第23話 魔王、仏像の開眼供養を行う
こののち、ブッダの絵画が布教を行う宣教師たちの手によって、領土の隅々の町や村にまで配られることになった。
民衆は見たことのない様式の絵に、「これはたしかに魔王様が実体験したとしか思えない」「でっちあげることなど不可能だ」「今までにない神のお姿だ!」と賞讃したという。
また、ほぼ同時に彫刻家の手によって、立派なブッダ様の仏像が作られることになった。
――そして、ブッダ教が生まれてちょうど半年ほどが経った頃。
首都のお膝元、建物としては大陸でも最長の五重塔が建つコーゼン第一寺院の本堂にて、ブッダの像開眼供養が催された。
彫刻はこの大陸の習慣として白い大理石が使われた。
色はついていないが、そのほうが日本の仏像の記憶があるアルカインにとっても違和感が少なかった。
もともと仏像というのはカラフルな彩色で作られることも珍しくなく、タイなどではいまだに派手な仏像が基本ではある。だが、彩色は長い年月の間にはげ落ちていく。現代日本で有名な仏像などはほとんどが木の地肌をさらしているものばかりである。彩色の強い仏像を見れば、あざやかというよりもケバいと感じる人間も多いだろう。
それに正覚は禅宗の僧侶であったから、余計に仏像はシンプルなほうがよかった。
ほぼできあがった彫刻に魔王アルカインが黒目の部分に筆で色をつける。すると、そのブッダ像に命が入ったように見えてくるから不思議だ。
――仏像を作るか悩みもしたが、やはり作ってよかった。これで民の心が救われるならそれに過ぎたるものはない。
居合わせた多くの者が「ブッダ様!」「ブッダ様!」「アルカイン様万歳!」「アルカイン様!」などと叫ぶ。声はいつまでもなりやまないように思えた。
そんな、聴衆のほうにアルカインはゆっくりと顔を向ける。
みんな、よい目をしていた。ブッダの教えが生きているのだ。
アルカインは自分が魔王という立場に生まれて本当によかったと感じていた。
無論、着のみ着のままの貧者でも仏法を説くことはできる。だが、貧者では多くの者が耳を傾けることはないだろう。自分は王の立場を最大限に利用できている。
だが、課題はまだまだ多い。
あらためてアルカインは気を引き締めて、民たちに語る。
「皆の者、ここに偉大なるブッダ様の彫刻が生まれた。だが、ゆめゆめ忘れてはなるまいぞ。これはブッダ様の素晴らしさを表現した作品でしかない。ブッダ様がお示しになられている真理は、我々の魂にも、この世のあらゆるものにも宿っている。この彫刻だけがブッダ様と勘違いするようなことがあれば、それは大きな誤りである。その時、この偉大なる像は民を惑わす恐ろしき悪魔と転じることになる!」
多くの聴衆が「わかりました!」「御意にございます!」などと叫ぶ。
「よし、では、もう一度、ブッダ様に祈りを捧げようではないか!」
アルカインは黙祷のように聴衆が静かに祈る様子を想像した。
だが、実際はそれとは大きく違った。
魔族たちが一斉に歌声をあげた。
それはまさしく魔族たちが感極まって自然と口から漏れ出た歌だった。
発声器官もまちまちな彼らのことであるから、歌というよりはメロディのある叫びといったほうがいいようなものだ。音楽について詳しい知識を持っている者もほとんどいないからやむをえないだろう。
けれど、信仰心のほうは薄くはない。
その歌詞はすなわち般若心経だったのだ。
――なっ! ブッダ教の経典もじわじわと広がっておるとは思っておったが、般若心経が自発的に出てくるほどまでになっておったか!
歌声を聴きながら、アルカインは思う。
――最初の半年の成果としては悪いものではないな。いやはや、ここまでくれば朕の力など、はるかに通り越しておる。龍女様や御仏のお導きに違いあるまい。
これからも多くの苦難があるだろう。そもそも、人間の国家にブッダ教はほぼ知られていない。魔族だけが一丸になってもこの大陸を平和裏に統一することなどできない。
――戦乱を何も行わずにすませることは難しいであろうな。朕が戦争を指揮する、つまり仏教を伝える朕が戦争で無数の人を殺す……。つらいが、それも乗り越えばならぬ。それもまた修行なのだ……。
万感を胸に秘めつつ、今だけはこの般若心経の歌による法楽に酔おう。
アルカインは胸に手を当てて、大陸の未来を祈った。
知らないうちにアルカインもその歌とも言えないような歌を口ずさんでいた。歌は上手ければよいというものでもない。この歌には心がこもっている。
戦前から戦後にかけての著名な禅の思想家兼哲学者は、禅の美術とは禅の心が入っているかであり、それがなければ形式が禅宗であろうと意味はなく、また心が入っていれば仏教美術である必要すらないと言った。
おそらく、これは禅の心の入ったもののほうに違いあるまい。
だが、アルカインはその歌声を聞いていて、感動とはまったく違うところにも意識が向いた。
――歌は布教にも生かせるかもしれんな。というか、この国家は歌についてずいぶんと遅れをとっておる。そこはどうにかせねばならん。




