道化師と白い鳩
道化師にとってその鳩は、唯一の友人だった。
小さな劇場のその道化師は、ステージに上がればひとたび大衆を喜ばせる道化師だが、そうでなければただの一人の女。
整った顔は美しく、独特の派手な化粧を施しても美少女であることがわかる。その容姿は、道化師を時代遅れとは言わせない。
まるで、道化師になるために生まれてきたかのような人間だ。
「――あんたも同じね」
そして、その白い鳩もそうだった。
この劇場で生まれたこの鳩は、生まれながらにして、道化師の相棒となる運命を決定されていた。
道化師はこの世に生を受けて、たった16年しか経っていない。
しかし少女のエピソード記憶はその16年間の思い出として、少なすぎるものだ。
「もっと……もっと普通の女の子として、普通の女子高校生として、思い出を作りたかったな」
楽屋で一人、鳩に話しかける。化粧を落としたその顔は、紛れもなくただの少女。
当然、鳩は何も応えない。
手の上に載っている白い鳩をぼんやりと眺める。鳩もまた、少女の目を見つめた。
「……さ、そろそろ準備しないと」
客入りは上々。この美しい道化師に楽しませてもらおうと、毎日全国から客が劇場を訪れる。
少女は30分をかけて道化師に姿を変える。ひとたび道化師となれば、内面も外面もまるで別人だ。
開演を知らせるブザーとともにステージの照明が落とされる。
道化師は深呼吸をして、表舞台に出た。
友人がいない寂しさ、思い出が少ない悲しさ――それを心の奥底に秘め。スポットライトを浴びる道化師は、笑顔を曇らせない。
道化師の一挙一動に、観客は注目する。道化師の一挙手一投足に、観客は歓喜する。
小さな劇場は、笑いと歓声で包まれていた。
最後に、唯一の友人と二人三脚でマジックを披露し、終演。道化師と友人は、スポットライトと喝采を浴びる。
公演は大成功だ。
「お疲れ様」
唯一の相棒、唯一の友人を労う。しかし、鳩は労ってはくれない。
楽屋に戻る。楽屋の大きな鏡に映る道化師の頬には、涙が伝っていた。
「…………私、泣いてる……」
初めて見る道化師の涙に、少女は驚いていた。
化粧が溶け涙は白く、伝ったところの化粧は落ち、少女の肌が現れる。
「涙が……、止まらないよ」
震える声で、しかし道化師は笑みを浮かべていた。少女は、鏡に映る道化師に話しかける。
「私も楽しませてよ。笑わせてよ――お願いだよ……」
化粧がだんだんと落ちていく。
「道化師も……泣くんだ」
濃い化粧の隙間から見えたのは、まだあどけなさの残る顔だった。
涙を乾かし、もう一度道化師に。
今はもういない両親と写る、少女の写真と白い鳩の前で、芸を披露する。
涙を流しながらも、笑顔を絶やさず。
いままでのどんな公演よりも、力を入れて真剣に。
寂しさや悲しさを押し込め、笑顔に変えて。涙を流している分、笑顔をもっと輝かしく。
鏡に映る道化師の笑顔は、悲しさで溢れている。そんな道化師に、少女は話しかける。
「悲しい笑顔。えへへ。君も、私と一緒だ」
少女は笑っていた。鏡に映る道化師も、笑っていた。
「それじゃあ、フィナーレっ!」
涙を拭き、自分の最も得意な芸を以って、誰にも見られることのない公演の幕を閉じる。
「…………ありがとうございましたっ!」
今までで一番の出来の公演だった。
喝采もない。歓声もない。
写真に映る3人も、鳩も笑っていない。
しんとした楽屋の中で、鏡に映る道化師だけが笑っていた。




