第8話 とある領館にて
「では、参りましょう、あるじ様」
ルサルカがそう言うと同時に、周囲が闇色の何かに飲み込まれた。
それは先ほど、アルやルサルカが現れたときに出現した空間の歪みと同じ性質のもので、あぁ、転移魔術とはこういう感覚がするものなのだなと初めての感覚をおもしろく思った。
◆◇◆◇◆
「……ここは、どこかのお家、かしら?」
闇が静かに遠くに溶けるように去っていったあと、わたくしの目にまず映ったのは、大きな館のものと思しき内装だった。
長く緩やかな曲線を持つ、品のある赤い絨毯の敷かれた大階段。
煌びやかな水晶や巨大な魔石をふんだんに使用したシャンデリア。
いくつもの部屋に続くのだろう廊下がいくつか。
そして、外に繋がるのだろう、両開きの大扉。
おそらくは、玄関ホールなのだろう。
しかもこれほどの規模の玄関ホールを備えているお屋敷となると、そうそうないものである。
おそらくは、どこか名のある貴族か資産家が所有する物件と思われた。
しかし、一体どこの、そして誰のお屋敷なのだろう。
そんなわたくしの困惑を理解したのか、いつの間にかわたくしの背後に来ていたルサルカが、
「……ここは、アルタス王国の地方貴族、カタラ伯爵の領館ですわ」
と説明してくれる。
カタラ伯爵については、わたくしも聞き覚えがあった。
わたくしは会ったことはない。
確か、王都からかなり離れた地、南方に広大な領地を持つ貴族であるが、王宮からはかなり距離をとっている方だったからだ。
ただ、その人物については、容姿に関しては、かなりの美男子かつ洒落者であり、会った貴婦人は皆、必ずその虜になるとまで言われる人であり、また領地経営に関しては相当の手腕を持っていて、辺境と言ってもいい領地でありながらかなりの資産家でもあると言う話だった。
人格も申し分なく、領民に慕われているとも聞いた。
いわゆる、"いい領主"と言う方であるということだ。
それにしても、どうして、そんな方の領館に?
そもそも、わたくしがアルタスの貴族と関わってしまうのはまずいのではないか。
わたくしは不安になって、ルサルカに尋ねる。
「カタラ伯爵に見つからないうちに、ここを出た方がいいのではないかしら?」
しかし、ルサルカは、
「いいえ。大丈夫ですわ。そもそも、今、カタラ伯爵はお留守ですから」
「お留守? どうしてそんなことがわかるの そもそも、仮にそうだとするのなら、勝手に入っては余計にまずいのではないかしら……」
余計に不安になって、わたくしはきょろきょろと周囲を見回してしまう。
今は人はいないようだが、これほどのお屋敷だ。
それなりの数の使用人が働いているはずなのである。
いつ現れないかと気が気でなかった。
けれどルサルカは余裕の表情で、
「問題ございません。なにせ……」
と、言い掛けたところで、こつこつと、誰かが歩いてくる気配がした。
おそらくは、このお屋敷の使用人だろうと思った。
その勘は運良く、というべきか、運悪く、というべきか当たり、廊下から現れた執事と思しき壮年の男性と目が合ってしまう。
「あ……ええと、あの……わたくし、あやしいものではありませんのよ?」
これ以上ないほどに怪しい言葉をその執事にかけたわたくしであった。
しかし、執事の方は、
「ええ、存じ上げております。エリカ様。よくいらっしゃいました。奥様も……」
と、わたくしのことを知っているらしい口振りだ。
わたくしの顔と名前は、例の事件でもって、この国中の貴族に知られている。
それを考えるとわたくしの顔と名前を知っていることは特におかしくはないのだが、この冷静さはおかしい。
なにせ、わたくしは首を落とされて死んでいるのだ。
それがこうして目の前に現れて、ここまで落ち着いた雰囲気で頭を下げて挨拶できるほど胆力のある執事というのがこの世に存在するのかどうか。
それに加えて、聞き捨てならない台詞も聞いた。
その執事は、ルサルカを見ながら、言ったのだ。
そう、確か……。
「……奥様?」
かくりと首を傾げながら尋ねるわたくしに、執事は言う。
「ええ。後ろにいらっしゃるのは、ルサルカ様でございますね? カタラ伯爵の奥様の」
わたくしはその台詞に驚いて、ぎぎぎ、とルサルカを見つめた。
ルサルカはわたくしのもの言いたげな視線に微笑み、言った。
「はじめまして、エリカ様。カタラ伯爵夫人、ルサルカですの」
わざとらしいほどに貴族的な性質を帯びさせたその微笑みは、確かに貴婦人と言うに相応しいもので……けれど、わたくしの心の中は、そんな馬鹿な、という気持ちでいっぱいになったのだった。
◆◇◆◇◆
「それでは……カタラ伯爵というのは……」
領館の中の一室、応接室の中で、紅茶を飲みながらわたくしはルサルカに尋ねる。
周りには使用人たちが立っているが、どうやら彼らは皆、不死者のようだ。
集中してみると、その気配がわたくしにもわかる。
ただ、人族だったころにはわからなかっただろう。
それくらいに微弱な気配だった。
ルサルカは言う。
「アルタスにおいて私たちが活動しやすいように置いている、隠れ蓑のようなものですわ……あるじ様。ちなみに、私も本当に結婚しているわけではなく、対外的にそう名乗っているだけです」
全くもって、驚くべき事実である。
"カタラ伯爵"は存在しない。
そう言うことらしい。
けれど、それはあくまで人族の、という枕詞がついた上での話であって、実際にそう名乗っている人物はいるという。
「だいたい想像がつくかと思いますけれど、カタラ伯爵役はクーファですわ。ごく稀にパーティーなどに行って荒らしたりもしたりして楽しんでいるようです。まぁ、それは私もですが」
カタラ伯爵の評価、美男子で洒落者、というのは、あの吸血鬼の始祖のものだったというわけだ。
言われてみると、納得がいく。
しかし、クーファやルサルカほどの美人が社交界に現れればかなり話題になりそうなものだが、わたくしは生前、それほど聞いたことはない。
それなりに素敵だとは聞いていたが、このくらいの評判なら色々な貴族についてくるものだから、きっと噂だけで大したことないのだろうな、と思ってしまうようなものばかりだった。
その点について尋ねてみれば、
「私もクーファも、その辺りの記憶は曖昧になるように魔術を使ってきましたから、さほど噂にはならないのです。それに、あまり大規模なパーティーには行かないようにしていましたし、頻度も年に一度行くか行かないかくらいでしたから」
あまり大勢の人の記憶が抜け落ちたり曖昧だと怪しまれる可能性もなくはないからだという。
「わたくしも実は会ったことがあったりするのかしら? 忘れているだけで」
気になって尋ねてみると、ルサルカは首を振った。
「いえ、エリカ様とお会いしたことはないですわ。クーファもないと思います。ここ十年ほどはそう言った集まりからは離れておりましたから……」
つまり、わたくしが社交界デビューしてから出席したパーティーはないということのようだった。
それは良かったと思った。
記憶がいつの間にか抜け落ちていた、なんてことはたとえ気づいていなかったのだとしても遠慮したい話だからだ。
さらにわたくしは気になっていることを尋ねていく。
「カタラ伯爵がクーファで、その夫人がルサルカだということはわかりましたけれど、それでは領民は? まさか全員、不死者だったりするのかしら?」
そうだとすると、カタラ伯爵領は恐るべき土地だと言うことになる。
それを全く気づかないアルタスという国もかなりまずいが、気づかれずにやってきた不死者たちはどれほどすごいのか。
けれど、ルサルカはこれについては首を振った。
「いいえ。皆、普通の人族ですわよ。エルフやドワーフなど他の種族もおりますけれど……大半は、何も知らずにカタラ伯爵領で生活しておりますわね。数百年と」
「数百年……そんなに? 問題は起きないの?」
不死者が領主などやっていて。
そんなはっきりと口にしなかった言葉も理解して、ルサルカは言う。
「起きませんわ。カタラ伯爵はずっとクーファが、夫人はずっと私が、子供たちなどは、まぁ、適当に不死者を見繕って演じさせたりしてきましたし……。領地の運営についてもうまくやっています。領地の産業はしっかりと育てましたし、利益は常に黒字です。他の貴族たちとの仲も良好ですし。もちろん、多少仲の悪い貴族というのもいますけれど、害がなければ放っておきますし、害がある場合も対応は容易です。領民からの支持も厚いですし……強いて言うなら、王都から距離がありますから、流行のお洋服や宝飾品が手に入りにくいというところでしょうか? とはいえ、私たちには転移がありますし、その気になれば……というわけです」
ルサルカの説明に、わたくしは開いた口がふさがらない。
これほどの秘密を、カタラ伯爵領が抱えているなど、アルタスの人間の誰が想像するだろうか。
普通の、歴史の長い名家だというくらいの認識しか持っていないだろう。
それなのに、本当は不死者が秘密裏に支配する領地となってしまっているのだ。
ここがアルタスの南方、つまりは"夜の城"のある"見捨てられた土地"に接続しているのも偶然ではあるまい。
ルサルカの説明は続く。
「本当は……と申しますか、昔はカタラ伯爵というのは本当にいたのですけれど、何を思ってか"夜の城"に軍勢を率いて攻めてきましてね。軽く滅ぼしてあげたのですが、その際に、利用価値があるだろうと思いまして、不死者の一人をカタラ伯爵の身代わりに立てて戻らせたのです。それから徐々に人をすり替えていき……今では、関係者のほぼ全員が、不死者というわけですわ」
気の長い計画もあったものである。
しかし、時間をかけたからと言って簡単に出来ることでもない。
なぜなら、貴族の血筋はアルタスにおいてはアルタス聖教会によって管理されているからだ。
というのも、一定の年齢……五歳になった貴族は、聖教会に赴き、洗礼を受けることとなっているのだが、この際に、その持つ魔力資質を教会が管理する特殊な魔道具に記録し、個人証明とするということがやられているからである。
これによって、その者が本当にその貴族の血筋なのかどうか、ということの判別をしている。
つまり、身代わりを立ててもそれをごまかせるはずがない、のだが……。
「聖教会の個人証明の方は一体……?」
わたくしが尋ねると、ルサルカは、
「生きているとき、生き物は個人によって固有の魔力資質をもっているものです。それは私たち不死者も異ならないのですが、ただ、厳密に言うなら、それを不死者の個人証明として用いることはできません。と、申しますのは、わたくしたちは、やり方さえ知っていれば、他人の魔力資質を模倣することができるからです」
――聖教会の審査は代替わりごとに、すんなり通っておりますわ。
代替わりなんて存在しないはずなのだが、問題なく通っているとルサルカは言う。
聖教会は場合によってはアルタス国王ですら逆らうことの出来ない巨大権力集団であり、個人証明を偽れば宗教法に基づく極めて苛烈な罰を与える。
それは魔力の封印であったり、破門であったり、場合によっては極刑、一番酷ければ家ごと【浄化】されることもある。
そんな団体を容易く騙しているというのだから、驚くなというのが無理な話だった。
「ま、そういうわけですので、あるじ様は安心してここにご滞在くださいな。王都まではカタラ伯爵家から馬車を出して向かうことになる予定です。向こうにも"陛下"から賜ったお屋敷がございますので、王都ではそちらに滞在していただくことになります。身分の方は……そうですわね、カタラ伯爵家の遠縁にラウルス男爵家というのがありますから、そこのご令嬢ということにいたしましょう」
完全な身分詐称だが、これについてはルサルカがうまくやってくれるのだろう。
それにしても……。
「その、ラウルス男爵家というのも……?」
気になって尋ねると、ルサルカは微笑んでいった。
「もちろん、当主は不死者ですわ」
この国はわたくしがどうこうするまでもなく、もう駄目なのではないか。
そんな気がした。




