式場と呼ばれる女
花嫁は笑っていた。
新郎の腕にそっと手を添え、祭壇に向かって歩くその背を見ながら、イレーヌはまた「場」であった。
祭壇の隅に控える、薄く金糸を織り込んだ白装束。
それがイレーヌ──「祝福の器」として式に呼ばれた彼女の、いわば“仕事着”である。
「イレーヌ様。準備をお願いします」
教会付きの神官が小声で囁く。
式の本番はこれからだ。
新郎新婦が誓いの言葉を述べたあと、イレーヌが一歩前に進み、祝福の祈りを捧げる──そうすれば、神の加護が本当に降るという。たとえ僧侶でも、神官でも、それはできない。
イレーヌだけが、なぜか神の“目”に映る。
生まれながらに「祝福を呼ぶ体質」を持つ、極めて稀な存在だった。
それゆえに、彼女は常に“結婚式”に呼ばれ続ける。
だが、花嫁としてではない。
あくまで“式場”として。
(今日もまた、知らない誰かの祝福を呼ぶだけ)
見た目が良いわけでも、話が面白いわけでもない。
ただ、イレーヌが祈ると、式後の夫婦の人生に幸福が舞い込むという理由で、「ご利益を求める」上流階級の者たちは競うように彼女を呼ぶのだった。
それはもう、結婚式の舞台装置の一部のように。
誓いの言葉が終わった。
神官が一歩退き、視線がイレーヌに集まる。
彼女は無言で前へ出た。祭壇の真ん中、ちょうど新郎新婦の間に立つ。
「──神の名のもと、祝福を」
その瞬間、あたたかい風が吹き抜け、花嫁のベールがふわりと浮かんだ。
式場に集まった誰もが、思わず息を呑む。光がステンドグラスから差し込み、新郎新婦の髪を照らす。
成功だ。
また一組、幸せになる。
イレーヌは祈りを終え、一礼して下がった。
それが彼女の務め。
拍手も賞賛も、花嫁と新郎へ向けられる。
イレーヌにかけられるのは、「ご苦労様でした」という淡々とした挨拶だけだ。
控室に戻ったあと、鏡の前で彼女は自分に問いかけた。
(わたしは……誰かの“幸せ”になれる日が来るのだろうか?)
自分が祈ると、誰かが幸せになる。
だが、祈っても祈っても、自分には何も与えられない。
それでも、彼女は式に呼ばれれば応じる。
それが唯一、自分にできることなのだから。
その日、控室の扉をノックする音がした。
「イレーヌ様、お客様が──」
「ご予約のお話ですか?」
彼女は微笑みながら立ち上がった。
また新たな誰かの幸せを支えるために。
だがその扉の向こうに立っていたのは、どこか浮世離れした、奇妙な笑みを浮かべた若い男だった。
「……君は、誰かの幸せを呼ぶために生きているんじゃない。君自身が、幸せになるために生きてるんだろ?」
その男の言葉に、イレーヌは小さく息を呑んだ。
誰かの道具としてではなく、彼女自身を見つめるまなざし。
──それが、すべての始まりだった。