第6話「約束の剣」
その日も、朝からギルドへ向かった。
もう何日も同じ道を歩いているはずなのに、街の匂いはまだ新鮮に感じる。焼きたてのパンの香り、荷車の軋む音、呼び込みの声。人間だけじゃなく、獣人や亜人が当たり前に混ざっているのも、いつのまにか「そういうもの」として受け入れていた。
受付に顔を出すと、いつもの女性が軽く手を振ってくる。
「レイさん、おはようございます。今日もお仕事探しですか?」
「お願いします。あんまり遠くないやつで」
「なら、これとこれ。慣れてきた方にはちょうどいいですよ」
渡された依頼票は二枚。どちらも危険のない仕事だが、体を使う系だ。
午前は倉庫の整理。ギルドの裏倉庫に積まれた荷を移し替えて、棚の番号通りに並べ直す。最初は訳の分からなかった符号も、今は目で追えば自然に意味が入ってくる。
(ほんと、言葉だけじゃなくて……文字も、だよな)
考え出すと気味が悪い。けど、今は助かっているのも事実だった。
昼前には汗だくになった。依頼主に確認を取って、ギルドに戻って完了の印をもらう。銅貨が数枚、手のひらに落ちる音は、いまだに少し嬉しい。
午後は宿屋の手伝いだった。掃除と片付け、裏手での水運び。女将さんは口は厳しいけれど、仕事ぶりを見てくれている。
「手ぇ動くようになってきたじゃないか。最初の頃よりずっとマシだよ」
「……褒めてるんですか、それ」
「半分な」
そんなやり取りをしているうちに、夕方になった。
ギルドに戻って報酬を受け取る。今日の分をまとめて袋に入れてもらい、俺はその場で数えた。
銅貨八枚。
そして、部屋に置いてある分と合わせれば——
(銅貨三十八枚)
心臓が少し早くなる。
武器を買う。今日だ。
剣が欲しいというより、武器を持たずに「冒険者です」って顔をしている自分が、なんだか頼りなくて嫌だった。言い訳みたいだけど、やっぱり自分の手の中に、何か一本でも欲しい。
ギルドを出て、夕暮れの街を歩く。石畳の上に長い影が伸びる。露店の明かりが灯りはじめて、昼とは違う顔になる。
武具屋の看板が見えたとき、俺は一度だけ深呼吸した。
中に入ると、あの大柄な店主がすぐに気づいた。
「おう。よく来たな、レイ」
「……剣、買いに来ました」
言った瞬間、なんだか恥ずかしくなる。でも引き返せない。
店主は、にやっと笑った。
「例の約束、覚えてるか?」
「半額、ですよね」
「そうだ。で、どれにする。短剣か? それとも——」
店主が視線をやった先に、前に見た剣があった。初心者向けの片手剣。短剣より長く、剣らしい剣だ。
俺はその剣の前に立ち、そっと柄に触れた。
冷たい金属。木の柄。思ったより重い。
(……これを持って戦うんだ)
店主が値札を指で弾く。
「それは銅貨二十八枚。約束どおり半額なら——十四枚だ」
「……それで、お願いします」
自分の声が少し硬い。
店主は頷き、剣を布で軽く拭いてから、鞘ごと差し出した。
「握ってみろ。合わなきゃ別のも探してやる」
俺は受け取って、柄を握り込んだ。
指に馴染む。ちょうどいい太さ。重さも、ぎりぎり扱えそうだ。
「……これでいいです」
「よし」
俺は袋から銅貨を数え、十四枚を手渡した。店主は受け取ると同時に、残りの銅貨をちらりと見て言った。
「無茶はするなよ。武器を持ったからって強くなるわけじゃねえ。死ぬやつはあっさり死ぬ」
「……分かってます」
「分かってねえ顔だ。まあいい。少なくとも、逃げるときの足は残せ」
そう言って、店主は短く笑った。
店を出るとき、剣の重みが腰に伝わった。
それだけで、背筋が少し伸びる気がした。
宿に戻って部屋に入る。鞘ごと剣を机の上に置き、俺は銅貨を数え直した。
残り、二十四枚。
(これなら……しばらくは大丈夫だな)
宿代と飯代を払っても、余裕はある。急に世界が明るくなった気がした。単純すぎるけど、武器一本で人は変わるらしい。
荷物を整理しようと思って、いつもの肩掛けバッグを開けた。中身を確認して、手を止める。
分厚い本が目に入った。
日本から持ってきた歴史の本。
「……そういえば」
能力鑑定所のおばあちゃんの言葉がよみがえる。
魂に関わる。具現化に近い。だけど普通じゃない。
俺は椅子に座り、何となくその本を開いた。ページをめくる音が、やけに静かな部屋に響く。
何ページか進めて、自然とそこに辿り着いた。
宮本武蔵。
俺は特に気合いも入れず、いつも通り文章を追った。資料的な紹介文。要点がまとめられた、あくまで「本の説明」だ。
……そのとき。
「……なんだ、この書き方は」
声がした。
すぐ近くで。普通に。まるで、隣に誰かが座っているみたいに。
俺は息を止めた。
顔を上げて、反射的に部屋を見回す。
誰もいない。
廊下の物音もない。窓も閉まっている。
「……え?」
間抜けな声が出た。
もう一度、声がした。
「戦を知らぬ者が、我を語るな。……『二天一流を確立』? 言葉が軽い」
俺の視線は、開いたページに吸い寄せられる。武蔵の項目。まさに今読んでいたところだ。
喉がひくつく。
「だ、誰だよ……」
自分の声が震えているのが分かる。
返事は、すぐに来た。
「……我は、我だ」
意味が分からない。
でも、体の奥が妙に熱くなる。胸のあたりがざわつく。
脳裏に、闘技場の光景がちらついた。あの瞬間、体が勝手に動いた感覚。力を貸すと言われた声。
俺は、ゆっくりと息を吸って、絞り出すように言った。
「……お前、まさか……」
ページの文字が、いつも通りそこにある。何も変わっていない。なのに、声だけが確かに“いる”。
「……ふざけんな。なんで今なんだよ」
返事はなかった。
ただ、静かな沈黙が部屋に落ちた。
俺は開いた本を見つめたまま、動けずにいた。




