第18話 人間、魔族の宗教を調査する(2)
ザクスランの街に入るなり、イスファラは異様な光景に目を見張った。
「何、この不思議な塔は……?」
眼前にそびえているのは、五層からなる恐ろしく高い塔である。まるで、柱が大地に突き刺さっているような雰囲気すらある。
魔族の建物の建築様式についての研究は人間側にもある。といっても、魔族の建築も人間を真似たものだから、たいていの場合は人間のものを劣化させたような代物だ。
だが、これはそれとはまったく様相が異なる。ある日、突然、ここに現れたと言われても信じてしまいそうなほどにほかと異なっている。
「ああ、お前さんも観光客かい?」
馬を連れた商人風の男に声をかけられ、イスファラはどきりとする。ただ、別に正体がばれたわけではないらしい。
「あの塔、びっくりするだろう。魔王様の発案でな、連日、たくさんの民衆が祈りに出向いてきてるぞ。門前で市をやることも認められて、これからますます人出が増えるのは間違いないな」
「あの宗教の教義はどういうものなんです?」
イスファラは仕事だということを思い出して、魔族の言葉で尋ねた。魔族は種によって言葉が大幅に違うので、多少のイントネーションの違いなどでばれることはない。
「ブッダ教というんだけど、教義だなんて難しいことはワシも知らん。でも、塔の近くに行けば、教えを説く男も立ってるから、それで話を聞けばいいよ」
それもそうだと思って、イスファラは塔のほうに向かった。
といっても、そこにあるのは塔だけではなかった。はるか手前に普通の建物の三階分はありそうな、巨大な二層式の門が控えていた。
大きな門の左右には、筋肉隆々の武人のような像が安置されており、入る者をにらみつけている。やはり悪魔だからにらんでいるのだろうか。
その門を過ぎると、だだっ広い空間があり、両側に露店が並んでいる。無論、ものを売っているのはいずれも魔族だ。その奥に、塔を囲むようにして、いくつかの建物がある。こちらは特殊な様式ではなかったが、それぞれにいろんな魔族が集まっていた。
そのうちの一つから、なにやら声が聞こえてくる。イスファラは導かれるようにして、そこに近づいていった。
魔族たちが固まっている奥で、一段高いところで人間に近い魔族の娘が何かをしゃべっている。尻尾が生えてはいるものの、ほかはおおむね人間と大差ない。
「つまり、私たち生きている者の罪は熱心に祈ることによって軽くなるのです。祈りは必ず、転生の門の前で審判を行う者に伝えられます。それが転生の際の裁判の弁護人の代わりになるのです」
女が説明をしている。どうやら説法を行っているらしい。
民衆の一人が尋ねる。
「なら、死後の世界というのは存在しないのですか?」
「結論から言えば、ありません。いえ、厳密に言うと、ブッダ様のいらっしゃる世界というところがあるのですが、普通の生き方をしてもここには行けません。まずは輪廻転生で良いのです。それで『天上界』に行けば、またそこから生まれ変わる時にさらにいい世界へ向かうチャンスも来るかもしれません」
偶然聞いただけだが、イスファラは衝撃を受けた。
思わず、手を挙げていた。
「すみません、質問です! 『天上界』というのは人間の言う天国と同じものなのでしょうか? それと、そこでも永遠の命を得ることもなく、死ぬということはありうるのでしょうか?」
これは人間の教義に関する明確な反論だ。さらりと流すわけにはいかなかった。
「あの……これは私も魔王様からお聞きしたことなので、正しく解釈はできていないのですが……永遠などというものはこの世に絶対にない。にもかかわらず、永遠があるかのように誤解するのが我々の過ちの大元なのだと……」
「つまり、永遠の命を手にできる天上界はないということですか?」
「ええとですね……基本的にないです……。楽しい世界だとしても、そこには死の苦しみがあります。そして、また転生するのです……。だって、考えてみてください。この世界のものはすべて移り変わっているのに、その死後だけが永遠だなんてことがあるでしょうか?」
やたらと厳しい質問を浴びて、説法役のサリエナはたじたじになっていた。
一方で、あっさりと天国が否定されてしまい、イスファラのほうも混乱していた。
たしかにこの世界がこれだけ苦しく、不完全なのに、死後の世界だけが完璧なのは妙だし、それならなぜ神は最初から完璧な世界に生まれるようにしてくれないのか。
今の氷の女神ティフールの教えは根本的なところで問題があるようにイスファラには思えていた。
自分の悩みや謎について的確な答えが返ってこないのだ。だが、そういったことを聖職者に問いただせば、それ自体を神への反逆ということにされてしまう。
これでは神とは何か、世界とは何か、救いとは何か、といったことを真剣に考えられない。
そういった鬱憤が偶然、説法の当番に当たっていたサリエナに向かったのだ。
「あと、人間の国家のティフールの教えでは、聖職者が天国に行ける時期までを決めていますが、そういうことは正しいのでしょうか、おかしいのでしょうか?」
イスファラとしては今更、言葉を止める気もないらしく、疑問をぶつけていった。
「えっ……? 人間の宗教なんて私、バカだからわからないですけど……でも、この世界に生きている者が死後の決定権を持つのはおかしくないですかね……? だって、それって神様をないがしろにしていることになりませんか……?」
それはサリエナなりの言葉だったはずだが、威力は充分だった。
「やっぱり、そうなのか……」
イスファラの中でもやもやしていたものが抜け落ちた。
同時に、頭につけていた角のついたカチューシャも。
人ごみをかきわけて前に出たせいで、魔族にぶつかってバランスが悪くなっていたのだ。
イスファラの足下に、それが落ちる。
カランカランと石畳の上にかわいた音が響いた。
「あっ……やばい……」
「おい、ここに人間がいるぞ!」「スパイじゃないのか!」「ひったてろ!」
やってしまった。
自分から人ごみに突っこんでしまったのだ。背後は魔族だらけだ。逃げられるわけはない。商人と辺境で交易するならまだしも首都の新たな建造物の前まで来ていればおとがめなしというわけにもいかないだろう。
「我が人生、一生の不覚……」
そのまま、イスファラは魔族に連行されていった。




