第35話 魔王、大陸に教えを広める
二月中旬、アルカインはフォールズ郡にある慰霊塔の見学に訪れた。
前回、人間と魔族の争いがあった土地だ。そこにブッダ教の教義にのっとった塔が建てられている。
墓碑には、戦死した魔族と人間の鎮魂を共に祈る、という旨のことが書かれている。
「うむ、朕の伝えたとおりにできておるな」
正式には紛争地帯の状況視察が目的なのだが、アルカイン自身としては正しく慰霊塔が作られているかということのほうに関心があった。敵にも祈りをというのは、感覚として理解しづらいことだからである。
これで視察はなかばすんだようなものだった。現状、人間が攻め寄せてくるという話も聞いてはいない。ひとまずの平和が実現されている。
しかし、そこに急ぎの報告に現れる者がいた。ゴブリンの背の低い兵士である。
「そんなに息を切らして何用であるか?」
「申し上げます! 人間たち十余名がどうしても魔王様にお会いしたいと……」
いくらなんでも怪しい。普通ならアルカインも首を縦には振らないところだ。
だが、追加の一言が効いた。
「なんでも、ブッダ教について学びたいとやってきた者たちのようで……。皆、亡命してきた聖職者のようなのです……」
「亡命? 本当に命を懸けてまでやってきたのか?」
「それがサマラント王国のイスファラという者が代表であると名のっておりまして、魔王様はお話だけでも聞いてくださるはずだと……」
思わず、アルカインはにんまりと笑いそうになった。
「よし、警護をつけたうえで会ってやろうではないか」
結論から言えば、魔王を狙う暗殺者などではなかった。彼らは自分たちの宗教について本格的に考えた結果、かえって国内での居場所を失ったりした者たちだった
その中に、以前、アルカインと面会したイスファラもいた。
「久しぶりであるな。今回は股どうしてやってきた?」
「ブッダ教についての考えのほうが、よりこの世界を幸せにできるのではないか、より神について詳しく語っているのではないかと考えたからです……。しかし、信徒が一人もいない場所では、学ぶこともかなわず……」
その思い詰めた表情にアルカインはたのもしささえ感じた。
――この者たちはいつか、新たな教えを作り出すだろう。それがブッダ教か、それに敵対するものになるかはわからんが。
古来、ほかの宗教の教義をベースにして新たな教えを作っていった宗教はいくつもある。だから、うかつに教えのエッセンスを伝えるのは多少の危険もありはするのだが……。
――ものを惜しむのは布施の精神に反するからな。
結果的にこの大陸が仏教的な価値観で覆われて、これまでより平和になればそれでよいのだ。
アルカインは彼らにブッダ教について語れるだけ語った。また、一部の者には、亡命して学びに来る者の手引きもさせた。
やがて、人間の国家でも、魔族の領土に近いところを中心にブッダ教の影響を受けた宗教改革が行われるようになる。
これは当初、すぐに弾圧されてつぶされていたが、やがてじわじわとその影響力を増すようになり、ついには国家に対する反乱にまでなっていった。
そして、ブッダ教の影響を受けた宗教改革は人間の国家でも少しずつ認められ、ブッダ教が成立してから十五年、ついに人間と魔族の会議が持たれるまでになる。
どちらかがどちらかを滅ぼし尽くす、それが現実的ではないということにようやく人間たちも気づきだしたのである。いや、気づいていた者は多くいただろうが、それをはっきりと声に出して唱えることができる環境が整備されていなかったのだ。
もちろん会議が開かれることと平和が訪れることは別である。それにすべての人間の国家がそれに賛同したわけでも参加したわけでもない。
だが、ようやく戦争以外の解決策が人間と魔族との間に生まれたのだ。
アルカインはブッダ教を作って十五年後も淡々と寺院の整備や経典の編纂を行っている。時が経つにつれて、道徳的な内容では飽き足りなくなってきた者たちも増えてきた。彼らのために、一見矛盾していたりおかしいようにさえ見えかねない禅の真髄を教えるために骨を折っていた。
――まあ、前世よりは充実しておるかもしれんな。
とくに肩肘を張ることもなく、アルカインは経典を作っていく。
◆終わり◆
すいません、書ける時間がなくなってきて、間隔もけっこう空いてきてしまって申し訳ないので、新年のところを書いてきりのいいこのあたりで一度終了とさせていただきます。
また少し書き溜めてから、新しい話を書いていきたいと思います。これまで読んでくださった方、ご意見・ご感想をくださった方、本当にありがとうございました。




