第8話 魔王、死後の世界を説く(4)
転生という価値観が広がれば、死の恐怖を多少はやわらげることができるだろう。アルカインはそれなりに満足していた。
一方で、輪廻転生という本来の仏教が批判しようとした概念が味方になるというのも皮肉な話だと思った。
もっとも、こういうことは地球での仏教の流布の中でも起こった。
とくに強かったのが仏教が中国にまで伝わった時だ。輪廻転生の概念は死が終わりではないということを意味する。自分の体も心も消滅してしまうのではと不安がっていた人間にとって、これはこの上ない励ましになった。
結果として、仏教は中国で繁栄し、それが日本にももたらされた。
それは魔族の世界でも同じということになるだろう。布教に成功したと言えるかどうかはもっと先のことだが。
――相手によって説く内容を変えろと仏典には書いてあるが、こういうことを言うのだな。
さて、会議は終わりだ。今日のところは残りの仕事もやめてゆっくり休もう――と思ったのも束の間、何かが迫ってくるのを感じた。
横で行儀よく話を聞いていたはずの妹のロザールが席を立っていた。
あっ……これは来るぞ……。
「さすが、お兄様ですわ! 死んでいった者のことにまで気づかいを見せるだなんて、ここまですぐれた王が過去にいらっしゃいましたでしょうか! まさにわたくしたち魔族の誇りですわ!」
などと言って、ロザールは飛びついてくる。問題は、この飛びつき方の勢いが幼さの残る娘のものなどではないことだ。
よほど足に力をこめて用心しておかなければ、暴走する馬にぶつかったみたいな衝撃と共に壁に突っこむことになる。
アルカインも城に戻ったばかりの日に城門で突っこんでこられた。かわいい顔をしていても魔族は魔族だ。そんな華奢にできてはいない。
今回は、すでにロザールが来るのは読めていたので、踏ん張ってこらえることができたのだが――
「お兄様、せっかくですし、撫でてほしいのですわ~」
そのまま、小さな頭をアルカインの胸に埋めようとしてくる。問題は頭が小さかろうと――
「やめろって! 刺さるだろ!」
ロザールの頭には角が二本生えていることだ。
闘牛のように頭を下に向ければ、これが腹を破ることだって絶対にないとは言えない。
「姫様! 魔王様を殺す気ですか! すぐにおやめください!」
魔王の警護もつとめる女騎士のサリエナが諫める。職分に従った言葉のはずなのだが、ロザールからすると――
「あら、サリエナ、お兄様に抱きつけるわたくしのことがうらやましいと正直に言えばいいのに」
こういう結論になってしまうらしい。
「ちっ、違います……! ほら、ちょっと刺さりかけてます!」
サリエナがあわてたように赤面しているのを見る余裕はなかった。おい、刺さりかけてるってマジかよ! うわ、服に穴空いてるし!
そういえば、山梨の光禅寺の裏山でもよくイノシシが出たものだったが、あいつらもぶつかってくればこんなことになったのだろうか。そんな異世界の記憶がアルカインは頭の片隅に浮かんだ。
「あなた、以前は騎士程度の身分のくせにわたくしを愛するお兄様から引き離しましたわね……。あの恨みは忘れませんわよ……」
戦争から帰国した時、サリエナに頼んでロザールを離させたのだが、ロザールとしてはまだ納得がいってなかったらしい。
「サリエナ、どうせ、あなたの身分ではお兄様と結ばれる可能性はありませんから、意味のない恋心は捨てたほうがいいですわよ」
少し意地悪っぽくロザールが言った。ロザールにとってみれば、サリエナは味方でもなんでもなく、敵でしかないらしい。
いや、それよりその内容のほうが気がかりだ。
恋心? まったくの初耳だぞ、そんなの……。
実はアルカインは政務に熱中していて色事をずっと軽んじてきたというか無視してきた身であり、しかも前世の正覚のほうも高潔に生きてきたから女色に溺れたこともない。
なので、女心の機微に疎いのも当然のことなのだった。
「恋心だなんて……そんな、だ、だいそれたものは持っていません! 私は近衛騎士として今のお仕事をつとめあげようとしているだけですっ!」
すぐさまサリエナは否定する。まあ、これだけ聴衆がいる場で肯定することなんて、どっちみちできないかもしれないが。
「あら、あまり言葉にキレがありませんわね。そんなおどおどしているようじゃ、近衛騎士だなんてつとまらないのではありませんこと? 違う方に代わってもらったほうがよいかもしれませんわね」
これは攻めどころだと思ったのか、ロザールが追撃を加える。
「わ、私は今のお仕事が気にいっていますから……」
「あら、気にいっているのは仕事じゃなくて、お兄様のほうではありませんの?」
にやにやと笑うロザール。ほかの会議の参加者も、サリエナってやっぱり魔王様のことが好きだったのかなどと考えていた。見たまんまなのだ。
ただ一人、アルカイン本人がよくわかっていなかった。前世が九十歳の僧侶だったというのは伊達ではない。
だが、真偽のほどはともかくとして、アルカインにはサリエナが傷ついたような顔をしているのが見えてしまった。
だったら、やることは一つだ。
ぽかん。
ロザールの頭を叩いた。ただし、角のところは避けて。
「い、痛いですわ……」
涙声で、ロザールは頭を押さえる。
「騎士を侮辱するような発言は、王族でもしちゃダメだ。朕の妹って意識があるなら、それぐらいはちゃんとしろ」
妹への注意なので、言葉もいつもよりくだけたものになっている。家臣たちの手前、王として振る舞うべきかもしれないが、そこは大目に見てもらおう。
「お前が朕のことを大切に思っているなら、朕が恥をかくようなことはしないはずだ。違うか?」
真面目な顔で言う。妹を叱るのもまた一つの仕事だ。
「ですわね……はしたない発言でしたわ……」
聞き分けがいい妹でよかった。
「じゃあ、サリエナにもこの場で謝れ」
「サ、サリエナにもですか……?」
「なんだ、何か不満があるのか?」
妹だからこそ、こういうところはしっかりしつけないといけない。ただでさえ、父親を幼い頃に亡くしているせいで、ロザールは誰かに叱られる経験もあまりなかったのだ。
「悪いことを悪いことと認められぬような者に従う者などいない。少なくとも、そんな妹を朕は嫌いだ」
この言葉は強烈だった。
「お、お兄様に嫌われてはわたくし、生きていけませんわ……」
アルカインのほうも「少しきつかったかな」と心配になるほどの意気消沈ぶりだった。
それでも、しつけには成功したらしい。
「わかりましたわ……。あの……サリエナ、悪かったですわ……」
まだ、少ししぶしぶといった調子があったが、ロザールは頭を下げた。
「いえ、こちらも取り乱しすぎましたので……」
サリエナも素直にその謝罪を受け入れた。
しかし、ロザールが突っこんできたせいで、威厳を保ったまま、会議を終えるどころではなくなった。どこにでもいる兄妹のやりとりをいちいち臣下に見せてしまった。あきれ返ったような顔をしている者がいないのが救いか。
ただ、法務長官のナタリアだけは小声で「みんな、子供ですね」と言った。ダークエルフの人生経験の長さからすると、子供がはしゃいでるように見えるのだろう。
『まあ、こんなふうに少しぐらいは楽しんでもらってもいいのですよ。魔王の身で清い体のままというのも、ちょっと不自然なのです』
頭に声が響く。普通なら幻聴かと疑うところだが、アルカインには心当たりがあった。
これは転生の契機を作った竜女だ……。
『もちろん、女遊びにかまけるようでは仏道に打ちこんだ者として失格なのです。でも、そのあたりはあなたは破目を外す性分でもないと思うのですです~』
といっても、前世の記憶を思い出したのはつい先日のことなのだが……。まあ、魂が同じであれば無意識のうちに似たような行動をとるのかもしれない。
――色恋を楽しいと思う生き方はしてこなかったので無駄ですよ。
心の中で竜女に向かって答える。
『といっても、魔王が子孫を作らなかったら、また世が乱れますよ』
――そ、それは、どうにかします……。
面倒な宿題が一個増えたなと思いながら、アルカインは会議の閉幕を宣言した。




