1、先生と私。
「先生は、子供が産まれた時のこと、覚えてる?」
高校3年の春、私は先生は訊いた。
私の担任の川上先生は23歳独身。バツイチ。
19歳で結婚、21歳で離婚。
子供がいたそうだが、離婚以来会っていないという。
細身で長身の先生の担当は数学。白衣の似合いそうな先生だ。
「いや、覚えてないな」
先生はいつも言う。
「出産にも立ち会えなかった。俺、授業してたしさ。
実を言うと、子供とあんまり会えなかったし。あの子も、俺のことなんて覚えて
ないと思うよ」
ふーん、と私は先生を見た。
「なんだよ」
先生は少し不機嫌そうに眉を寄せた。
「先生も、やることやってたんだね」
「うるさい。もう5時だぞ、早く帰れ」
先生はまだ明るい空を見た。
ずいぶん陽が長くなってきた。
立ってるだけでも汗ばんでくるのが分かる。
「まだ、5時じゃん。私帰りたくないなあ…」
私は憂鬱になった。
「どうした?何かあった?」
先生の少し甘い声がセクシーだ。
「大丈夫」
私は座っていた机から飛び降りて軽い鞄を持った。
「30分も引き止めちゃったね。先生、お疲れ様。ばいばい」
「おう。また明日」
笑顔で手を振っている先生に私も手を振り返す。
明日もまた、30分。
先生と話す時間は、私にとっての救いの時間。
私は小さくため息をついて帰路についた。
私は相沢夏希。
高校生活も残すところ9ヶ月。
私は、この9ヶ月を、誰かを愛せる時間にしたいと思っていた。