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なんという、白であろうか――。


空を舞うその白に目を奪われ、黒衣の男は足を止めた。

長身で、均整のとれた体つきの男である。

その目は研ぎ澄まされた刃のごとく鋭く、威圧感は大変なものだが、その顔立ちは整っている。

身に着ける黒衣は懸衣型のもの(つまり和服)。この世界の標準的な服装である。

帯にある根付は牙を模したものだが、それは黒衣の中で眩く見え、ひどく目を引いた。


その男は、空高くを行く手の届かない白の行方を目で追う。

やがて姿を消したそれに、彼は舌打ちした。

それは、消えてしまったことを残念がるものではなく。


「ミズスギさま、ミズスギさまー!」


姦しく己の名を呼ぶ声に、やはりか、と彼は眉間にぎゅっと皺を寄せた。


「カミさまが、カミさまが、またいなくなったと騒ぎに!」

「ええ、今見かけましたよ。また界渡りをしたようです」


後ろからミズスギを追いかけてきた若い男は、半泣きである。

慌てたせいで途中で転びでもしたのか、あちこちに土までつけていた。

紺色の衣に身を包んだ若者は、やはり牙の形の根付を身に着けている。

それは、彼らが同じ組織に身を置いているという証であった。


狼狽を露わにする若者を前にミズスギは嘆息し、落ち着いた声で返す。


「すぐに連れ戻しますから。私の代わりに他のモノを見回りにやってください」

「は、はいぃ!」


こくこくと若者が頷くのをいちいち確認せず、ミズスギは己の愛刀を呼び出した。

丸腰だったはずの彼の手に、ふっと黒の刀が現れる。

体躯には似つかわしくないほどの巨刀を、ミズスギは無造作に振るった。

下から上へ。

刀は何もない空間を当然のように裂き、ミズスギはその裂け目に体を滑り込ませる。

その目はどこまでも鋭くきつく、怒りの色を宿していた。

 

――ああ全く、あの白色のカミときたら。






朝からなんとなく気分が良く、上手くいくような気がしたのだ。

ふわふわと上機嫌に空を舞っていた『カミさま』は、そのつもりもないのに守役を置いてきてしまったことに気付いて、にんまりと笑った。


「これは、チャンス」


男女の別なく目を奪う美貌の持ち主の笑顔は、ひどく艶やかなもの。

卵形の顔は作り物めいた白さで、アーモンド型の目、熟れた果実のような唇が、精巧に配置されていた。

白くひらひらとした衣装が彼女の細身を包み、その美しさを際立たせている。

その白い布と、腰よりも長い豊かな黒髪が風に靡けば、それは彼女を後押しするかのごとくだった。


やはり今が、望みを果たす良い機会なのだ、と『カミさま』は判断する。

何百回目かの失敗の後、しばらく大人しくしていたから、あいつもきっと油断していることだろう――。


「そうと決まれば……」


彼女はカミとして持って生まれた力を使う。

界を渡る。

生まれた世界とは、別の世界へ。

無理矢理に介入するのではなく、どこまでも自然に、彼女は界の隔たりを越えた。


見下ろす世界は、彼女の知らない世界。

知らないカミが、つくった世界。

そこには、彼女の求める<穢れ>があった。

『カミさま』はそれを見つけ、真っ直ぐにそれへと下りていく。

しかし。


「――あなた、何度私の邪魔をすれば気が済むんですか」

 

声をかけられると同時に腕のひらひらした裾を引っ張られ、『カミさま』はつんのめった。

げ、と振り向けば、そこには端正な顔を凶悪な形相にした男がいる。

ミズスギだ。


「邪魔してくるのはお前の方だろう! 追いついてくるの早すぎ……」

「目の前でお消えあそばしてくれやがりましたからね」

「油断どころか目撃されてた……!」


悔しがる『カミさま』の裾をずるずると手前に引くと、ミズスギはその腕を掴んだ。


「さ、とっとと帰りますよ」

「まだ何にもできてないのに……!」


それでも別の界でミズスギとやりあって騒ぎを起こすわけにはいかず、『カミさま』は引きずられるまま、元の界に戻された。


「カミさま……!」


するとすぐに、守役に抱きつかれて、『カミさま』はよろめく。

丸顔の守役は、『カミさま』が生まれた時から側にいる、彼女の護衛である。

育ての親とも言える守役はぐちゃぐちゃに泣き濡れていて、『カミさま』の罪悪感を刺激した。


「心配したんですよ……!」

「ごめんねー……」


小柄な守役を、『カミさま』はよしよしと撫でて宥めてやる。


「でもわたしこれでもカミだから、そんなに心配しなくても大丈夫なのに」

「そりゃあこの界ならそうでしょうけど、別の界では何が起きるか分からないじゃないですかぁ!」


というより、あえてその何かを起こそうとしている『カミさま』なので、何とも返せなかった。


「……全く、守役さんをこんなに心配させて、悪いカミですね。自重してくださいよ」

「うっさい」

「まあ、あなたの学習能力に関しては期待しない方が良いと知っていますがね。何度もこうして泣かせているのに懲りないようだし……、守役さん、こんなのには見切りつけて別れた方がいいんじゃないですか?」

「やめてくれる!? 浮気繰り返す亭主みたいな扱い、やめてくれる!」

「おや、違うんですか」

「違うに決まってるだろうが!」

「いえ、皆さんに愛をふりまいていらっしゃるのでてっきり……」

「そりゃわたしはそういうカミだから、」

「おやそうなのですか。私に対しては慈しみが感じられませんが」

「ああ言えばこう言うお前をどう慈しめって言うんだよ……!」


「……お二人とも、本当に仲がよろしいですねぇ」


二人の会話に涙を引っ込め、ころころと笑いだした守役に、『カミさま』とミズスギは口をへの字に結んだ。


ふぅ、と息を吐いて、ミズスギは一歩下がる。


「それでは私は、仕事に戻ります」

「すみません、ミズスギさま。ありがとうございました」

「いえ、この界の治安を守り皆さんの不安を取り除くのが私の仕事ですから」

「立派な台詞だな。顔はむしろ怖がらせる方なのに」

「皆を不安にさせるカミさまには是非見習っていただきたいものですね」

「カミさまにだってカミさまを休む時間があってもいいだろ」

「ふむ、皆の心を弄ぶのはそんなに楽しいですか」

「そのネタ引っ張るなぁ!」

「皆の心を弄ぶつもりがないのなら、どうして界を渡りたがるのです。何百回と失敗を繰り返しているというのに」

「お前は質問も普通にできないのか……」

「普通に質問すれば答えていただけるのですか?」


『カミさま』は詰まった。

何故、界を渡るのか。

その質問とて数え切れないくらいされているが、彼女は一度もそれにまともな答えを返したことがなかった。

思いの外、ミズスギは真剣な眼差しで『カミさま』を見つめてくる。

『カミさま』は怯んだが、それはミズスギにだけは、言うわけにはいかないのだ。

今は、まだ。


「……いつも邪魔してくるお前には教えたくない」

「……そうですか」


果たして、ミズスギはあっさりと引いた。


「あまり私の負担を増やさないでください。あなたと違って多忙なんです」


嫌味を残し、今度こそミズスギは背を向ける。

その背にあっかんべをして、『カミさま』は守役に窘められた。


――いいじゃない、こんなささいな意趣返しくらい。


『カミさま』は黒い背中を睨むようにしながら、思う。


――何度も何度も、邪魔するんだから。


わたしがそれをするのは、お前と生きたいがためなのに。




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