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そして、誰のために祈るか

季節は、春から夏へと移り変わろうとしていた。

 王都の空には、祝祭の準備を知らせる鐘が鳴り響いている。


 イレーヌは、再びフローディア家の門をくぐった。

 今度は招かれたのではない。彼女自身の意志だった。


 迎えに出たのは、あのときとは別人のように痩せたミランダだった。

 装飾もなく、顔色は青白い。それでも彼女は言った。


「……もうすぐ、離縁が成立するわ」


 その声には、敗北のにおいも、解放の兆しもなかった。

 ただ、疲れ果てたひとの音だった。


「私は、“祝福されなかったこと”を恨んでいた。でも……今は違うの。あのときあなたが祈っていたら、私は一生、偽りの中に閉じ込められていたかもしれない」


「……ミランダ様」


「私は、“祈り”というものが、無償の愛だと気づいていなかった。

 でも今ならわかるわ。あれは“選ばれた者の覚悟”を問う光だったのね」


 イレーヌは静かに首を振った。


「いいえ。祈りは、覚悟に報いるものであって、それを試すためのものじゃありません。……でも、あなたが本当に誰かと向き合いたいと思ったとき、私はいつでも祈ります」


 ミランダの目に、初めて涙が浮かんだ。


「……そんなふうに、誰かに“待ってる”って言われたの、初めてよ」



 数日後。

 イレーヌは、小さな村での簡素な式に招かれていた。

 かつて彼女が読み聞かせをしていた少女ティナの“育ての親同士”の再婚だった。


 大聖堂のような煌びやかさはない。

 装飾も少なく、参列者はご近所の人々ばかり。


 けれど──ふたりは、手を取り合って立っていた。

 どちらが主導でも、どちらが従属でもない。


 式の終わり、イレーヌが小さな祈りを捧げる。

 風が吹き、光が差し、草原の花々が揺れた。


 それは、奇跡などではなかった。

 ただ、その場にいたすべての人の“願い”が、ひとつの形をなしただけだった。



 式が終わり、ナジルが声をかけてくる。


「いい祈りだったな。……今の君は、“誰のために祈るか”って、ちゃんとわかってる気がする」


「ええ。今の私は、誰かの期待のためでも、制度のためでもなく……ただ、“この人に祈りたい”と思える時に、祈ると決めたの」


 ナジルは少し目を細めた。


「じゃあ、俺のことは?」


「……いつも祈ってるわよ?」


「毎日?」


「ええ。毎日。……時々は怒りながら」


 ふたりは顔を見合わせて、笑った。


 祝福とは、何かを肯定することではない。

 未来に対して、「信じてみたい」と願うこと。


 祈りとは、奇跡を期待することではない。

 誰かの背を、そっと押すこと。


 そして、選ばれることと、選ぶこと。

 その両方を知った者だけが、きっと“祝福の本質”にたどり着ける。


 イレーヌは、そっと手を合わせた。


 ──これはもう、誰かに頼まれた祈りではない。

 これは、自分の人生のために、

 “自分で選び取った誰か”に捧げる祈り。



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