表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

 ―転―




「猪はよくても人間はでかいんだ、馬鹿野郎……測っとけ」

 ひゅう、ひゅう、と鳴る自分の息がうるさい。

「まったく……二、三人しかひっかからないじゃねえか、よし公……」


 捕り方は、減ったようにはまるで見えなかった。清月のまわりを取り囲む十人ほどを残し、代官と捕手たちは、何事も無かったかのように、村へと行進していく。もはや、留めようはなかった。

 松明に輝く槍の切っ先が、あやかしの目のように、清月を睨む。


 刀で斬りあう愚を、彼らは犯さなかった。


「二十……は、やったと、思ったんだがな……」

 刀を支えに、ようやく清月は立っている。せめて最期の一足掻きでもしたいのだが、右手だけで構えるには、鋼の棒はもう重過ぎた。

 かといって左手を腹から離せば、臓物が傷からあふれだす。


「構ええっ」

 この隊の頭らしい役人が叫ぶ。

 すうっと、あやかしが十の目を閉じた。

「ちぇっ……兄者たちに、あの世で会わす顔がねえ、な……」

 若者たちはどうしただろう。うまく、逃げ延びていればいいが。

「突けえっ!」

 槍が、一斉に繰り出された。

 振動と鈍い音が体の中から響いたが、痛みはもう感じない。

 自分の腹や胸に、けら首の根元まで埋まった穂先が、何かの冗談のようだ。

 懐から、ちん、と澄んだ音をたてて、独鈷が落ちた。

「兄者……すまねえ……」

 独鈷を追う視線の先、すぐ足元に見知った顔が転がっていた。

 百姓相手には刀を使ったのだろう。胴体は見当たらない。


 見当たらない。


 もう、視界が暗くて、何も見えなくなっていく。


 夜がきたのだ。


「……無駄死にすんなって、いったろ……」

 ねじるように槍が引き抜かれる。

 清月は、砂を詰めた袋のように地面に崩れ落ちた。


 夜はくる。


 侍の屍の上にも、百姓の屍の上にも。





 その匂いに気付いたときにはもう、麗月はそれを浴びていてた。

「兄上、油です! 離れて……!」

 言い終わらぬ内に、松明が投げつけられた。

 一気に闇が晴れた。

 人の形に芯をみせて、赤々と炎が燃え上がる。

「麗月ッ!」

「あ、にう、え、……」

 己に火が燃え移るのも構わず、将月は兄を案じて身を離そうとする妹を、抱き留めた。

「酷いと思う心も無いのか、おぬしらは……」

 食いしばった歯の根から、絞り出すように将月はうめいた。

 捕手の半数以上が、憑き物が落ちたかのように、動きを止めていた。


 切り合い、殺し合いは、すでに村境で見聞きした。しかし、相手が狂信の徒であるとはいえ、女が焼け焦げていく様は、さすがに吐き気を催させる。

この在では、まだ打ち首も火炙りも行われておらぬ。役人たちといえど、そうそう死罪にはでくわさない。

 それに、罠を仕掛け、不意打ちをかけてきた侍には随分と同僚が殺されはしたが、この男女の邪教徒は、決して彼らを殺そうとはしていなかったのだ。

 男の持つ異形の剣に刃はなく、なおかつ足払いや、小手のみを男は狙っていた。

 女にしても、目ざましい俊敏さで捕り方の一人から刀を奪いはしたが、彼女もまた、峰うちに専念していたのである。

「邪教の徒は、人に非ず。獣が道理を説くとは笑止!」

 言い切ったのは、良く肥えた代官本人であった。

「そのけだもの風情が、ひとがましいことを申すな。ぬしらのせいで、村の者が死ぬぞ? わしとて、村の娘たちは惜しいわい、もったいない事をしてくれたの」

「女衒と通じておったは、代官、うぬ本人であったか……」

 夜風が、消えかけていた麗月の炎を将月の衣服に移し、再び光が煌々と闇を照らした。

「我等は、人心を乱す行いのひとつだにしてはおらぬ。欲に目が眩み、詮議もおろそかに無辜の村人を狩りたてて、うぬのほうが鬼畜であろうがッ!」

 否、炎ではなく、男の気迫が闇を退ける。

 倶利伽藍の剣を携え、迦楼羅炎をまとうその姿を、彼らは知っていた。


「不動明王……」


 誰からとも無く、呟きは広がる。

 呟きは、さざ波のように名号を唱える声に変わっていった。

「何をしておる貴様ら、外道に手をあわせてなんとするかッ!」

 焼けただれた麗月には、まだ息があった。ふらりと将月の腕を離れる。

 何か言おうとして、将月は言葉を呑んだ。ただれたその顔が、笑ったように見えたからだ。

「な、何……?」

 焼け焦げた女が、代官に向かって、歩いてくる。

「女好きの、代官殿」

 炭色の唇は、はっきりと言葉を紡いだ。

「好きなものと滅ぶは、本望でありましょう……?」

 麗月が代官に抱きつくのと、その手が呆然としていた捕手の松明を奪うのは、ほとんど同時だった。

「地獄に、私がお供つかまつります──」

「は、はなせ、離せえ! 何を見ておる、この化け物を引っ剥がせ! は、早く、」

 燃え盛る松明を代官の懐にねじ込み、それを己の体でふさぐようにして、麗月は代官を抱きしめる。懐紙に燃え移った炎は、薄衣のように代官を包み込み始めた。

「兄上──誓いを破るうららを、お許しくださいまし」

 誰も何もすることが出来ぬまま、火達磨の代官を抱え、麗月は濃闇へ身を踊らせた。


 その先には、沢へと落ち込む崖がある。


 身じろぎもせず、体も焼かれるにまかせ、将月は凝然と、その闇を見つめていたが──

「麗月、清月──お前たちばかり、無間にやるわけにもいくまい」

 将月は、捕手達に向き直った。


 誰も何も言わぬ。


 代官の耳障りな悲鳴が止むと、しんと、静寂のみがあった。


「こ度の罪は、皆、我に帰せられよ。村の者を惑わし、代官殿弑せし罪、この将月が全て引き受ける。ご一同、異存は有るまいか──」

 捕手全員が、刀を収めた。村人を追わぬと、その誓いでもあった。

「では、御免」

 言うなり、将月は剣の切っ先を己の胸に押し込んだ。

 なまくらのはずの刃が、ためらいのないすさまじい膂力で、背にまで突き抜ける。



 即死であった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ