かつての花嫁たち
その日、イレーヌは自らの足で町へと出た。
行き先は──過去に自分が祝福を施した夫婦たちのもと。
「答えを出す前に、見ておきたいの。私が何を残してきたのかを」
そう言ってナジルに別れを告げ、彼女は一人、最初の花嫁の家を訪れた。
扉を開けたのは、当時十八歳だった若き伯爵令嬢──今は落ち着いた母親の顔をしていた。
「イレーヌ様……まさか……!」
「お久しぶりです。突然すみません。少しだけ……お話を伺えたらと」
最初は驚いていた令嬢も、やがて優しく迎えてくれた。
聞けば、政略結婚とされていたその夫婦は、式の直後からぎこちないながらも歩み寄りを重ね、今では心から信頼し合っているという。
「あなたの祈りが、最初の“空気”を変えてくれたの。あれがなかったら、たぶん一歩目を踏み出せなかった」
イレーヌは微笑んだ。
祝福の力が“その後”につながっていたのだと、初めて確かめることができた。
彼女は続けて、いくつもの家を訪ね歩いた。
──幸せな家族を築いた者。
──道半ばで別れたが、穏やかに笑っていた者。
──新しい命を抱いていた者。
──戦争で夫を亡くしたが、「それでも出会えてよかった」と語る者。
皆が言った。
「イレーヌ様の祈りが、私たちの最初の一歩でした」と。
(……わたしは、誰かの“未来”の入口を、開けてきたんだ)
けれど、その足取りが重くなったのは、ある屋敷の前だった。
──最後に訪れたその家では、離婚の噂が立っていた。
かつての花嫁は、痩せ細り、目元に深い影を宿していた。
「……あの祝福は、間違いだったのかもしれないわね」
その言葉に、イレーヌの胸は締めつけられた。
確かに、神の加護は“幸福”を約束するものではない。
祈りはあくまできっかけに過ぎず、人生を形作るのは人自身だと、知ってはいた。
だが──
「……それでも、私が一瞬でも幸せを信じられたなら。意味はあったんでしょうね」
彼女はぽつりとそう言った。
それを聞いたイレーヌの中で、何かが変わった。
(祝福とは、未来の保証じゃない。
ほんの一瞬でも“信じられる力”を渡すこと)
それは、自分が今欲しかったものと同じだった。
未来がどうなるかわからなくても、信じたい人がいる。
だから、今度は──
(わたし自身が、自分の祈りに責任を持たなくちゃいけない)
夜、教会に戻ると、ナジルがいた。
「どうだった?」
「……たくさんの“今”を見てきました。うまくいった人も、そうでない人も。でも皆、一歩目を踏み出す“光”を、ほんの一瞬でも信じられたと言ってくれた」
イレーヌはゆっくりと彼を見つめた。
「だから、今度はわたしが“選ぶ”番なんです。誰の未来を照らすかを、誰と一緒に歩きたいかを──」
ナジルは一言も挟まず、ただ頷いた。
その沈黙が、何よりも優しかった。