誰の未来を照らすか
イレーヌの前に、教会の大主教が現れたのは、その翌日だった。
「君の決断を、尊重したいと思っている」
柔和な顔でそう言った大主教は、しかしすぐにこう続けた。
「ただし、今後も祝福を請け負っていただけるなら、という条件付きでね」
それは“選ぶ自由”に見せかけた、極めて巧妙な拘束だった。
祝福の儀式は、教会の威信に関わる。
イレーヌが離れることは、すなわち「奇跡の終わり」を意味するのだ。
「……もし私がそれを断れば?」
「教会からの保護を失うことになるだろうね。ナジル殿との関係も、教会関係者としてふさわしいものとは思えないと、上層部は判断している」
まるで、“誰を選ぶか”を問われているようだった。
祝福の力と、ナジル。
多くの人を助けてきた“祈り”と、自分の“幸福”。
どちらかを選べば、どちらかを失う。
そう思った時──ナジルの声が、脳裏に蘇る。
「俺は、君が幸せになることが一番大事なんだよ」
あの言葉を信じていいのか。
それとも、愛とはもっと“重たい責任”なのか。
*
その夜、イレーヌはナジルのもとを訪れた。
「……私、祝福をやめるつもりでした。でも、それが誰かの未来を照らす力になると知った今、もう無視はできません」
「そうか」
ナジルは、わかっていたように頷いた。
彼女が抱える重さを、最初から知っていたのだ。
「でも」
イレーヌは、ナジルの手をそっと握った。
「今度は、ただの“器”としてじゃなく、私自身の意志で、祝福を祈りたい。──そして、あなたの隣にいたいとも、思っています」
「……両方、選ぶのか?」
「ええ。選ばれるばかりの人生はもう終わり。私は、私の望む未来を“選ぶ”」
それは、最も難しく、勇気のいる選択だった。
けれど、ナジルはすぐに笑った。
「そう言ってくれるの、待ってた」
彼の手が、彼女の手を強く握り返す。
「ただ一緒にいたいだけだった。君が誰を祝福しようと、何を祈ろうと、俺が君を選ぶことは変わらないよ」
イレーヌの目に、涙がにじんだ。
選ばれることの喜びは、確かにあった。
だが今、彼女は「自分が選ぶこと」の尊さを知った。
(誰の未来を照らすのか、それを決められるのは、私自身)
その心の光が、夜空の星よりも確かに瞬いていた。