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魔王様、教祖になる!  作者: 森田季節
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第1話 日本の僧侶、異世界の魔王になる

 二〇一五年二月二十五日、山梨県の禅宗寺院の板敷きの間。

 室温は外気と変わらない。底冷えするような寒さである。

 その中で、九十歳の老僧が座禅をしたまま、静かに死を迎えようとしていた。

 いや、正確には死ではなく、成仏か。

 仏に成るのだ。


 その僧侶は当世きっての禅僧だった。長い修行の果てに何度も悟りの境地に至り、この世界の儚さも美しさも、その曇りのない二つの目でとらえた。その上で、俗世間から背を向けることなどなく、積極的に浮世の人間を救うために活動を続けてきた。

 真理を知った者は、それを人々に伝える使命がある。それが禅宗の、ひいては大乗仏教の根本だ。自分だけではなく、この世のすべてを救おうとする教えが大乗仏教なのだ。


 だが、いかにすぐれた賢人といえど、老いには勝てなかった。それでも重い病を得ることもなく、最期を修行の最中にて迎えられるのは、真の幸せと言えた。

 もはや、彼に迷いも恐れもない。ありきたりな世俗の欲もない。望みがあったとすれば、もっと修行を続けたかったということぐらいだ。


 禅の巨人にして日本の曹洞宗の開祖とされる道元は、その著書の中で悟りの体験は幾度となく繰り返していかないといけないと書いた。

 一度きりの体験ですべてが終わった気になり、まして偉くなったような勘違いを起こすようでは、また深い迷いに入っていってしまっていることと同じだからだ。

 それは到底、仏の生き方ではない。


 あと、もう一つ、心残りがあったなと老僧は思い出した。

 ――クリアできていないゲームが残っておったな……。まだラスボスを倒せておらぬ……。


 実はこの九十歳の老僧、大のゲーム好きだった。ただし、古めかしいファミコンやスーファミの類だけであるが。

 二十年ほど前、檀家からもう遊ばなくなったというファミコンを譲り受けたのがきっかけで、空き時間には延々とゲーム三昧で過ごしていた。反射神経は鈍いからアクションやシューティングは難しいが、RPGなら問題はない。それに、勇者になって世界を救うという価値観は、大乗仏教的にも通じるものがあり、親しみやすかった。究極的には仏教は世界を救ってナンボなのである。


 ――いや、ダメだ。死ぬ間際にまでゲームをしたいなどと思っておる……。まだまだ、仏の智恵には程遠い。


 心の中で老僧、正覚しょうかくは自嘲する。

 仏の道は実に難しい。

 これではまた六道輪廻を繰り返して、どこか別の生き物に転生することだろう。


 さて、ここで六道輪廻という概念について説明を加えておこう。

 輪廻というのは、文字通り、ぐるぐると回ること。つまり、繰り返すことだと思っていただければいい。輪廻転生と言えば、ぐるぐると死んでも次の生を得て、また死んで生まれてを終わりなく続けることである。


 一方、六道というのは、文字通りの六つの道のことである。具体的に言うと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天――以上の六つ。

 おそらく仏教をブッダが広めるはるか以前から、この六つの世界の概念はインドの中にあっただろう。


 その六道の中で最高のものである天の世界では、あらゆるよろこびがあふれているとされる。だが、この天で生きている者すら、少しずつ衰え、死んでしまい、また転生することになる。

 人間よりも下の世界はいずれも恐ろしいものだ。地獄は文字通りの苦しみの耐えないところであり、餓鬼の世界は飢えによる苦しみがあり、畜生は動物の苦しみ、修羅の世界では争い続けるという苦しみから逃げられない。

 無論、人間の世界も決して完璧なものではない。


 古代インドではこの輪廻転生から抜け出すことはできないとされた。しかも悪い生き方をすれば、人間ですらないひどいものに生まれ変わる危険すらあった。人々は転生を怯えて生きていたと言っても、過言ではない。


 しかし、ブッダはその輪廻転生を終えることができると言ったのだ。


 これは旧権力にすがっている者を激怒させ、逆に救いを求めている者を彼の元へと集めた。もはや仏教がはじまってからめまいがするほどの時間が経ち、ずいぶんと古びたものになってしまったが、当時は実に革新的な、ロックな教えだったのだ。

 レールからはずれちまえよ、とブッダは言ったわけだ。


 その輪廻転生からはずれることこそ、仏になることである。


 悟りを開き、輪廻の鎖などというものがない、いや、この世の諸々のつながりすら実体があるように見える見せかけにすぎないと知れば、無限ループも終わりになる。


 仏教自体が長い歴史を経ることによって、教えも多様化したが、本質は諸行無常――確かなるものなど何もなく移り変わってゆく――を理解するということに尽きるだろう。


 そして、老僧はその本質を痛いほどに知り尽くしているのだった。


 すでにして、老僧は完全に仏である。言葉を変えれば如来。釈迦如来とか阿弥陀如来、薬師如来とかの、あの如来だ。きたるが如し。この瞬間、この場所にたしかに存在しているもの――原義はそんな意味だ。


 ついに臨終の時が訪れる。


 老僧の魂は、すっと仏の世界に入る。高潔な魂は、六道のどこにも属することなどありえない――はずだったのだが。


 老僧の魂は眼前に何やら超越者めいたものを見る。


「これまでお疲れ様でしたなのです! 正覚和尚おしょうの功績、転生担当官の私もびっくりなのです!」


 十歳に満たないほどの少女が老僧の名を呼ぶ。体には古代インドの布のようなものを巻いており、頭には二本の角のようなものが生えてある。

 老僧はそれでこれが何者かわかった。

 竜女りゅうじょ。経典『法華経』の中で、仏の世界に入ったと書かれてある八歳の竜の少女だ。


「和尚は見事に悟りの境地に入られましたなのです。本来ならば、このままこちら側に来てもらうところなのですが、むしろ和尚にはもう一仕事、果たしていただきたいのですです!」


 仕事とはいったい何なのだろうか?

 自分のようなぼんくら坊主にできることなど想像もつかないが……。


「仏の教えがまったく伝わっていない世界に生まれ変わり、そこで人々を救っていただきたいのです。ちょうど、その世界に将来魔王になる人が生まれますので、そこに転生していただければ」


 魔王と言われて、正覚はびくっとした。

 それって、RPGにおける魔王のようなものなのだろうか? それとも仏敵の第六天魔王みたいなものか?


「基本的にRPGの世界観に近いのです。剣と魔法の世界で、人間の側には勇者的な人もいるのです。なのですが、全然仏の教えが入っていないのです。これでは皆さん、生きることに悩み苦しんだり大変なのです。ブッダ様のような天才的な方が現れるのは待っていても難しいですからね~」


 たしかに仏教上の巨人たち数人が生まれなかったと考えると、なかなかに恐ろしい。日本にしろ、インドにしろ、世界の仏教のあり方はまったく変わったものになっていただろう。


「それでは、よろしくお願いいたします! 如来としてここで居座る前に、もう一度下界で仏法隆盛のために働いてくださいなのです! いわば、これは菩薩の行いなのです!」

 えっ……。できれば、魔王より勇者のほうがいいのだけど……。


「そこは大丈夫なのです。魔王の立場から仏教を広めて世界を救うことだってできるはずなのです。頑張れなのです」

 相手は仏の世界の住人である。いわば仏の世界の新入社員のような老僧に拒めるはずもなかった。老僧、正覚の魂はそれに応じる。


「あと、和尚は色香に惑うこともなく、人生をまっとうしてまいりました! その反動で少しばかり女性の多い環境になるかもしれませんが、まあ、そこはよろしくやってくださいなのです!」


 そう言われて正覚は戸惑った。待ってくれ、そんなことになったら悟りから遠のくではないか!

 だが、やはり、相手は人間を超越した存在である。断るわけにもいかない……。


「ちなみにどういう属性が好みなのです? 魔族のトップになるわけですから、角や耳や尻尾がある子が多いとは思いますが、そのほか巨乳だとか、幼児体型だとか、物静かだとか、やきもち焼きだとか、そういう要望はありますです?」

 ない。そういうのは自分にとって邪魔になるからない!


「わかりましたです。いってらっしゃいなのです! これまで学んだ教えを異世界の実践で生かすのです!」


 瞬間、竜女が消え去り、変わりに巨大な光が現れ、老僧正覚は完全に意識を失った……。


 ――そして、魔族暦二八八年。

 その時の魔王の長子としてアルカインという男が生まれた。

 幼い体に魔王の一族共通の二本の角がしっかりと備わっていた。

 十年後、彼は父親の死に接し、魔王の座を継ぎ、十年で魔族の最大領域を実現する。

 (仏教興隆の)物語はそんなところから幕を開ける。


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