第22話 魔王、仏像を作る(2)
魔族の世界でも芸術という概念はあった。
ただし、それも元々は人間の国家からの借り物だった。人間の国家では、神たちや神話に出てくる登場人物の絵を描いたり、彫刻を作ることは大昔から行われていた。魔族は人間の文化を取り入れる時に、これも導入することにした。
だが、長らく、魔族は宗教というものに関心が薄かった。なので、神についての像なども需要はほとんどなく、絵画や彫刻は富裕層がみずからの姿を長く残すために注文するものとなった。魔族にとっての芸術は事実上、世俗的なものとして出発したのである。
そして、人間の芸術の影響もあって、魔族の絵画や彫刻もリアリズムに則ったものが基本だった。写真のように、そこに本物がいるように作るのだ。ルネサンス期の絵画のような絵と言えばいいだろうか。逆に言えば、想像上の神を描くような習慣がなかった。
そんな状況で、誰も見たことのないブッダの絵を生み出そうとすれば、これは難しいに決まっているのだ。
さらに輪をかけてひどいことに、アルカインも正覚も絵が極めて下手だった。生まれながらにして、そういうセンスがないのである。
「違う、そこはもっと目が大きくなくて……いや、そういう点みたいな目でもなくて……違う、違う! それだと本当にいるみたいではないか!」
アルカインは図像を作るために連れてきた画家にいくつも注文をつける。とはいえ、注文自体が極めてあいまいだから、画家も混乱していた。
「あの、もう少しわかりやすくおっしゃっていただけませんと……今の状態だと何をお求めかも見えてこない状況でして……」
――くそ……。もう適当なところで妥協するか……? いや、仏像だぞ。妥協など許されていいわけはない。これ以上ないほどに見事なものにしなければ……。
アルカインも気持ちははやるが、それでない才能が湧いてくるわけではない。低レベルなところで行ったり来たりを繰り返す。
「ダメだ、まったく似ておらん……。朕の説明にも問題があった。今日のところはもうよいから帰ってくれ……」
肩を落として、アルカインは画家を下がらせた。画家も奇妙な依頼にまったく応じることができない無力感を覚えて、肩を落としている。双方、損しかしないようなことになってしまった。
そんな意気消沈気味のアルカインのところにロザールがやってくる。彼女は城内を我が物顔でいつも歩き回っていた。たしかに城をアルカインたち魔王の一族の持ち物と考えれば「我が物」であることに違いはない。
「お兄様、ブッダ様の絵のほうはいかがです?」
「ロザール、思うようにはいかぬものであるな……。朕は自分の才能に慢心しておったようじゃ……」
せめて自分で表現できないかと正覚の時の記憶を引っ張り出そうとするが、無駄だった。正覚自体が禅の修行を中心にしていて、仏像についてあまり意識を払っていなかったのだ。これが真言宗の僧であれば、無数の密教の神格にもっと細かく意識を向けてもいただろうが。
「悪いが、これではブッダ様を形にするのは時間がかかりそうだ……。ロザール、お前の希望には添えそうにないな」
ロザールはおもむろにそのブッダのできそこないの絵を描いた紙を手に取る。
その目は兄であるアルカインが見たこともないほどに真剣な表情だった。
――もしかして、ロザールは芸術に興味があるのだろうか。王族という立場からすれば、おかしなことなどないが。地球でも芸術のパトロンというのはいつも王侯貴族だったのだ。
だが、ロザールのそれは興味などというレベルのものではなかった。
「お兄様、一度わたくしに試させてみていただけませんか? わたくしなら、やれるような気がするのですわ」
この程度の妹の頼みであれば断るのも野暮というものだ。アルカインはまっさらの紙と筆ペンをロザールに渡した。
「では、まずは顔の特徴を教えてくださいませ。その通りに描いてまいりますわ」
いつになくやる気のロザールにアルカインも緊張しつつ、特徴を列挙していった。といっても、仏教経典の儀軌にあるような正確な説明ではなく、実にふわっとしたものである。
「なるほど、だとすると、ここはこうで、目はこんな感じでしょうか。あと、鼻はあまり目立たせずにと……」
どんどんロザールはペンを走らせていく。絵心があるのはアルカインにもすぐにわかった。
「あと、大事な点なのだが、ブッダ様は真理そのものであるから男でも女でもない。つまり、絵にする場合は男でも女でもあるような中性的な顔立ちでなければならん。その眷属ともなれば男女決まっていてもよいのだが」
「わかりましたわ。となると、このような顔立ちだとよろしいですわね」
ロザールの筆に迷いはない。どこでこんな練習をしたのかというほどだ。
――そして、時間にして十五分ほど経った頃。
「これでひとまず、完成ですわね」
ロザールの言葉にあらためてアルカインはその絵を見た。
「こ、これは新しい……はずなのに、どこかなつかしい……。なぜか、見覚えだけはある気がする……」
それは日本の漫画に極めてよく似たスタイルの絵だった。
目は大きく、やけにきらきらとしている。たしかに男と言えば男であるし、女と言えば女に見える。少女漫画とか、少年漫画の美少女キャラ的な顔である。
だが、そう認識できるのはアルカインが前世に日本人の記憶を持つからである。この大陸には漫画という言葉も概念も存在しないはずなのだ。
だとすると、どうしてこんなものが生まれたのか……?
「ロザール、お前、こんな技法、どこで学んだのだ……?」
アルカインは狐につままれたような顔をして、ロザールに尋ねた。
「わたくしもよくわからないのですが、血が疼いたというか、遠い昔の記憶が呼び戻されたような気がいたしまして」
――もしや、ロザールも地球人の転生した者なのか……?
輪廻転生した魂がほかの世界に向かうことはありえる。あと、転生前の記憶があるというのも、ありうる話だ。
「一つ尋ねるが、ロザール、お前、『地球』という言葉は知っているか?」
アルカインは一つかまをかけてみることにした。
「……さあ? まったくわかりませんけれど」
どうやら前世の明確な記憶まではないが、漠然と趣味だか職業だかの記憶はあるということのようだ。
そして、あらためて絵というかイラストに目を戻す。
――これはこれでアリかもしれんな。
これまでにない様式のものではあるが、一つの形は確立されている。それに中性的という基準も満たしている。あと、フィギュアというものがたくさんあったぐらいなのだから、仏像を作る時にも役に立つのではないか。
「ロザール、ありがとう。このような絵でもっと下絵を描いてくれんか」
「お兄様のためなら、このロザール、不眠不休で頑張りますわ!」
二週間後、ロザールの手によって最初のブッダ像の様式が確定された。
「これを写して、経典の中に組みこめば大きく異なったブッダ様のイメージが伝わることもないし、みなも同じブッダ様を頭に思い浮かべて祈ることができるだろう。ロザール、本当におぬしは偉大なことをした。兄としても、ブッダ教を広める使命を持った者としても礼を言わせてくれ」
二人で制作を重ねていた王の居室で、アルカインはロザールにこれ以上ないほどまでに感謝の言葉を述べた。もし、ロザールがいなかったら仏像問題は大きな暗礁に乗り上げていた。
「できればお礼は夫として言っていただきたいですわ」
いたずらっぽくロザールが笑う。その笑みもこれまでより艶かしくなっているように感じられる。
「それは、ダメだ……。朕が五戒を破ってどうする……」
すぐにアルカインはそっぽを向く。こんなふうに王をからかうようなことができるのはロザールぐらいしかいない。
「あら、臣下の働きに対して何の対価も与えないというのは王としておかしいのではありませんこと?」
そうっとロザールは腕をアルカインの腰に伸ばしてくる。アルカインは思わずびくっと肩を突き立てた。
「やめろ……。朕はこういうのが苦手なのだ……」
「それじゃ、せめて五分ぐらいはこのままでいさせてくださいませ、お兄様」
「ご、五分だな……わかった、五分だけだぞ……」
といってもロザールが何もしないわけではない。手がアルカインの腰を伝っていく。
――た、耐えろ……。これもまた修行だと思え……。
歯を食いしばってアルカインはこらえた。気を抜くと快感だと思ってしまいそうになる。もちろん、そんなことは許されたことではない。
女色に一度目がくらんでしまえば、若い女を優先したりして何かを不公平が生じるかもしれない。立派な王を続けるには、こんなものは遠ざけないといけないのだ。
そして、ようやく長すぎる五分が終わった。
「よし、五分……経ったな……」
アルカインは戦場を半日走り続けたのかというほどに疲弊していた。
「ちっ。お兄様、なかなかしぶといですわね……」
一方で、ロザールは獲物を仕留めそこなった獣のような顔をしている。
「ですが、この様子だと何度も持ちませんわね。また、功績があった時に抱き締めさせてくださいまし。ふふふ、ふふふ」
不敵な笑い声を漏らしながら、ロザールは部屋を出ていった。これはまだまだアルカインの試練は続きそうだ。
『まさか、これでも落ちないとは思わなかったのです~』
頭に声が語りかけてくる。やっぱり、竜女が絡んでいたのか。アルカインも得心がいった。
――どうして落とそうとするんですか……。朕は仏に仕える身ですよ……。
『でも、今は魔王アルカインでもあるのです~。もし、その立場で後継者を作らずに死ぬようなことになれば、またこの世界は乱れていくのですよ』
――そ、それは詭弁です……。
アルカインの言葉は力がない。竜女にも一理あるのはわかるのだ。だが、前世から考えると気の遠くなるような時間、修行をしてきた身として戒律を破るのは怖い。
――まずはやることをやりますからね……。まだまだ大きな行事が控えておりますから。
『いったい、何なのです?』
――仏像の図面はできたわけですから、次は本物の仏像制作。そして、開眼供養です。




