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失敗と暗闇

 猛ダッシュで七海さんの家に帰ると、案の定、鍵を閉めたはずの玄関が開いていた。家に入って、俺はまずリビングに向かった。しかし、そこはガラリと静かで、人の気配が全くなかった。次に、俺が借りている寝室へ。そこにも人はいない。そこで、俺は行ったこともない未知の領域、七海さんの部屋へと向かった。

 だが、堂々と入る勇気もなく、俺は七海さんの部屋のドアの前で立ち止まり、声をかける。


「七海さん。いますか?」


 返事はない。でも、ここにいるのはなんとなくだけどわかった。人の気配に敏感になっている俺には、部屋の中に七海さんが静かにしているのがわかったのだ。

 だから、俺は躊躇なくドアを開けて、俺の感覚が正しいのかどうかを確認する。すると、ベッドの上でジャージ姿で体育座りをしている七海さんが目に入った。カーテンを全て閉め切り、真っ暗な部屋の端っこに設置してあるベッドの上で、膝に顔を押し付けている七海さんは、とても痛々しくて、俺は何とも言えぬ感情に押されて、七海さんの部屋の中にずいずいと入っていく。


「来ないで……」


 少し枯れた声で七海さんがそう言う。だが、俺は足を止めない。


「来ないでよ……」


 プルプルと震えている。俺はそんな七海さんの前で立ち止まり、なんて言えばいいのかに迷ってしまった。言葉などこの際、なんでも良かったのだ。他愛も無い言葉で濁すのでもよかったのだ。それなのに、俺はそれすら言えずにその場に立ち竦んでしまう。

 こんな七海さんを初めて見たのだ。恐怖している七海さんを俺は初めて見てしまったのだ。あれだけ自信に溢れ、元気と笑顔が眩しかった七海さんが、ここまで暗く、黒くなっている。

 誰の、せいだ……。万丈か? 金鵞か? いいや、違う。万丈は確かに強い。七海さんの秘密を握っている時点で、七海さんが太刀打ちできるはずもない。でも、こいつのせいではない。コイツは敵であって、脅威であって、現状の理由ではない。なら何が理由だ。なんで、七海さんが泣かなくちゃいけないんだ。

 弱かったのだ。第三者が、七海さんの理解者が弱かったのだ。つまるところ、俺が弱かったのだ。俺がもっと強ければ、七海さんは泣かなくても良かったんだ。俺が、万丈より強ければ……。

 俺は握りこぶしを作って、下を向く。何も言えずに時間が進んでいく。やがて、


「出てって」

「……」

「お願いだから、今は一人にさせてよ」

「……一人になったら、笑ってくれるんですか?」

「大丈夫だよ。時間が経てば、笑えるから。もう少しだけ休めば、きっと立ち直れるから……」


 時間が経てば? もう少しだけ休めば? 違う。違うんだよ、七海さん。その傷は、時間が治してくれるわけじゃないんだよ。七海さんの傷は、そんなことじゃ治らないんだよ。


「俺がいます」

「え?」

「力になれないかもしれませんし、正直邪魔かもしれません。でも、すべての人が七海さんを否定しても、遠ざけても、俺が傍にいます。俺が、微力ながらも手伝います。だから、そんな落ち込まないでください。秘密くらい、バレたっていいじゃないですか。それで嫌いになる人は、少なくとも副会長さんたちの中にはいないと思いますよ?」


 顔を上げてくれないが、俺は七海さんに微笑みかける。きっと、これくらいじゃ傷を治せないどころか、的違いなのだろう。それでも、俺は言いたかった。笑っていて欲しいから。全てに否定されても、全てを愛している七海さんにだけは、笑っていて欲しかったから。


「……やっぱり、君は馬鹿だね。力になれないって、自分で言っちゃうなんて」

「やめてくださいよ照れちゃいますよ?」

「褒めてないよ。でも、それでもやっぱり君はかっこいいなぁ。そうやって、女の子を助けようと必死なところ。私、嫌いじゃないよ?」

「安心してください。いつか、七海さんの笑顔も守ってみせますから」


 俺の冗談を七海さんは笑ってくれた。多分、俺の言葉を本当に冗談だと思って。それでも構わない。七海さんを守ってくれる人ができるまで、俺は七海さんの味方でいる。出来れば、七海さんを守ってくれる人が俺でありたいが、それは叶わないだろう。俺は、校内最弱。校内最強の七海さんが振り向いてくれるはずがない。わかってるさ。敗北だって事は最初からな。

 七海さんが少しだけ元気を取り戻したところを見て、俺は振り返る。


「どこ行くの?」

「ちょっと用事ができたんで、学校戻ります。あっ、七海さんはそのまま休んでいてください。今日は休みをもらったんでしょ? なら、存分に休むべきですよ」

「ねえ、燿くん。もしかしてだけど、万丈くんに喧嘩を売りに行くわけじゃ――」

「冗談言わないでくださいよ。俺は校内最弱ですよ? 喧嘩なんて、勝てるわけないじゃないですか」

「そう、だね。なら、何をしに――」

「ちょっと、用事ですよ」


 最後まで笑顔を突き通して、俺は七海さんの部屋を出る。そして、一回の大きな深呼吸をして、玄関へと向かった。

 もう、我慢の限界だった。七海さんの表情はひどいものだった。目は赤く腫れ、声は泣いたあとのガラガラとしたもの。悔しくて、強く噛んだ跡が見える唇。どうしたら、あんなに可愛い女の子をここまで追い詰める理由になるんだ。

 万丈はやりすぎた。人の知られたくない秘密を出汁にして嫌がらせをするその姿は、俺の逆鱗に触れた。もちろん、先程も言ったように喧嘩をしに行くわけではない。ただ、俺は万丈にジャン拳を申し込みに行くだけだ。半ば、無理矢理にな。

 靴に履き替えて、俺は猛ダッシュで駆け出した。地面に怒りをぶつける様に強く踏み込み、奥歯を強く噛んで、走り出す。

 二十分ほどして、俺は学校に帰ってくる。全速力で走ったせいで汗が止まらない。体は熱くなり、心臓の鼓動はうるさい。それでも、怒りが俺を動かす。

 万丈は確か二年だったはずだ。マンモス校のため、クラスは多いが、虱潰しに探すしかないだろう。俺は端から教室を回り、万丈を探す。そして、二年五組で万丈の顔を発見し、教室のドアを蹴破って叫んだ。


「万丈!!」

「……ん? なんだ? お前は……今朝の雑魚じゃねぇか」

「おい、万丈。俺とジャン拳をしよう。俺は、個人的にもお前に恨みがあるんでな」

「恨み? ……そうだな。お前は確かに俺に恨みを持っても仕方ないよな。ククッ。いいぜ、試合場に行こうぜ?」

「お、おい。君たち。今は授業中――」

「先生。すみません。今から、学校のゴミ虫を排除するんで、時間をください」

「先公よ。すまんが、これからバカの根絶をするからよ。授業はサボるわ」


 俺と万丈はそう言って教室を出る。もちろん、それを聞いていた二年五組の生徒の全ては退屈な授業よりもジャン拳を見るほうがいいと言って俺たちについてくる。それどころか、一瞬のうちにそのことが広まり、全クラス、全校を巻き込んだ、緊急ジャン拳観戦会になった。

 試合場に向かう俺たちを止めるように試合場のドアの前で仁王立ちする副会長さん。睨みつけるその目はいかにもお怒りであった。


「あなたたち。今がどういう時間か――」

「神原さん。すべての責任は俺にあります。このジャン拳が終わったら、退学でもなんでもしてください。ただ、俺は今、こいつとジャン拳をしなくちゃいけないんです。そうしないと、俺の気が収まらない」

「その言葉がどういう意味を持っているのか、よく考えたんですか?」

「……俺は元々、この学校に来るべきじゃなかったんです。親父の名前を借りて入った学校なんて、俺が生きていけるはずがない。場違いだったんですよ。それでも、最後はこういう方法しかないから。……神原さん。そこを、退いてください」

「私は、今ここであなたを潰すことだって――」

「いいんじゃないですかぅ? すべての責任は負うって言ってるんですしぅ」

「私も賛成だ。千佳が言うことに間違いはない。それに、生徒会長が気に入ったこの少年の言葉が随分と私の心を貫いたらしくてね。少年の言葉の真意を見てみたい」

「俺様はどっちでもいいぜ! でもまあ、友人を殴りたくはないな!」


 四天王の三人が神原さんを押し留める。神原さんもそれには反抗できず、ドアの前から退いた。俺は一瞥して、神原さんの隣を通り過ぎるとき、ふとつぶやきが聞こえた。


「彼が言っていたのは、こういうことだったのですか……」


 その顔は憎たらしいというもので、俺たちではなく、遠くを見てそう言っているように思えた。

 試合場に着き、俺と万丈は試合場の中心へ、ギャラリーは観戦席へ。教師を一人立ちしてきて、無理やり審判をさせる。だが、そこで思い出した。

 

――――俺、校内最弱じゃん。


 最初から喧嘩だろうがジャン拳だろうが勝てる見込みなどなかった。頭に血が上っていたせいか、途中から勝てると考えてしまっていた。

 思い出してみれば、鳥肌が立つ。俺は一万位代。しかしながら、万丈は五十位代。どう考えても勝てる相手ではない。

 さてさてさーて。俺はどうしてこんな相手と戦おうと思ってしまったんでしょうか?

 今更に、自分の愚かさを思い知らされた。相手の力量を見極めることもできずに、何が武闘家か。いや、俺は武闘家じゃないんですけどね?


「あ、その、えっと。手加減とかしてくれてもいいんだぜ?」

「誰がそんなマナー違反をするかよ。さあ、始めようぜ。バカ狩りだ」


 そーですよねー。そーなりますよねー。分かってました。分かってましたよ。

 でもまあ、負けられない理由があるんだなー、それが。今気がついたが、七海さんが肩を上下に動かしながら、息を荒くして観客席にいた。あれほど、休んでいてくださいと言っておいたのに。まさか、心配になって来てしまうとは。

 これは、本当に負けられなくなってしまった。俺はやれやれと頭を振り、七海さんに教わった構えを思い出す。


「で、では、ジャンケンを」

「「じゃん、けん――――」」


「「ぽんっ」」


 いつも通り俺の負け。つまり、万丈が先攻になる。お互いに五歩下がり、各々の構えを取った。

 これはジャン拳だ。いつもなら俺が適当に行なってきた勝負事だ。俺がなによりも嫌いな勝負事だ。でも、それでも。


――――七海さんを泣かしたコイツよりはマシだ。


 俺は万丈が嫌いだ。七海さんを泣かした。七海さんを苦しめた。七海さんを嘲笑った。そしてなにより、七海さんを馬鹿にした。

 みんなの理想を馬鹿にしたこいつを、俺は許せない。だから言おう。俺は、こいつをぶっ倒す。

 校内最弱のレッテルを貼られた俺が、こいつをはっ倒す。誰にも文句を言わせない闘いが今、幕を開いた。

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