選び取った未来
春の朝。
教会の庭には、名もなき白い花が咲いていた。
祝福の儀式では使われない。記録にも残らない。けれど、イレーヌにとっては、最も大切な花だった。
「この花、いつもより元気に咲いてるね」
ナジルが屈んで花を撫でる。
「……この花、式には向かないってずっと言われてきたの。目立たないし、香りも地味。けれど……誰か一人が“美しい”って思ってくれるだけで、それで十分なんだって、やっとわかったわ」
イレーヌの声は、優しく晴れていた。
かつて彼女は、選ばれるばかりの人生を歩んでいた。
祈れば誰かが喜び、感謝されるけれど、その中心に“自分”はいなかった。
けれど今は違う。
彼女は“誰かのための器”ではなく、自ら選び取った人生のなかに立っている。
──教会は、祝福のあり方に変化を求めてきた。
「今後、式の形式は変更される。
“祝福の器”ではなく、“祝福の巫女”として」
それは、形式的には同じ祈りでも、意味が違う。
個としての人格を認められたうえでの祝福。
彼女は“使われる存在”ではなく、“選ぶことができる存在”として再定義されたのだ。
その変化は、ナジルの存在あってこそだった。
「俺は、君が“自分の人生を歩く姿”を見たかった。今の君を見て、心から誇りに思う」
ナジルがそう言うと、イレーヌは少しだけ困った顔で笑った。
「でも、私の人生にはあなたも含まれているから。誇られるだけじゃ、物足りないわ」
「えっ……じゃあ、俺も選ばれたってことか?」
「……今さら気づいたの?」
ふたりの笑い声が、静かな教会の庭に広がっていく。
風が通り、白い花が揺れた。
祝福とは、神の奇跡ではない。
ほんの一瞬でも「この人となら」と信じられる、その心の灯火。
イレーヌは、何度も誰かにその光を渡してきた。
そして今、自らもその灯を受け取った。
(私の祈りは、誰かの幸せの始まりになる。
でも、私自身の幸せも、誰かとの祈りから始まる)
選び取った未来は、不確かで、でもあたたかい。
──そうしてイレーヌは、もう一度歩き始めた。
今度は誰かのためだけでなく、自分の人生として。