表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

 ―結―



「しょうにんさま、星がふってくる」

 恐怖で縛られていた村人たちの耳に、無邪気な子供の声が響いた。

「星……?」

 ちらちらと、冷たく、はらりと頬をかすめておちるもの。

 急ごしらえのがんどうの灯りの中に、白く、白く。

「お空に星がのうなって、ほら、降ってくるよ」

 晴れ渡っていた夜空は、いつしか重みのある闇にとって変わっていた。その空から。

「雪じゃ……」

「もう、降り始めおった」

 一段と、寒さが増したように皆には思えた。楽しげに、木々の枝の隙間からこぼれるそれを追うのは、子供たちだけだ。

「将月様たち、どうなったかの……」

「でも、追手もこないようだよ。うまくまきなさったんじゃないかねえ」

「迷わず、追いついて来られるといいがの……」

 大人たちのひそひそ声などどこ吹く風と、寒さも、恐怖も、子供たちにはまだ遠い。

 雪、雪、と笑い声が響く。

 ふいに、その子供たちがおし黙った。何かに、一心に耳を傾けるかのように。

 そして、か黒い森の彼方を、一斉に見つめた。

「りんの音だ」

「うん」

「りんの音がする」

 大人たちは顔を見合わせた。何の音も、彼らには聞こえない。

「ほら、また」

「うん、おいでおいでって」

 一瞬顔を見合せ、きららかな笑い声をあげて、子供たちは我先に駆けだした。

「あっちだね!」

「うん、あっちだよ!」

「これ、行くな! この闇、この山で迷うたら、死ぬぞ!」

 あわてて捨吉が子供たちを追った。子供たちは、何かを目指している。何かの声を聞いている。だが、それが何であるかは、捨吉にも、他の者にも、聞こえず、見えない。

「すだまこだまの悪さじゃ!」

「山の化け物に、おふみたちがたぶらかされたよう!」

 おろおろと、大人たちも必死で子供たちを追いかけ始めた。老僧にも、一体何が起こっているかはわからない。ただ、ほんのかすかではあるが、彼もまた、その音を聞いた。


 りん。


 闇の中を、子供たちは軽やかに木の根を飛び越え、枝をすり抜け、駆けていく。

 足をとられ、下枝に顔を打たれながら、そのあとを大人たちがようよう追う。

「おふみィ」

「松坊、留吉ィ、どこにいくだあ」


 りん。


「上人さま、大丈夫だか。おらがおぶうていきますだ、さあ」

「あ、ああ、大丈夫。大丈夫だ、お前も、子供たちを追いなさい」

 気づかう若者の申し出を断り、妙に軽く感じる杖で、彼も必死で足を早める。僧には、ききなれた音であった。勤行のたびに、その手に振っていたものの音だった。

 もはや捨吉も、山での指図どころではない。なのに、誰一人、崖や沢に落ちる事も無く、夜の山を走っているのだった。そんな体力も注意力も、誰にも有るはずが無い。床についていた年寄りも混じっているのだ。なのに、無尽蔵の活力が、彼らを満たしていた。

彼ら自身も、それに気付かない内に。


 ──無駄死にすんなよ。


 ぎょっとして、老僧は足を止めた。

 まるで、誰かが自分を支えていたかのような近さで、声が聞こえたのだ。

 錯覚──

 だが、ちん、と澄んだ音を、僧は己の胸にはっきりと聞いた。

 懐を探った震える掌は、黒い独鈷を掴んでいた。

「ま、まさか、」

 子供たちが、ようやく足を止めていた。何かを拾い上げ、輪になってそれを囲みながら、きょろきょろと辺りを見回している。

「あれえ、れいげつさま、いなくなっちゃったよ」

「りんはあるのに」

「お母、お父、れいげつさま、どこにいきなさっただ?」

 やっと追いついた大人たちに、子供達は不思議そうに尋ねる。もとより、親たちは答えられはしない。

「そんな、まさか」

「いくらなんでも、おらたちに追いついて来れる訳がねえ……」

 子供たちは、思案顔の大人たちを放って、大好きな老人の回りに集う。

「しょうにんさま、はい」

「しょうにんさまのりんでしょう?」

 金銅の五鈷鈴。紛れもなく。

「う、嘘だ、いつのまに……」

 呆然と、捨吉が来し方を振り返った。

「どうしただ、捨」

「お、尾根を、越しとる……こ、ここはもう、国境の峰ン中だ……」

「はあ、いつのまに」

「夢中で、子供ら、追っていたからのう」

 灯が、ふいに彼らを照らした。

 捕手? あるいは鬼火か。

「坊様? そこにおいでなのは、何時ぞやお会いした坊様ではないですか?」

「おお、そなた、木地師の──」

 一見して百姓でないとわかるみなりの男が、松明をかざして、こちらへやって来るところだった。皮の上着に裁っ着け袴、大鉈を腰にぶら下げている。

「上人様、こんな山のなかに、知り合いがいなさるかね」

 おそるおそる、赤子を抱いた女が、老僧に耳打ちする。

「案ずるでない。お前たちの村にたどり着く以前に、世話になった方なのだよ」

「とんでもねえ、世話んなったは、儂らのほうで。漆を採り損なって沢に落ちてた儂を、将月様たちが助けてくだすったんじゃあないですか」

 そういって、木地師はさっきの子供たちのように、辺りを見回した。

「その将月様、どこにいきなさったかね?」

「はあ、将月様だ? 何をいいなさるね、おまえさん」

「将月様が訪ねて来て、儂に教えてくだすったんだよ。おまえさんがたが、難儀してるとね。ついそこまで、先を歩いておられたのが、ふいとお姿が消えてしまって、」

 いいも果てず、ざくりと音がして、かれらの足元に三鈷剣が突き立った。ひゃっ、と叫んで、木地師が腰を抜かす。


 虚空から降ってきたとしか思えなかった。降りこぼれる、雪と共に。


「将月……麗月……清月よ……」

 涸れることのない泉のように、老人の双眸は涙をこぼす。こんこんと、こんこんと。

「戻ってきたのか……よう、戻ってきたの……」

「上人様?」

「上人様、どうなされた?」

 剣にすがるように、老僧はうずくまる。その懐に、独鈷と、鈴を抱え。

「もはや離れまい。末永く、共に行こうぞ……」




 それがいつの時代かは知らぬ。だが、伊豆より北の山中に、漂泊の民でもなしに、幕府の支配を受け付けぬ奇妙な集落があったらしい。上人と呼ばれた遊行者のもたらした真密(真言宗)を信仰した彼らには、さらに奇妙な伝承があった。

 鬼が、彼らを守護していたというのだ。

 曰く、上人が法具を供養し、ひとたび口訣を唱えれば、忽ち鬼の如き護法がたちあらわれ、危難より村人を救った、と。だが上人が入定した時、その鬼たちが上人の体をいずこかへ運び去り、以来、法具も消えてしまった、と。

 その村も、今は無い。

 村の裔も土地から離れ、真偽は、そうしてより大きな歴史の流れにのなかに消える。

 上人の名前も、村の名前も、とうに失われた。


 ただ、護法の宿る法具は、剣、鈴、独鈷であったと、風土史には記されている。







 ― 追記 ―




「それで?」

 けだるく、男の吸うたばこの煙が部屋を漂っている。場末のホテルは防音設備ももろくに無く、横須賀港の汽笛が耳にうるさい。

「その鬼の一人が、俺様ってわけだ」

「ふうん」

「信じてないだろ、おめえ」

「信じるわよォ。ほんと、鬼みたいに絶倫だもん、清ちゃんは」

 女の手が、シーツの下でどこぞかに動く。

「ほらあ、でっかい角」

「どこ握ってんだ、馬鹿!」

 あとはお決まりのじゃれあいだ。

「でもさ、清ちゃんはいつも自分のこと、お坊さんだって言うくせに、鬼の生まれ変わりってヘンじゃない? お坊さんと鬼って、仲悪そうよ」

「うるせえな」

 煙草を吐き捨て、女にのしかかる一瞬、男の目がサイドテーブルを見る。




 黒い独鈷杵が、そこにあった。

 


                                            



                                     了

自サイトに掲載してある、某TRPGで作成したキャクター背景として書いたたわいのない掌篇です。時代背景、宗教・習俗についての考証はされておりませんので、ツッコミ無用でひとつご了承下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ