拒絶された祝福
数日後の午後。
イレーヌの滞在先に、一通の手紙が届いた。差出人の名はなかったが、封筒に添えられた小さな花の押し花──それが、イレーヌにはすぐにわかった。
(……あのときの花嫁、ラーシャ)
文字は荒く、筆圧は強く、どこか戦うような筆致だった。
「あんたの言葉が正しかったなんて、まだ思ってない。
でも、あれから毎晩、妙な夢を見る。
子どもの頃、ただ一度だけ“幸せになりたかった”って思ったことがあって──
忘れてたはずなのに、あんたの祈りを聞いたとき、思い出してしまった。
……あんたに会いたい」
イレーヌはそっと便箋を閉じた。
それは「許し」でも「和解」でもなかった。
ただ、心の底からしぼり出された一行の「返事」だった。
(彼女の中に、祈りが“芽を出した”)
翌日、イレーヌは一人でラーシャの住む下町を訪ねた。
質素な屋根と、赤土の壁。石畳にこぼれる洗濯物。
その一角で、ラーシャは井戸から水を汲んでいた。
「……来るとは思わなかった」
「“会いたい”と書いてありましたから」
「……あれは、なんていうか……」
「言葉を信じに来ました」
イレーヌの笑みは、柔らかく、何も責めなかった。
それが、かえってラーシャの警戒心を溶かしていった。
「……ねえ、聞いてもいい? あんたの“祈り”って、結局なに?」
「誰かの幸せを、“本人よりも信じてみること”。
その信じる気持ちを、言葉にすること。
──それが、私にとっての祈りです」
「……バカみたい。
自分のことすら信じられなかったら、誰にも祈れないじゃん」
「ええ。だから私は、長い間、祈りながら、自分のことを信じる訓練をしてきました」
ラーシャは、しばらく黙った。
そのあと、絞り出すように言った。
「……じゃあさ。試してみてよ。
“この私に、幸せになってほしい”って……祈ってみて」
イレーヌはすぐに手を合わせた。
誰のためでもない。目の前の、誰よりも強く生きてきた女のために。
「──この人の心が、ひとりで傷つく日々から解き放たれますように。
誰かのためにじゃなく、自分のために笑える未来が来ますように」
祈りの言葉は、風のように静かだった。
ラーシャは、泣かなかった。
けれど、その目が濡れていたことを、イレーヌは気づいていた。
「……あんたの祈りって、あったかいんだね」
「私はあなたを救おうとは思っていません。
ただ、あなたが“自分を救いたくなる日”を待っていたいのです」
「……なによそれ。ほんとに、バカみたい」
そう言いながら、ラーシャは背を向けて、
けれど、イレーヌにだけ聞こえる声で呟いた。
「……ありがと」
*
その日の夜。
イレーヌは宿に戻ると、セリオ宰相からの伝言を受け取った。
「式典の準備が整いました。
どうやら、“祈りの存在”を検証したがっている人物が、もうひとりいるようです」
それは──この国で最も祈りを否定していた男、セリオ自身だった。