第16話 魔王、寺院を建立する(2)
「獣人の女騎士よ、この塔はな、たとえば地震が来ると自分から揺れるようになっている」
リクトスは設計者冥利に尽きるという顔をしている。
「えっ……? それじゃ、余計に危ないのでは……?」
サリエナはこれまで何人もが聞いた質問をした。
「ところがな、逆なのだ。揺れが外に逃げてしまえば、崩れることはない。無理にふんばるほうがよほど危なっかしい」
これも日本の塔の建築の知識を元にしたものだった。アルカインは前世で塔の構造について本で調べていたのだ。
わかるような、わからないような……。それでもサリエナは律儀にうなずいていた。
「よし、次は塔の内部に案内してくれんか」
アルカインの言葉を受けてリクトスは早速、塔の真ん前に向かう。扉を開けると、正面に魔族語で、「死者がよりよき転生を遂げますように」と書いてある石板がそびえており、その前には香木に火を焚いたものを備える台が置いてある。
これは死者に線香を供える場所と言ってもいい。ここで気持ちをこめて祈れば、思い惑う残された者の心もずいぶんとよくなるはずだ。
台に獣の頭蓋骨まで置いてあるのは正直言ってアルカインの趣味には合わないのだが、死者への供物の意味で置くことにした。その他、台の飾りつけのために小型のナイフだとかいろんなものが並んでいる。
――まあ、シンプルすぎてもありがたみがないであろうし、多少密教くさくなるのもよいだろう。
大切なのは心、信仰心である。
アルカインもその前で頭を下げ、手を合わせた。
「我が国のために死んでいったすべての者たちが次の生で『天上界』の幸せを手にできますように……」
「で、できますように……」
サリエナもそれに続く。たしかに、サリエナの心も多少晴れやかになったような気がする。
アルカインは心から、ただ、ひたすらに祈った。
それが魔王として与えられた任務であると強く感じるからだ。たしかに政治によって多くの民の幸せを目指すことはできる。
だが、人間との戦争は今後も断続的に起こるだろうし、天災も疫病も国を襲うかもしれない。どんな名君といえども、すべての民を幸せにするには力が足りない。
そんな時、ブッダ教が、信仰の力が手を貸してくれる。
もともとそれは人間の中ではどこ世界でも普遍なもののはずだったが、偶然、魔族の間では宗教という概念だけが欠落していた。
だから、自分が作らなければならない。誰もが救われる可能性を生み出すために。
「おつとめ、お疲れ様でございます」
礼拝が終わると、リクトスもアルカインに一礼した。
「私も最初のうちは、このようなものに果たして意味があるのかと思っていたのですが、祈りを捧げるたびに、信じられるものがあることがいかに大切であるかを理解するようになりました。今では手を合わせるたびに心が浄化されていくようなのです」
「うむ、それでよい。心の平穏もそんな日々の繰り返しから生まれる。信心はあとからついてくるだろう」
アルカインも土木長官のリクトスがここまでいい顔をしているとは、ちょっと考えていなかった。信仰の影響力というものはバカにならないらしい。
「上部にもご案内いたしましょう」
リクトスに導かれて、階段を上っていく。塔の中央は大きな柱が貫いているので内部は狭苦しく、イベントを行うようなスペースはない。だから、上に、上に進むことだけが目的だ。
そして、最上階まで来ると、外側に出た。
「うわぁ……こんな景色、見たことない……」
サリエナは、眼下に収まる街並みに驚いていた。街を見下ろすだけなら、ザクスラン城からでも可能だが、それでは遠すぎる。この塔は街の真ん中にあるのだ。距離感が全部違う。
「塔というのは、見下ろすための台ではなく、見上げるためのものだが、たまにはこういうこともいいだろう。絶景であるな」
アルカインもなかなかご満悦だ。そして、サリエナはそんなアルカインの楽しげな顔に、子供っぽいところを発見して、少しだけ口元をほころばせた。
「魔王様もこんな顔するんですね」
「こんな顔とは、どんな顔だ?」
「秘密です」
いたずらっぽい笑みでサリエナは言う。アルカインも柄にもなくどきりとした。
――もし、ほかに誰もおらんかったら、抱き寄せておったかもしれんな……。バ、バカ者、何を考えておるのだ……。仏の道に帰依する者の考えることではない!
すぐ後ろには案内役のリクトスがいる。いくら、王とはいえ、あまり破目をはずすわけにはいかないし、なにより、ここは慰霊塔なのだ。死者に対して不敬なことなどできるわけもない。設計を命じた者が慰霊塔の価値を押し下げてしまったら、何にもならない。
「よく堪能した。大々的にこの慰霊塔は宣伝することにしよう。いや、慰霊塔というよりは一つの寺院であるな」
「寺院と言うと、人間たちの国にあるという礼拝施設ですよね? 大聖堂とか教会とか言う……」
人間たちは地域ごとに自然神を崇拝していた。それぐらいのことはサリエナでも知っている。
「そうだ。さて、どういう名前にしようか」
すると、すぐに頭に浮かんだのは光禅寺というかつて自分が住職をつとめていたはずの寺院名だった。
「よし、コーゼン第一寺院と名づけることにする」
「コーゼンって何ですか?」
「朕のひらめきじゃ」
そして、サリエナの頭をやさしく撫でた。自分の女性への執着も、これぐらいなら許してもらいたい。
――自分は僧侶ではなく、世俗の身であるからな。
それで思い出したが、僧侶もまた必要になるだろうか。
だが、ひとまずは寺院の管理職員を任命するに留めよう。聖職者という概念すらないところで、そんなものを生み出すのは早計だし、聖職者が世俗の権力まで握っていった例は地球で古今、無数に見られたことだ。
いろいろと考え事をしながら階段を降りたので、アルカインは一度つまずきかけた。
このコーゼン第一寺院の様子は、人間側の威圧の意味もあって、絵付きで人間世界にも積極的に宣伝された。
魔族と人間が戦争中とはいえ、交易が一切行われていないわけではないし、尻尾や角が生えているふりなどをして潜入する人間の探険家などもいる。その逆で、魔族が人間世界に入って商売をすることもある。
そういう連中の口から五重塔の話題は広がりはじめ、人間世界に大きな激震を走らせることとなった。
これまで神になどまったく畏敬の念を払っていなかった魔族たちが信仰生活を送ろうとしだしたのだ。しかも、人間の国家でも例のないような高い、高い塔である。
この事件はわずかに残っていた人間側のプライドに大きなヒビを入れることになった。
ただ、それが歴史に影響をおよぼすのはもう少し先の話である。
 




