第10話 魔王、布教方法を考える
朝、アルカインは自室で魔王宛に出された書類に決裁のサインを書いていた。
羊皮紙というのはなかなかかさばるらしく、処理前の箱の中はまさにうず高く積まれているという言葉が似合った。
――この仕事量では、布教活動もままならんな。
アルカインは今後のスケジュールをどうしようかと考えつつ、書類に目を通す。これだけ書類があるのに、慰霊塔建設の申請書はまだ来ていない。明日まで待って書類が来ないなら、土木長官のリクトスをせっついてやる。おおかた前例がないから時間がかかっているのだろうが。
死んだあとの六箇所の転生先――奈落界・飢餓界・動物界・闘争界・一般界・天上界――についての告示はすでに魔族の国家全土に通達している。だが、それが実際に民のところにまで届けられるか怪しいところだし、そもそもこの世界の識字率は民衆にまで期待できるほどの高さではない。
――やはり、宣教師がいるな。だが、自分に弟子がいるわけでもないし……。
「ふあ……あっ、すみません……」
サリエナがあくびを噛み殺していた。これで今日三度目だ。アルカインの警護のため、政務室でも帯剣してそばに控えている。
「やはり座禅のせいで寝不足になったな」
午前三時と言えば到底、朝とは呼べない時間だ。無理もない。正覚も禅寺に入ったばかりの頃はよく兄弟子から叱られたものだ。あくびは生理的に出てしまう。
「いえ、そんなことは理由になりませんから……すみません……」
たしかにあくびばかりでは警護もできない。だが、サリエナの気持ちも空しく、あくびはまた出てくるのだ。こらえてもこらえても終わらない。
「サリエナ、お前は真面目だな」
そう言いつつ、次の書類に目を通す。休む暇はないし、ここが遅れると、城下にみずから布教に出る時間がなくなってしまう。
教義――というほどのものもないのが現状だが――を知っているのが自分だけというのもあるが、高貴な魔王の姿を一目見るためだけにでも、民衆は集まってくる。何よりも効果があるのは自分から教えを説いてまわることだ。
地球では、選挙戦前に党首や党の幹部が遊説を行っていたが、あれの大切さが今、身にしみてわかっている。
人間は直接自分の耳で聞いたことをどうしても好意的に受け取るのだ。もし、まったく中立な立場の人間がいて、A党の話を直接聞いたあと、B党の政策を書面で呼んだとする。ほぼ確実にA党のほうに票を入れるだろう。
だが、そんな遠方にまで出ていけるほど魔王は暇ではない。城下に出ることすら時間の捻出が必要な次元なのだ。まして、鉄道も飛行機もない。ドラゴンの背に乗るということも考えたが落下した時が極めて危険なので、現実的ではない。
――宣教師をどうやって作ったものか。これは真面目な奴がやらないと。魔王の権威を傘に着るような奴を選んだら大変だし……。
ふっと、サリエナと目が合った。
「あ、そうか、その手があった」
これだけ真面目な者はそういない。
「な、何ですか、魔王様?」
サリエナはわけがわからないといった顔で、きょとんとしている。
「輪廻転生の教義をお前に教えこむから、各地へ布教に出向いてくれ」
「えええええっっっ!」
盛大な声が政務室に響き渡った。
「そんなの無理ですよ……。そりゃ、私は文字ぐらいは読めますが文官ですらないですし……頭も悪いですから」
「いや、こういうの小ずるい奴より、お前みたいな性格の者のほうが合っている」
「できませんよ……私が人に何かを教えるだなんて夢の中だって上手くいかないです……」
サリエナはぶんぶん首を横に振る。それに呼応するように尻尾も左右に揺れる。
「私一人で全国に出向くなんて不可能です!」
「いや……お前一人にさせるつもりじゃなかったぞ。最初の段階でも、最低十人は布教役を作るつもりだ」
いくらなんでも国土すべてをサリエナ一人に任せられるわけもないし、まして効率性を上げるための宣教師なのにそれがたったの一人じゃほとんど意味がない。
「さっきの言葉を聞いた限りだと、お前一人でなければやってくれるということでいいんだな?」
「うう……わ、わかりました……」
藪蛇な形になってしまい、サリエナはようやく仕事を請け負うことを認めた。
よし、まず一人目は決まった。
「けど、宣教師は何人かでいっせいに出向くわけじゃないですよね……?」
やるとは言ったものの、それで不安が消えるわけではない。また質問が飛んでくる。
「軍隊じゃないんだから、単独行動が原則だぞ……。気になることがあるなら言ってくれ」
「たとえば、教義を聞いた人に質問をされたとするじゃないですか。本当に中身を知っていないと答えられないですよね……。適当なことを言って、誤解を広めちゃってもいけないですし……」
なるほど、サリエナの懸念ももっともだ。「よくある質問」というガイドぐらい羊皮紙で作っておけばいいが、その宗教の理解が浅いうちは大間違いもありうる。
実際、その宗派の始祖と言われる人物は、自分の意見とまったく違うことを言い出した弟子を破門しているケースが多い。道元も親鸞も異端派を追い出している。
まして、幹部を集めてアルカインが勢いで言っただけの今の次元では宗教にすらなっていない。いきなり輪廻転生が起こりうるだなんて言い出して、素直に信用されるとも思えない。布教と言うからには教義の確定が必要だ。
「そうだな……。布教先でナタリアみたいな奴がいたら質問攻めに遭いそうだし……」
あのダークエルフの司法長官みたいに厳しい顔で追及されたら、サリエナなんて涙目になってしまってもおかしくない。
「私もナタリアさんは苦手なんです……。何か注意されるんじゃないかっていつもびくびくしちゃいます……」
尻尾が力なく垂れてるところからでもサリエナがナタリアを恐れているのはわかった。
――いや、待てよ。
「ああ、毒を以って毒を制すだ」
ぽんとアルカインは両手を合わせる。
「どこの言葉ですか、それ?」
「遠い世界の言葉だ」
アルカインは適当な言葉でお茶を濁した。そんなことはどうでもいいのだ。
「では、宣教師役にナタリアも任命しよう。あいつだったら、穴があればいくらでも言ってくるだろ。それを元に朕も教典を書き上げる」
きつい先生がそばにいてくれたほうが緊張感も出る。転生だなんてことを言い出してるのは自分だけなのだ。なあなあでやって大火傷するぐらいなら、しっかりと固めたほうがいい。
「ええっ!? あ、あの人の法務長官のお仕事はどうするんですか……? いえ、私の騎士の仕事もそうですけど……」
「それは、代役にやらせる。まあ、どうにかなるさ」
こうして、アルカインの主導のもと、宣教師講習会が開かれることになったのだ。




