第15話 魔王、寺院を建立する(1)
こうして、ブッダ教の宣教師たちは一定の講習期間と「よくある質問」的な説明用の紙を持って、魔王の支配領域の各地に派遣されていった。そのあと、第二陣、第三陣の宣教師も編制されて、同様に旅立っていった。
どこまでいっても宣教師が付け焼刃の問題は残る。その結果、わからない問題は宣教師がそのままアルカインの元まで報告するという制度がとられることになった。
わかってもないのに適当なことを民衆に教えられることのほうが、わからないままにされることより害が大きいからだ。
これはほかにメリットがあった。魔族の民衆が宗教に何を求めているかも、ある程度わかるからだった。
活動から三か月ほどの時間が経ったが、初速はなかなか悪くない感じだった。家族を戦争や病気、様々な理由で失くした者にとって、冥福を祈ることにより、死者の来世がよりよいものになるという考え方は心の負担を確実にやわらげてくれた。
また、宣教師の講習はブッダ教の教典作りにも一役買った。ブッダという神を頂点に置き、そこから教えを説き起こしていくというシステムがそれによって成立したのだ。
完璧な教典を作り上げるのは極めて難しく、心理的なハードルも高いものがあるが、ひとまず一か月ほどで最初の教典を上梓した。詳細なテキストが生まれることで宣教師の活動も飛躍的に楽になるからだ。
――お経にだって、釈迦の世代からはるかに隔たった時代に成立したものがいくつもある。不足分はどんどん追加していくことで対応すればよいのだ。
魔王たる身である以上、思想家として生きていくわけにはいかない。プラグマティストの要素は必須だ。いけると思ったら、次々に実行していかねば。
そんな魔王に朗報が届いた。土木長官のリクトスが城下の慰霊塔完成を報告に来たのだ。
「昼夜を問わず、工事を続けまして、無事に完成の運びとなりました」
リクトスも一仕事を終えたせいか、アルカインの前まで来た時もどこか晴れ晴れとしていた。
魔王の横で控えているサリエナも――宣教師としての布教の旅は一段落し、先週から魔王のそばに詰める業務に戻っている――「おめでとうございます!」と祝福の言葉を述べた。
なお、二十四時間体制の工事と言っても、強引に労働力を徴用して働かせたというわけではない。魔族の中には最初から夜行性の者も多く、そういう者にとってみれば、夜に働くほうがいいぐらいなのである。
そういえば自分がやっていたRPGでもモンスターは夜になっても出現したな、そんなことをアルカインは思った。人間の町だと武器屋や道具屋は休むのにモンスターは律儀に出現する。それも夜型の種族が一定数いると考えれば説明がつく。
昼型・夜型の者が途切れなく作業を続けるので、ペースも単純計算で昼だけの仕事の二倍になる。
この大陸に現れた直後は文明のレベルで人間の足下にもおよばなかった魔族も、この能率のよさを生かして、急速に近代化していったのだ。
「ご苦労だった。これでお前の名は塔の設計担当者として、いつまでも残ることだろう。この仕事のあとは少し休むとよい」
アルカインも上機嫌でねぎらいの言葉をかける。だが、リクトスはむしろ表情を固くした。
「お言葉は大変ありがたいのですが、骨ヶ原のほうの慰霊塔はまだ完成しておりませぬゆえ、そちらの目途が立ったのちにお休みはいただこうかと思います」
ここまで携った以上、リクトスにも意地があった。いいかげんなものを作ってしまえば、後世に名前どころか恥を残すことになる。どうせなら、歴史的にも類例のない尖塔を建てたかった。
しかも、この塔は魔王の臨死体験で得た知識が元になっているというだけあって、相当に特殊な形をしていた。どうしたって細かい指示がいる。
「では、明日、早速、城下に見学に参る。ザクスラン城からでは工事用の幕が張られていて上手く見えなかったのだ」
「ええ。実はそれも幕がはがれた途端、これまでにない塔が生まれるような配慮なのでございます」
ドヤ顔をしてリクトスも言った。この仕事は土木屋としての面目躍如だった。
そして、翌日。
アルカインと急遽決まった除幕式に呼ばれた重臣たちはその大きな幕の前に集まっていた。
「よし、いよいよ幕が下りるな。本当にわくわくするわい」
「こんなに塀の長い区画は見たことがないので、それを見ているだけでも不思議な感じです」
近衛騎士としてついてきたサリエナは目的地に来るまでにおなかいっぱいという様子だった。塔の周囲は長い、長い塀で覆われていて、何箇所かドラゴンでも通れるような巨大な門が用意されている。
その塀の中には塔のほかにもいくつも建物が並んでいて、大きな役所のようだった。
そこに軍楽隊がファンファーレの演奏をはじめる。魔族の音楽は管楽器と打楽器が中心だ。魔族は肺活量があるためかこの演奏自体は人間が行うものよりスケールがあった。
そして、演奏が終わると、アルカインが「幕をはずせ!」と命令する。手筈のとおり、ドラゴンが幕を足に引っ掛けてそのまま飛んでいく。
ついに塔が一同のもとにあらわとなった。
「おおっ! 朕のいた世界のものにそっくりじゃ!」
「えっ? どういうことです?」
そばにいたサリエナが不思議そうな顔をした。アルカインは言葉が走りすぎたと反省した。
「ああ、死にかけた時、ドラゴンの娘がいた世界にはこんな塔が立っていたのだ」
それはまさしく、日本の寺院にあるような五重塔だった。
当然、アルカインがデザインについて口出しをしたのだ。細かい意匠は魔族の趣味が入ってはいるが、異国のムードは間違いなく残っている。
「塔の高さはいくらだ?」と案内役のリクトスに尋ねる。もっともアルカインは発注した側だから、周りの者に聞かせるのが目的である。
「てっぺんまでで、二十七アムツです」
一アムツがだいたい二メートルだから約五十四メートル。日本最大の五重塔が京都の東寺の五十四.八メートルだから、それに匹敵する高さだ。
「うむ、素晴らしい。これなら街中から塔を眺めることができる。信仰拠点として見事であるし、人間どももこんな塔を我々が作っていることを知れば、恐ろしいと思うであろう」
いつになくアルカインのテンションも高い。
周囲の見物客からも、「すごい!」「天にも届きそうな高さだ!」「さすが魔王様」といった感嘆の声が無数に聞こえてくる。
もちろん家並みの真ん中に塔がぽつんと建っているわけではない。周囲には塔を中心とした寺院の建造物が並んでいる。こちらは和風のものにはできなかったが。
もともと、塔の起源はインドにおいて、仏の骨である仏舎利を保管したストゥーパというものに由来する。
インドのストゥーパはまったく高層建築ではなかったが、これが中国に入った時に、高い塔のような様式になった。
なお、ストゥーパを漢字で表現すると卒塔婆になる。日本の墓地にある板の卒塔婆などが細長いのはこれのせいである。そして、卒塔婆の真ん中の文字である「塔」が独立して、高層建築は「塔」と呼ばれるようになった。
時代が経つにつれて、日本でも寺院における塔の重要度はいくぶん低下したが、高い建物がない時代に遠方からでもそびえているのがわかる塔は権威の象徴として機能した。
千年の都、京都に日本最大の五重塔があるのは偶然ではない。
そんな機能をアルカインはそのまま魔族の中に持ちこむことにしたのだ。ちなみに、五重にしたのは、地・水・火・風・雷の大陸の五つの基礎魔法の属性に対応させるためでもあった。
「この塔の前まで来て、祈りを捧げる習慣が生まれれば、家族や友に先立たれた者も気が楽になるであろう。心の安寧に寄与してくれるはずだ」
「でも、こんなに高い建物を作ったら、倒れたりしませんかね……?」
サリエナは立派な塔に感動しているというよりは、不気味さを感じているらしい。
「それも大丈夫なのだ」
リクトスが楽しげに言った。
もう、何人にもその質問をされて、毎回感心してもらっているのだ。




