―承―
将月達が立ち去ったばかりの村へ、時は戻る。かわたれ時には少し早い、人気の無い村には、すでに血臭が漂っていた。
「ひいっ、ひいいっ」
貧相な村のたたずまいとは対照的に、贅を凝らした屋敷の周辺である。立派な構えの表門から、累々と、死体が転がっているのだ。死体は、農村には似つかわしくない、やくざ者の風体ばかりであった。
「庄屋あ、おめえだよなあ、代官にある事無い事吹き込んだのはよ」
脂ぎった小男は、奥座敷に追い詰められ、ガタガタと震えて声も出せぬ。
切り取られたのはまだ片耳だけだから、声は聞こえていようし、口もきけるはずなのだが。
問うた男は、黒っぽい古着を着流しにした浪人の体だ。鋭く切れ上がった目つきは、将月や麗月に似かよったところがある。全身に返り血を浴び、薄笑いを浮かべた様は、悪鬼さながらの凶相であった。
「そりゃあ、坊さんは立川流さ。けどな、その坊さんが、荒れ寺も墓場もきれいにしてよ。寺子屋の真似事から、病人や怪我人の面倒までみてたんじゃねえか。そのお人を、なんだって村長のお前さんが売りやがる? 頭下げるのが普通だろう」
「む、娘たちを売るのを、邪魔したじゃあないか、あの人は」
猿のように歯を剥いて、ようやく庄屋は声を出した。
「あ、あんたたちに命じて、みんな連れ戻しちまった。それじゃあ村の連中の、迷惑だった、から、こ、子供もまびかねえようになっちまったていうのに、」
「親が泣いて売った娘らの代金に、びた銭しかよこさねえで、なに言ってやがる」
それまで肩に担ぐように構えていた刀を、ひょいと清月は──そう、この男が清月だ──無造作に降り下ろした。
庄屋の左足の親指が、ぶつんと飛んだ。
「ひいいいっ」
「売った金の八割は、お前が懐にいれてただろうが。おまけに娘ら、お前と、女衒の子飼いがさんざ遊んでから、売られていく。店に着いた時には、みんなおかしくなってるそうだぜ、知ってたか?」
ごとん。
今度は、足首が濡れ縁から庭へと転げ落ちた。
「あ、あんたは知らないんだ、都で立川流といえば、そりゃあ恐ろしい、死体から骨を取り、行のさなかでできた赤子も殺す、畜生の集団……」
「そんなえげつねえ行に狂ってンのは、金も暇もある馬鹿野郎どもだけだぜ」
返り血に染まっているが、ひどく生真面目な表情が清月の顔に浮かぶ。
「立川流っていったって、あの坊さんは髑髏拝めの、見境なくまぐわえの、そういう事はいわねえ。まぐわって、できた赤ん坊こそが赤白二渟の本尊なり、てのがお題目なんだからよ。そこらの生臭坊主より、よほど筋が通ってらあ。てめえも、説教を聞いてただろうが、こら」
「邪教は邪教だ! きりしたんにも劣る外道……」
「うるせえなあ」
少々勢いをつけた切っ先で、清月は庄屋の顔を右横にないだ。
庄屋の口の左端が、耳の下まで一直線に裂け、歯列がのぞけた。
「あああああ」
悲鳴がもう声にもならない。庄屋の腰の辺りがぐっしょりと濡れそぼち、さらに脱糞の臭いが漂い始める。
「第一、坊さんのせがれはもうお役御免よ。村の女に手ェだそうにも、せがれがたたなきゃ悪さもできめえが」
からからと、血塗れた刀をひっさげたまま清月は邪気なく笑った。
「もっとも、勃ったところで、やっぱり手はださねえだろうがな。明妃はこの世でただ一人の結縁と成す、だとよ。女房もいねえ俺にゃ、わからねえがな」
庄屋はもうその声を聞いていない。白目を向き、口から血と涎をないまぜに噴きこぼして失神していた。
「けっ」
つまらなそうに吐き捨て、懐の手拭いで刀身をぬぐう。人脂に曇りきった刀は、なまくらよりも役立ちそうも無かった。
「十人斬って、このざまか。……二本……いや、三本は要るな。役人から獲りながら、代えていくしか……」
「清月さん、いなさるか」
彼を呼ぶ声と共に、数人の足音が、屋敷の中に踏み込んでくる。
「清さん、……庄屋さんも殺しただか」
来たのは、村の若い衆が五人だった。とうに旅立ったはずの彼らを見て、清月は面食らう。
「こんな爺い、殺すまでもねえ。……なんで、お前達、まだ村にいやがるんだ」
「おらたちも、役人と戦うだよ」
「馬鹿かおめえら。やっとうに触ったこともねえくせに」
「代官所の捕手相手に、一人でかみつこうってあんた様の方が馬鹿だよ」
笑って、その内の一人が言い返す。やくざ達の屍を見、庄屋の有り様をみていながら、残りの者たちも怯えてはいない。それなりに胆の座った男たちであるようだ。
「うるせえな、斬るぞこら。邪魔だ邪魔だ、とっとと兄者たちを追え。まだ間に合う」
ぶんぶんと、棒切れで犬を追い払うように刀を振り回し、そのまま清月は屋敷を出、村の入り口に向かった。その後を、それこそ懐いた犬のように、若者達がついていく。
「おらの嬶は、代官所の役人に、貢がれただよ。首くくって、死んだ」
「おらのいいなづけだったおさとも」
「上人さまには悪いが、おらたちは、地獄に落ちてもええ。ええんですよ」
「庄屋さんの悪行に目ェつぶってた役人に、一泡吹かせてやりてえんですよう」
「ああ、うるせえうるせえ。好きにしやがれ、どうでてめえの命だ」
険悪な顔つきの清月とは反対に、若者たちの顔が明るく晴れる。
「竹を切ってきますだ」
「おらたちは、役人の動きを見て来ます」
生き生きと、死に向かう彼らを、苦い顔つきで清月は眺めていた。
喧嘩は好きだが、戦は嫌だ。自分が自分で無くなって、大きな流れに飲み込まれる。
「関が原じゃねえんだ」
武士は己ひとり。無辜の農民を己という流れに巻き込んで、それでいいものか──
「なにがいいものですか」
さらに一刻前、古寺のなかでそう麗月とやりあったばかりだ。
「無闇に死ぬ事はならぬと御坊の教え、やはりお前にはわからぬか」
「うるせえ。子供と年寄りつれてちゃ、いかにいますぐ発ったところで、必ず追いつかれる。俺が勝手に居残るんだ、いいも悪いも、言われたかねえ」
「逃げきれなければ、その時のことだ。無事に落ち延びる事ができれば、無益な殺生をせずに済む。役人といえども、同じ人間だ。争いたくはない」
急な旅立ちにわき返る村の騒ぎを聴きながら、将月も険しい表情で弟を見つめる。
「それでも、共に来てはくれぬのか、清月……」
「聞けねえよ、兄者。それだけは」
兄は、憧れの全てだった。度量も剣の腕前も、兄には及ばない。なにより、家名をすててまで、妾腹の、しかも双子の自分たちを守ってくれた兄。
畜生腹を口実に、弱小武家の母の実家を潰すことが決まった時、そして、自分たちも亡き者にすると決まった時に、将月は命を下した藩主を、斬った。人間として尊敬できるところは何一つ無い男だったが、それでも将月は苦しんだだろう。
実の父親を殺したのだから。
放浪のなかで、かの老僧と会わねば、追手をまたずとも割腹していたに違いないのだ。
老僧は、双子にとっても、父であり、祖父のようなものだった。
立川流という名の禍々しさからはかけ離れて、僧の説く教えは明快で、濁ったところが何一つない。だからこそ、この何も無い貧しい村で、彼らは歓待された。
やせた土地に、蕎麦や稗をほそぼそとつくりながらも、終の住処を見つけたと安んじていたものを──
「なにもして無い者が、なんで追われなきゃならねえ。俺は逃げるなんざまっぴらだね」
「ことを荒立てても、村の者が迷惑するだけだ。だからこそ、私たちが彼らを守らずしてどうする」
「代官所の木っ端役人如き、俺一人で片づけてやるさ。そうしたら、のんびり荷造りに帰ってくればいい」
「一人でかなう訳ないでしょう、この馬鹿!」
「お前の憎まれ口も、聞かなくてすむは清々だぜ、うらら」
そういって、清月は立ち上がる。
「御坊には、よろしく言っといてくれ。どうせ、顔をみせたら説教垂れるに決まってるからな。……あとは頼んだぜ、兄者、うらら」
「清月、どうしても残るか……」
「どうしてもだ。それにもう一つ、俺はどうしても庄屋に挨拶しておかなきゃあ、気が済まねえんだよ」
昼になって、役人が来る事を知らせた庄屋。村一つあずかる身でありながら、金と女を鼻薬に、おとがめもないそうだ。
したり顔で、村人たちを罵った顔を思い浮かべると、清月のはらわたは煮えくりかえる。
「ああ、それから、こいつを借りてくぜ」
そういって、清月が懐から取り出したのは、黒い独鈷杵だ。
黒曜石の刃を、銀の金で接いである。独鈷としては異常な造りだ。
「お前、それは……」
「兄者の刀のかけらぐらい、縁起かつぎで持っていってもいいだろう?」
「兄上、私からもお願いします」
珍しく、うららが清月の肩を持つ。清月が、明らかに老僧のもとから盗んだと知っているはずなのに。
「じゃあな」
わざとつっけんどんに、今生の別れを告げる。
兄は、何も言わなかった。うららも、又。
だが無言のうちに、清月を案じる気配がひしひしと伝わる。それを踏みにじって、背を向けたのだ。
村人に声をかけ、その足で、庄屋の屋敷を守っていたやくざとやり合った。
もう、あとには引けない。否、引かぬ。
(極楽なんざ、俺には気ぶっせいだ)
砥石のかけらで、血曇りを削り落とすようにして、刀を研ぎ上げながら、清月はそう思う。
無銘の刀だが、今日初めて人を斬った感触では、業物かもしれない。素人の無茶な研ぎ方で、今は見る影も無いが。
兄は、名刀をおしげも無く寄進し、仏具の材として潰したが、清月は刀を手放せなかった。逆に、兄の刀が造り変えられていくのが口惜しかった。鍛冶の男に頼んで、鋼のかけらを取りおいてもらい、山で拾った黒曜石を刃にすえて、独鈷を作らせた。刃の分まで、鋼は無かったからだ。
(荒々しき形よの……)
僧は、清月の苛立ちや迷いを、そこから感じていたようだった。刀を捨てられぬ己、百姓に馴染めぬ己。兄を慕いながら、兄の諭す通りに生きられぬ己の。清月から献じられた独鈷は深く僧侶の懐にしまわれたが、勤行に使われる事はなかった。
その独鈷が、今は清月本人の懐にある。
(俺に出来ることといったら、人斬りしかねえやな)
あぐらをかいた清月のそばでは、二人の若者が竹の先に油を塗り、火で炙る作業に余念が無い。こうすることで、斜めにそいだ竹の切っ先は固く強くなる。たまに、もう一人が道の脇から現れて、その竹を数本抱えては、また藪の中に消えていく。
偵察に行った二人が、何やら細工をしているようだ。
(まあ、好きにするがいいや)
宵闇の迫るなかで、竹を焼く炎だけが明るい。
道の彼方に人影を見とがめて、清月は立ち上がった。なにかを叫びながら来るそれは、偵察にいっていた百姓の一人だった。
「清さん、来た。来たよ」
息を切らしながら、ようよう、それを告げる。
「代官まで直々のお出ましだよ、結構な数だ」
「よし。じゃあ、おめえらは逃げな。斬り合い、殺し合いは侍の仕事だ。百姓は、お呼びじゃねえよ」
「まだ、そんなこといってらあ」
意外にも、おおらかな笑い声が、若者たちから上がった。
「罠をつくるのは、百姓のほうが上手いですよ」
「罠だ?」
「忘れちまったんですかい? 先に行ったよし松は、猪罠の手練じゃあねえですか」
「あ……おめえら、それで……」
「もし、村の衆が戻ってこられるなら、村はそのまま残してえです」
「人死には、村の外にしましょうや、清さん」
「お、おう」
立場が逆転している。自分一人で、と気張っていたが、覚悟は百姓たちの方がよほど出来ている。すでに走り出した彼らに肩を並べながら、
「ちぇ、いいとこなしだな、俺ァ」
「清さんは、お侍だから。ほんとは、清さんには、将月様たちと一緒に、逃げてほしかったですよ」
「何?」
「これは、おらたち百姓の戦だ。おらたちに生きる力を授けてくださった上人様や、娘っ子達を取り返してきてくれた清さんたちを巻き込んじゃあ、罰があたりまさ」
「昼に庄屋の話を聞いた時から、おらたち、お上に逆らう覚悟ができてたですよ」
また、笑い。
「なのに清さん、一人で庄屋をとっちめちまって」
「うるせえな」
こんなにも、人間は死を前に明るく笑えるものか。陰りの無い笑いだ。
この若者たちを死なせたくないと、清月は心から思う。
「無駄に死ぬな。いけねえとおもったら、さっさと逃げちまえ。戦は、百姓の仕事じゃねえ。百姓は畑と子供こさえてりゃいいんだよ、まったくこの馬鹿どもがよ」
「口の悪いのは、死んでもなおらねえな、清さんは」
「うるせえな」
道の脇から、よし松が手を振って、合図していた。清月達も、同じ道端の藪の中に身を潜める。
「道の真ん中に、穴を掘ってあります」
「急拵えで、あんまり深くはありませんがね、竹をいけておきましたから」
目を凝らすと、確かに指さされた辺りに、柴が散らばり、土が乱れていた。薄闇でも、地面と見分けがつきにくい。
西の空には、わずかに赤みが残っているが、それも間もなく消えるだろう。
夜が来る。
「いい塩梅だぜ」
舌なめずりをして、清月は刀の柄を握りしめた。