第30話 魔王、妹の前世に気づく
式のあと、アルカインは城のみずからの部屋で休んでいるロザールを訪れた。
「あら、お兄様からわたくしのもとに来てくださるなんて珍しいですわね」
疲れはあるだろうが、それは心地よい疲労感なのか、ロザールの目はまだ生き生きとしていた。
「あっ、もしかしてついにわたくしの愛に気づいてくれましたの? よろしいですわ! お兄様のためになら、わたくし、この体もすべて投げ出す覚悟ですわよ!」
「違う……。そういう目的で来たのではない……」
「な~んだ、がっかりですわ」
半分冗談なのだろうが、ロザールはふてくされたような顔をした。なんだかんだで魔王アルカインを手玉に取るのは、この妹だけだ。
「本当にお前はよくやってくれた。お前のおかげで魔族の世界にも歌舞が広まっていくだろう。ただ、式とは別にどうしても気になることがあるのだ」
笑おうとはしているが、アルカインの顔はわずかに硬い。
「なあ、お前はあまりにも感覚が魔族からかけ離れている。実は前世の記憶があるのではないか?」
語調はわずかに強くなった。
別にそれを知ったからといって、兄と妹の関係が変わるわけではないのだが、妹のことだからこそわからないままになっている部分は減らしておこうと思った。
もし、前世が地球の人間だとしたら、多くの部分で共通認識があることになるし、意見や知識のすり合わせをしているほうがいい。
自分以外にも仏教に詳しい者がこの大陸にいて、しかも影響力を持っているとなると、アルカインの今後の計画にも関わってくるからだ。たとえば、まったく別の宗教の顔をして、真言宗や浄土宗に似たものを打ち立てられると、アルカインのブッダ教と対立してしまう危険もあった。
「前世なんてわたくし、まったく知りませんわよ……」
けれど、ロザールの反応は相変わらず弱々しい。それだけならいいが、そのまま泣き出してしまいそうにも見える。
「わたくし、お兄様のためを思ってやったつもりですのに……何かよくないことをしてしまいましたでしょうか……」
「あっ、責めているわけじゃないんだ……」
もちろん、妹を苦しめるためにこんなことを言いに来たわけではない。今度はアルカインがたじたじになる。
やはり、ロザールは無意識にやっているのか。前世の記憶がないのは自然なことだが、だとすると、どんな前世を生きていたのだろうか……?
「輪廻転生が行われている以上、朕やお前にも必ず前世があるはずだからな。魔族の価値観とは違うものをお前が持っておるように思ったから、もしや前世の記憶があるのかと感じたのだ。何か前世の心当たりがあれば教えてくれぬか?」
といっても、この調子であれば知らないだろうが。前世の記憶がなくても、無意識のうちにその影響を受けることだってあるはずなのだ。
「心当たり……? ああ、そういえば、ワイヴァーンの力で空を飛んでいた時、とてもなつかしく感じたんでしたわ!」
ロザールの目の色が変わる。
――空を飛ぶのがなつかしい? だとすると前世は鳥であったのか?
「昔はこうやって自分で空を飛びながら歌っていた気がしますの。楽器を弾くのも得意だったような、絵を描くのも上手だった気もしますわ。たしか、地上で流行っていた絵を真似しに降りていってもいたような……。あれ……ということはわたくしはどこにいましたのかしら?」
――楽器の演奏、絵を描く……明らかに鳥ではないな……。そんなことができるのは人間だけだろうが、地上などというものを人間が意識するであろうか……?
しばらく、アルカインはロザールと一緒に悩んでいたが、
――ああ、そういうことか。
アルカインは得心したように何度かうなずいた。
「ロザール、お前の前世が何かわかったぞ。しかし、人間の漫画まで描いていたというのは、勉強熱心というほかないな」
「あら、人間以外に人間の絵を真似する者なんていますの?」
「お前はきっと天上界の出身者だ」
六道輪廻の転生先は下から、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六種類がある。この大陸で暮らしている一般の魔族たちも、おそらく六道の「人間」に当たるのだろう。
そして、人間より上の世界が一つだけある。天だ。魔族たちにはアルカインが天上界と教えているものだ。
天に住んでいる者を天人と呼ぶ。彼らは幸せに満ちた世界で暮らしている。悩みや苦しみがほとんどなく芸術に時間を割く者も多いし、空を舞うこともできるはずだ。
そして、芸術の才能も人間の平均のそれをはるかに超えている――はずだ。なにせ、天人の寿命は人間より圧倒的に長い。芸術に打ちこめる時間も桁外れだから、その道を極められる。
「わたくしは天上界の出身だったということですわね? だったら、光栄ですわ!」
ロザールは顔をほころばせる。前世が高貴な生まれだと言われたわけだから、当然のことだ。
「朕も鼻が高いぞ。あと、お前の能力の高さの理由もわかった」
天人出身者の割合がどれほどのものかは正確には知らないが、長命である時点で転生のサイクルも遅いはずであり、その数はごく一部だろう。かなりのレアケースの可能性が高い。最低でも前世が人間出身のアルカインより稀少であることだけはほぼ確実だ。
「まあ、わたくしは前世が何であろうと、お兄様の妹であるという、ただ一事が大事なのですがね」
片目だけを閉じて、ロザールは思わせぶりに微笑んだ。
もし、朴念仁のアルカインでなかったら、その魅力にくらくらとしただろう。
「そうか、天上界の出身者なら、お前みたいに美しいのも自然だな」
それはお世辞でも何でもなかった。天人はあらゆるものが美しい。技芸だけでなく、容貌もその恩恵にあずかっているはずなのだ。
しかし、ロザールはそうは考えなかったらしい。
「お兄様、わたくしのことを美しいだなんて……。もうこれはプロポーズのようなものですわね……」
いつもと比べるとしおらしく、ゆっくりとロザールはアルカインにひっついてくる。そんな調子だったから、避けるのも悪い気がして、アルカインもロザールの肩に手を置いた。これぐらいなら、破戒とは言わないだろう。
「角、撫でていただけませんか、お兄様……?」
とろけるような声でロザールは甘えてきた。
――これぐらいのご褒美ならよいか。
アルカインはロザールの二本の角を撫でてやる。ロザールは何も言わなかったが、幸せそうにしていることだけはよくわかった。
――どうやら、朕の近くには、頼りになるパートナーがいたみたいだな。
いつもより少し長く兄妹みずいらずの時間は続いた。




