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第1話 プロローグ

「お前を許すことは出来ない……エリカ、何か、申し開きがあるなら言うがいい!」


 そう言って、アルタス王国第一王子殿下、ミューレン・ノル・アルタス様は、アルタス王国王都魔術学園の廊下で、わたくしを強く指さされた。

 その高貴なる血を引く白い肌は、今、怒りに呼応するように赤みが差しており、額には青い血管が浮き出ている。

 息は荒く、声は震え、そしてわたくしを指す指は震えている。


 彼とて、本意ではないのだろう。

 分かっている。

 いかに愛はなくとも、わたくしと彼は、親の決めた許嫁同士。

 男女の愛情は希薄だったけれど、間違いなく、わたくしたちの間には親愛の情があった。

 お互いの立場を理解し、これからの国を思って、二人で支え合って生きていこうという、共感の上に築かれた、確かな情が。


 それが崩れたのは、今、ミューレン殿下の背後で青い顔をして震えている少女の出現を原因としている。

 ミューレン殿下は、彼女をたまに振り返りながら、彼女を気遣い、そして私に怒りをぶつけているのだ。

 彼女こそが、国のために己の感情を律し、生きてきた殿下の恋心を刺激した存在。


 男爵令嬢、ノドカ・マードックだ。


 彼女の周囲には、ミューレン殿下のみならず、アルタスの騎士団長のご子息であるルーク・オルドレンさま、宰相さまのご子息でいらっしゃる、ヒューリー・ソルトさま、宮廷魔術師長のご子息のガレット・ドリーンさま、そしてわたくしのお兄さま……ワルド・ウーライリがいる。

 全員が、ノドカを気遣うように囲んでおり、また正反対に私のことを睨みつけている。


「申し開き……? なにを、なにをおっしゃっているのです、殿下! 私は何も……」


「嘘を言うな!? エリカ、お前がノドカに対して、数々の嫌がらせをしたことはすでに明らかになっているんだ! しらばくれても、無駄だ!」


 即座に言われた言葉に、わたくしは動けなくなる。

 まったく、心当たりのない話だからだ。

 そんなことは、一切していない……。


「いや、がらせ……? 私が、ノドカ嬢に? どうしてそんなことをしなければならないのですか……」


 けれど、殿下は、わたくしの言葉を受け入れようとはせず、


「理由など、明らかだ。私が、ノドカ嬢と一緒にいたところを見たのだろう? 確かに、私はノドカに惹かれていた。しかし、それでもお前は婚約者なのだ。何があろうと、結婚することになっていたというのに、なぜ……」


 なぜもなにも、何もしていない。

 そもそも、そんな現場をみたところで、わたくしにとっては問題ではない。

 わたくしは、殿下の心が欲しかったわけではない。

 ただ、この国のことを思い、民のために、殿下の隣でこの国の王妃として、働ければと思っていただけだ。

 そこに、情愛などない……。

 いや、全くなかったと言えば、確かに嘘になる。

 わたくしは、人に言ったことも、態度に出したことも一度もないけれど、殿下を愛していた。

 けれど、だからといって、殿下が他の誰かと恋仲になろうとも、口を出すつもりなどなかった。

 国王足るもの、跡継ぎを残すために後宮を抱えることなど当然に予定されている話であるし、王妃とはそういったことは飲み込まなければならないもの。

 だから、わたくしは、たとえこの学園で殿下が誰を愛しようとも、それはそれとして認めるつもりだった。


 ノドカ嬢のことも知ってはいたけれど、彼女に対して何かしたことなど一度もない。

 せいぜいが、話しかけられたときに、身分的にかなり下になる彼女に対して、彼女の地位でわたくしに話しかけることは不敬にあたることを注意しただけだ。

 そのときの言い方も、「のちのち、問題になることがありますから、ご注意ください」と言っただけの、穏当なものだった。

 けれどノドカ嬢は、

「そうなんですか。でも、のちのち、問題にならなくなりますので、大丈夫ですよ」

 とあっけらかんと言っていた。

 そのときの意味が当時は全く分からなかったが、いま、この状況でおぼろげながら、分かったような気がする。


 ノドカ嬢は、この学園における、有力者とされる者全員に大切にされているようだった。

 彼らは、この国でも特に重用されている者の子息たち。

 彼らに寵愛を受けると言うことは、それすなわち、絶対的な権力を手に入れるに等しい。

 このことを、あのときから予言していたとするならば、ノドカ嬢は恐ろしいほどの策士だったということになる。

 そして、それはおそらく事実なのだ。


 そのことは、ノドカ嬢を取り巻く有力者子息たちの視線が、彼女をはずれてわたくしに向けられているときの、彼女の表情で簡単に分かった。

 ノドカ嬢はわたくしを見ながら、どこか歪んだ笑みを浮かべているのだ。

 そして、その口元は「ざまぁみろ」と言っている。

 どうやら、わたくしは彼女に相当恨まれていて、その結果としてこんな状況に置かれているらしい。

 しかし、心当たりはない。

 なぜ、こんなことになっているのだろう……。


「殿下、わたくしは、殿下の婚約者として、恥ずかしくないように振る舞うべく、努力して参りました。その中には、たとえ、殿下がこの学園で誰と恋仲になろうとも、関知しないようにする、というものもあります。わたくしは、殿下がノドカ様とどのような関係にがあろうとも、思うところはないのです……」


「……白々しいことを。仮にそうであるならば、ノドカはこのような怪我など負っていないはずだ」


「怪我……?」


 何を言っているのか、と思ってノドカ嬢を見てみると、彼女の額からは血が流れているのが見えた。

 あれは一体……。


「おまえが負わせた傷だ。階段から突き落としたのだろう? 本人から聞いている。目撃者もいる。観念するんだな」


 目撃者?

 首を傾げていると、殿下の視線が野次馬の中にいる二人の貴族子女に向けられた。

 その二人には、見覚えがある。

 たしか、ノドカ嬢の友人のリンカ・ファルス男爵令嬢と、ルリ・ポライ子爵令嬢……。

 しかし、彼女たち二人は下を向いて、わたくしの目を見ない。

 それで分かった。

 彼女たちは嘘を言っているのだろう。

 わたくしに心当たりはない。

 当たり前の話だ。


「殿下……わたくしは……」


 二人の目撃者の嘘を糾弾しようと、わたくしが口を開こうとすると、


「ひっ……で、殿下! いま、エリカさまが恐ろしい目で私の友人たちを見ました。やめて! 彼女たちを殺さないで!」


 と、大声でノドカ嬢が叫びだした。

 そんなことはしていない!

 そう、言いたかったけれど、殿下はノドカ嬢の肩を持つ。

 呆れた表情でわたくしを見て、


「……エリカ。お前も公爵令嬢だ。手荒なまねはすまいと思っていたが、そこまでする気なら……」


 そう言って指を鳴らした。

 すると、どこからともなく現れた衛兵がわたくしの腕を掴み、そして引っ張っていく。

 おそらくは、学園の懲罰室に連れて行く気なのだろう。

 あそこは、本来、学園への不法な侵入者を放り込む場所で、だからこそ非常に厳重に作られている。

 そんなところへ連れて行くからには、もはや殿下はわたくしの申し開きなど一切聞く気がないのだろう。

 そうなっては、わたくしの命は終わりだ。

 いや、それはいい。

 それよりも、こんな汚名を着せられては、我が一族の名誉が……。

 そう思って、引きずられながらも、わたくしは叫んだ。


「殿下! わたくしは何もしておりません! 仮にしたとしても、我が家は何も関わってはおりません!」


 それだけでも言っておかなければ、と思ってのことだった。

 けれど、殿下は、


「……お前の家の不正についてはすでに調べがついている。お前の父は国庫からの横領が、お前の母については社交界に不法な薬物を蔓延させた罪が、な。お前の兄は、このことを調べ、私に報告した。自らの地位や命が危うくなることも理解してだ。であるから、お前の両親、そしてそれに関わった者すべての処刑のみで許し、お前の兄にお前の家を継がせることになった……」


 そんなことを言った。

 横領?

 違法薬物?

 そんなバカなことがあるはずがない。

 父はここ数年、地方の領地にこもりきりだったし、母も同様だ。

 どうやってそんなことをするというのだ。

 それを兄が報告した……?

 ありえない。

 そもそも、兄はこの学園に入学するまでは他国に留学していたのだ。

 学園に入ってからは、実家にはほとんど寄りつかなかった。

 ウーライリ公爵家の重要な書類に触れる機会などない。

 それなのに……。


「お前の家でただ一人、潔白だった彼に感謝するといい。悪しき家として、我が国の歴史から消滅させられることだけは避けられたのだからな……では、次は死刑台で会おう。エリカ。残念だ」


 わたくしは、絶句して、何も言えずにそのまま衛兵に引きずられていった。


 それから、やはり案の定、懲罰室に連れて行かれた。

 その後は王都の牢獄へ。

 さらに長い尋問を受け、裁判を経て、極刑が決まり、民衆の前で首を落とされることが決まった。


 断頭台に上がったわたくしは、満身創痍で、もはやすべてがおぼろげにしか見えなかった。

 何が悪かったのか。

 わたくしが、両親が、何をしたのか。

 両親は、わたくしより先に首を落とされている。

 二人の首が、わたくしの断頭台の横に並べられていた。

 数分の後、わたくしの首も、ここに並ぶことになるのだろう。


「……冥界で反省するがいい」


 首を断頭台にかけられあと、ギロチンのロープが切れる直前に聞こえたのは殿下の声だった。

 ザザザッ、と、重い刃物が落ちてくる音が耳に聞こえ、直後に首に重みがかかる。

 恐ろしく熱いものが首に走り、そして視界がとつぜん、ふっ、と飛んだ。


 ――空を飛んでいる?


 いや、わたくしの首が、飛んでいる。

 そういうことなのだろう。

 どうやら、人間、首を飛ばされても少しは意識があるものらしい。

 人生の最後におもしろい発見だった。

 だからといって、どうということもないが。


 それから、どこからともなく、


「……やっぱり悪役令嬢が死ぬとすっきりするわ。これさえ見届ければ復讐の心配もないしね。ふふっ。何も罪なんて犯していないのに、悪役令嬢なんかに生まれたばっかりに、ご苦労様」


 と、少女の声も聞こえた。

 その声は、ノドカ嬢のもの。

 わたくしの処刑を見に来た、観客たちの方から聞こえてきた。

 辺りは騒々しいのに、なぜかその声だけ、はっきりと耳に響いた。

 明らかに、その声は、わたくしの死をあざけっていた。

 それに、彼女はわたくしに罪がないことを、知っていたこともはっきりとした。

 やはり、わたくしは、彼女にはめられたのだ。

 わかってはいたが、こうして改めて本人の口から聞かされると、おそろしいほどに腹が立った。

 わたくしは、何もしていないのに。

 お父様も、お母様も、何もしていないのに。

 どうして、どうしてこんなひどいことをするの。


 ――復讐、してやりたい。


 瞬間、心の底から、そう、思った。

 ろうそくの火がぽっと点るような、ぼんやりとした、けれど確かな気持ちだった、

 だれかを恨んだことなど、生まれてこの方なかった。

 人は、人を恨むのではなく、愛するために生まれてきたもの。

 そう思って、生きてきた。

 けれど、死の瞬間に至って、わたくしは憎しみに目覚めてしまったようだ。

 自分の最後を汚すようで悲しかったが、人間、こんなものなのかもしれないと思った。

 出来ることなら、この最後の思いを、どうにかして実現したい。

 深くそう思ったりもした。

 けれど、わたくしは今から何秒も経たずに死ぬ。

 いや、もしかしたら、もう死んでいるのかもしれない。

 だから、もはやどうしようもない。

 わたくしは、なにもできずに、人生の幕を閉じる……。

 本当に、悔しい。

 どうしようもなく。

 この思いを果たせるなら、どんなことでもするというのに。


 そう思った。


 すると驚いたことに、


『……復讐、したいのか?』


 と、どこからともなく、声が聞こえてきた。

 穏やかで、優しげな声だ。

 不思議なことに、わたくしは、深い慈しみをそこに感じた。

 幻聴かもしれないとも思ったが、もはやわたくしは死ぬのだ。

 なんでもいい、と思った。

 なんでもいいから、すがろうと。

 そして、わたくしは、答えた。

 これは悪魔からの問いなのかもしれないと思いながら。


「復讐、したい。あの女に。そしてこの国に、わたくしと両親を陥れたすべてに、復讐したい! わたくしは、この国のすべてを、呪う!」


 声にはなるはずがなかった。

 すでに、わたくしの首は胴体から離れている。

 のどに空気を送るべき肺を、わたくしはもはや持っていないのだ。

 けれど、心の底から、叫んだつもりだった。


 すると、飛びながら見える景色……わたくしの死刑を見に来た観衆たちが怯えるように声をあげた。


「く、首がしゃべった!」

「のろいの声をあげている!」

「この国は、この国は呪われるぞ!」


 そんな声を。

 そして、わたくしの頭に話しかけてきた声は笑って言う。


『まさか、首だけで叫ぶとはな、死の淵にあって見上げた娘よ。よかろう……私がじきじきに、お前に力を授けよう。とはいえ、お前も疲れただろう。今は、ゆっくりと眠るといい。穏やかな、死の眠りだ……さぁ……』


 子守歌のように優しげな声が、わたくしを深い眠りへと誘う。

 周囲に衛兵が大勢やってきて、槍を振りかぶる姿が見えた。

 わたくしの首を、つぶす気なのだろう。

 のろいの声などあげた首を、そのままさらすわけにはいかないというわけだ。

 まぁ、それなら、それでいい。


 ただ、わたくしは……。


 その先を考えることなく、わたくしは、深い眠りの中に落ちた。


 これは、永遠に目覚めない死の眠り。


 そのはずだった。

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