あら……」
なんとなくかわいいような気がして微笑みが漏れると、ルサルカが言った。
「お気に召したようで何よりですわ、あるじ様」
「ええと……かわいいですけれど、この子は?」
「ご覧の通り、骸骨霊の一種ですわね。小動物ですから、人の骸骨霊よりも力が弱く、たまに魔力を注いであげなければただの骨に戻ってしまいますが……」
先ほどルサルカが吹きかけたのは魔力、ということらしかった。
「そうなの……では、小動物の骸骨に魔力を吹きかけてあげれば、みんな骸骨霊になるのかしら?」
だったら楽しいかも、と思っての言葉だったが、これにはルサルカは首を振る。
「いいえ。私たちには、すでに冥界に行った者を新たな不死者にすることは出来ません。生者を不死者にすることは限定的ながら可能なのですが……たとえば、リア・カルヴァの剣や、吸血鬼の始祖クーファの牙などですね。しかし、骨は死んだものです。すでに魂が冥界に召されているので、そこには何の意思も宿ることはないのです」
「では……これは?」
わたくしが肩に乗って前足を動かしているネズミの骸骨霊を見ながら尋ねると、ルサルカは言った。
「これは、自然に骸骨霊になったネズミなんですよ。ただ、あまりに力が弱いので、十年ほど活動すると骨に戻ってしまうのです。それからまた、魔力がたまるまでじっとして……また十年……というサイクルを繰り返します。今回はわたくしが魔力を込めてあげたので、そうそう活動を止めることはないでしょう。魔術もある程度使えますので、あるじ様の護衛代わりにと思いまして」
護衛、というにはあまりにも小さすぎる。
蹴飛ばされたらそれでばらばらと崩れてしまいそうだ。
それに、見た目にも問題がある。
わたくしはかわいいと思うので、そういう意味では問題ないのだが、周りの目を考えると……。
肩に不気味に動くネズミの骨を乗せた貴族令嬢。
相当危険な存在だろう。
禁断の魔法に手を染めた者としていきなり捕縛されても文句は言えなさそうですらある。
そう伝えると、その心配はルサルカも理解していたらしい。
「ええ、ですから……“受肉”」
ネズミを指さして、彼女がそう唱えると、ルサルカの指が輝き、骨のネズミの体に光が吸い込まれた。
すると、次の瞬間、ネズミの骨の内部に心臓が形成され、そこから血管が伸び、神経が伝って、筋肉が出来上がっていく。
最後には皮膚が出来上がり、ふわふわとした真っ白いネズミがそこにはいた。
「……骸骨霊ぽさがなくなってしまったわ」
目を見開きながらわたくしがそう言うとルサルカは、
「しかし、これでただの愛玩動物で通りますわ。ほら、あなたもご挨拶なさい」
『よろしくね、エリカ!』
ネズミが、喋った。
しかもかなり幼い少年の声である。
「……これは」
「長い時を経た動物霊は知恵を得ますの。喋ることもできるようになるのですわ。……あなた、もう少し丁寧に喋りなさい。この方は死霊公女様なのよ」
私に説明し、それからネズミを叱りつけるルサルカ。
「でもさっきまでは……喋っていなかったじゃない。言葉遣いは別に構わないわ」
『ごめんね。僕、人の言葉ってのがまだよくわからないんだ……それと、喋ってなかったのは、体がないと魔力を大量に使うからだよ。節約、節約!』
今はルサルカの魔術によって肉体を得たからあまり消費せずにしゃべることが出来る、ということらしかった。
「そうだったの……あなた、お名前は?」
尋ねてみると、
『特にないよー。エリカの好きに呼んでよ!』
と返ってくる。
ルサルカはその台詞に戦慄したような表情で、
「あるじ様に名前まで付けてもらおうというの……なんて不敬な。私が適当につけてあげます。あなたの名前は、白で決まりです」
『……別に僕は、なんでも構わないよ。じゃあ、エリカ、僕のことはヴァイスってことでお願いね!』
「わかったわ、ヴァイス」
そう言うと、ネズミのヴァイスの体がふわり、と一瞬輝いた。
どうしたのだろう、と思っていると、ルサルカが説明した。
「……あるじ様の加護が宿ったのですわ。ネズミ風情が生意気な……」
『嫉妬しないでよ、おばさん。僕があんまりかわいくてエリカに愛されてるからって、見苦しいよ!』
「お、おばさんですって!?」
そして二人(?)の喧嘩が始まった。
ルサルカがヴァイスを捕まえようと手を伸ばすのだが、ヴァイスは器用に避ける。
不死者の中でもかなりの実力者であるはずのルサルカの手を、手加減しているにしても避けるだけの速度を出すヴァイスはネズミにしてはなかなかの実力であると言えるかもしれない。
少なくとも、その辺のネズミよりはずっと素早かった。
それに、何か紫色の妖気のようなものを纏っている。
「あれは何?」
とルサルカに尋ねれば、彼女は手を止め、答えてくれた。
「……闇の加速魔術ですわね。あのネズミ、あるじ様の加護を得て、上級魔術も使用できるようになったようですわ……腹立たしい」
「護衛として、優秀かしら?」
「もちろんです。あれなら……飛竜でも襲ってこない限りはしのげるでしょう。ネズミにはもったいない実力ですわ」
額にピキピキと青筋を浮かべながらも、客観的な評価を述べたルサルカ。
それが事実だとするなら、街中を歩いていて危険に遭う可能性はゼロ、と言っていいだろう。
わたくしはとても有能な護衛を手に入れたようだった。
◇◆◇◆◇
王都に入るにあたって、少しだけ不安だったのは、わたくしたちのような不死者が、そう簡単に中に入れるのだろうか、ということである。
当然のことだが、どんな国でもその国の首都である王都の警備というのは恐ろしく厳重なものだ。
出入口における衛兵たちの厳しい検査は言わずもがな、教会や魔術師たちによる強力な魔術的防御、結界が都全体に施されていて、魔物の侵入を強く防いでいる。
そんなところに、わたくしやルサルカのような魔物が入ればどうなるのか。
無策で行けば、教会の聖結界によって消滅させられてもおかしくないし、宮廷魔術師たちの捕縛魔術によって捉えられても不思議ではない。
だから、少しだけ、王都に入るのが怖かった。
少しだけ、というのはルサルカがそのことを考えていないはずがないし、カタラ伯爵は王都に屋敷を下賜されているということなのだから、入れないはずがないだろうと思っていたからだ。
「さて、王都が見えてきましたわ。懐かしいでしょう? あるじ様」
そう言われて窓から首を出し、馬車の進む先を見れば、わたくしの目に巨大な王都の威容が入って来た。
どこまでも続く高い壁に、巨大な王都正門、その開かれた向こう側に覗く活気のありそうな街の風景。
そして、王都の防御壁よりも高く、巨大な姿を見せる、白亜の城。
あのお城の中に、わたくしを殺したあの女と、第一王子ミューレン殿下がいるのだ。
それを考えると、胸の奥がざわめく。
わたくしに対する仕打ちについての怒りか。
これから復讐できることに関しての喜びか。
それは、まだわからない。
しかしいずれ明らかになるのだろう。
そう思った。
馬車は、王都に続く列に並ぶ。
王都に入って旅をしてきた者たちが、並んでいるのだ。
一列ではなく、いくつかに分かれているのは、平民の列、商人の列、貴族の列、という風に別れているからだ。
わたくしたちが並ぶのは、貴族の列。
並ぶと同時に、王都の衛兵がやってきて、御者に乗っている者の名前と身分を聞く。
これによって、どの程度、検査が厳しくなるか、また検査の順番などが決まってくるという訳だ。
カタラ伯爵は、爵位はそれなりであるが、その財産は計り知れないほど多く、国に収めている税金の額も他の貴族と比べて文字通り桁が違う。
王国の屋台骨を支える貴族の一人、と言ってもよく、馬車に乗るのがその夫人となれば、順番の早まり具合もわかる。
並んでいた数台の馬車を抜き去って、最前列に案内され、検査もそこそこで終わり、気づいた時にはわたくしたちの馬車は王都の中に入っていた。
「……結界も効果はないのね」
分かっていたことだが、不死者であるわたくしたちが王都に入っても全くなんともない。
ざるにもほどがある。
昔は、王都にはいかなる魔物も侵入することは出来ないと信じてやまなかったが、あの頃の自分のなんて愚かなことかと思わずにはいられなかった。
そんなわたくしの気持ちを分かってか、ルサルカは言う。
「通常の魔物でしたら、こんなに簡単に入ることは出来ませんわ。私たちだからこそ、ということです」
「そう言われても、これではね……」
わたくしたちの馬車は、堂々と王都の目抜き通りを走り抜けていく。
窓の外に覗く懐かしい景色には感慨深いものを感じるが、それ以上に、自分のことながら魔物が易々と入り込めている現状に思うところがないわけではなかった。
しかし、
「……考えても仕方ないことね。むしろ、これはわたくしにとって、都合のいいこと、と思うことにするわ」
と開き直ることにした。
実際、考えるだけで無駄である。
そもそも、その気になれば、ルサルカたち不死者はこの国を滅ぼすことくらいわけないことだろう。
それと比べてみれば、王都に入り込むくらい、何だというのだ。
そう思った。
ルサルカもわたくしの言葉に笑い、
「それがよろしいでしょうね」
と言ったのだった。




