ふたりで祈る日
イレーヌが再び教会に立ったとき、周囲はざわめいた。
長い沈黙を経て戻ってきた“祝福の器”。
だが彼女の姿は以前と違っていた。
神聖な白装束をまといながらも、その胸には一輪の花──あの日ナジルと訪れた店で贈られた、名もなき白い花を飾っていた。
それは、「誰かのため」だけに生きていた頃のイレーヌではないという、ささやかな宣言だった。
新たな式。
久方ぶりの祝福依頼に、教会も貴族たちも注目していた。
だが、最も視線を集めたのは、祭壇の傍に立つもうひとりの存在──ナジルだった。
「なぜ一般人が立っている?」
「祈りの儀式に関係ない者を混ぜるなど……」
ざわつく会場の声に、イレーヌは一歩前に出た。
「──この方は、私の“補助者”として同行しています。今後の式において、私自身の意志を明確に示すためです」
その言葉に、神官たちは言葉を失った。
彼女は、教会の決まりに背いたわけではない。
ただ、“与えられた役割”ではなく、“自らの望み”として式を選び取ったのだ。
そして──式が始まる。
新郎新婦が誓いを交わし、イレーヌが祈りを捧げる。
その隣に立つナジルは、ただ静かに見守る。
だが、祈りの最後、イレーヌはそっと彼に視線を送った。
まるで、ふたりで祈っているかのように。
(あなたがいてくれるから、私はこの役目を誇れる)
その瞬間、ステンドグラスの向こうから差し込んだ光が、ふたりを包み込んだ。
式後、控室でナジルが囁く。
「……なんだか、不思議だったよ。君の祈りの言葉が、俺にも届いてた気がする」
「届いてたのよ。……あなたにも、そして私自身にも」
イレーヌは微笑む。
「昔はね、祈るたびに、自分が消えていくようだったの。でも今日は違った。あなたがそばにいてくれるから、“私”を祈りの中に残せたの」
その言葉に、ナジルはゆっくりと頷いた。
「……じゃあ、俺も祈ろうかな。君の幸せを」
「それは私の仕事よ」
「でも、君は誰かのためにばかり祈ってきた。たまには、自分のために祈られたっていいじゃないか」
「……そうね。じゃあ今日は、あなたと私、ふたりで祈る日にしましょう」
その日、教会の片隅で──
“ふたりの祈り”が、静かに始まった。
それは神に向けたものではない。
これから共に生きるふたりの、未来への願いだった。