第86話 中学時代(後編)
「なに……これ……」
それが相沢が学校に登校してから発した最初の言葉だった。
相沢はあまり状況をうまく理解していないのか目の前の机を呆然と見つめたまま立ち尽くしている。
可哀想な事にいつも相沢と仲良くしている女子達もこの時ばかりは水瀬の事を恐れてか近寄ろうとしない。
相沢は呆然としていたのも束の間ですぐに顔を上げて水瀬の方をキッと睨みつけてから詰め寄る。
「ねぇ、こんな事したの水瀬さんたちでしょ?なんでこんな事するわけ?」
相沢は語気を強め話しかけるが、水瀬は相手する気がさらさらないのか鼻で笑いながら答える。
「んー?あたしらがやったっていう証拠でもあるわけ?」
水瀬の取り巻き達も相沢を見てはクスクスと笑っている。
正直に言って不愉快以外の何物でもなかった。
しかし俺が行動したところで何の意味もないだろうし今は静観を決め込むしかないのだ。
俺はできるだけその光景を視界に入れたくないのもあって本を開いたりして時間を過ごした。
それからは水瀬の相沢に対してのイジメはどんどん苛烈を極めていった。
相沢の教科書類が破られていたり、体操服がゴミ箱に捨てられていたり、はたまた無理やり何処かへと連れていかれ暴力が振るわれた形跡などもあった。
明らかにやりすぎな感じはしたが、相沢が担任に相談したところで担任はまともに話を聞こうとしていなかった。
今までの積み重ねなのか水瀬は担任からの信頼を得ていたのだ。
相沢も担任からの信頼は厚かったが今回の件で「ただの喧嘩を大事にしようとする生徒」として逆に信頼が薄くなっていった。
まさに孤立していったのだ。
イジメが始まった最初の頃は相沢に話しかけたら「気にしてないよ」みたいな感じで苦笑いを浮かべていたが、最近では全く笑顔を見せなくなり心が壊れていっている様が伺えた。
俺はそんな相沢を見ていられなくなり、下校時に相沢が1人になった瞬間話しかけてみた。
「なぁ、相沢……その、大丈夫か?」
今まで見てみぬふりしていた事の罪悪感からか少し声が小さくなる。
相沢が今どういう顔をしているか気になってもまともに正面から見れる自信がない。
「……今更なに?」
少し間が空いてようやく開かれた口から出て来た言葉はかつての相沢のものとは思えないくらいに冷たいものだった。
「私がどんだけ苦しんでいたと思ってんの!?体も心も痛くて痛くて痛くて痛くて!!私が痛いって言っても水瀬さんは止めようとしなくて!!」
そうヒステリックに声を荒げる彼女に対して俺は何の言葉もかけてあげられずただ下を向く事しかできない。
「担任もまともに取り合ってくれないし、友達だと思ってた子達も簡単に離れていっちゃうし……星宮くんだって私のことずっと無視して……もうヤダ……」
今の相沢は相当メンタルもやられているようで、思っている事全てを吐き出している。
「てか!私があんたなんかに関わらなければこんな事にならなかったし!」
そう俺を指差されるが、俺は意味が分からないとばかりに戸惑う事しかできない。
彼女が虐められるようになった原因は確か前の子の虐めを阻止したからだったはずだ。
「あの後水瀬さんに言われたんだけど、私が虐めを止めた事はただのきっかけに過ぎなかったらしい。前から私の事は標的にする気満々だったって言ってた」
先程まで声を荒げていて疲れたのか彼女は少し落ち着きを取り戻してからゆっくりと話し始めた。
「元々彼女はあんたの事が好きだったらしいんだよね。星宮くんってイケメンでクールでその上有名人だったから結構女子人気高かったし。水瀬さんもその内の1人だった。だから星宮くんと仲が良かった私が許せなかったんだって。お前如きが星宮くんに話しかけるなってはっきりと言われちゃった」
そう言葉にする彼女は今にでも消えてしまいそうなほど儚い雰囲気を出していた。
「……悪い」
俺はそんな彼女にたった一言しか発する事ができず、さらに申し訳なくなった。
しかし彼女はもう怒りは通り越したのか少し前までの彼女みたいに笑顔を浮かべてこっちを振り向いて来た。
「……何謝ってるの?星宮くんは何も悪くないよ。そんなの私が一番分かってる。悪いのは全部直接手を下している人間なんだから星宮くんは気にしないで。私こそさっきはキツい言葉言っちゃってごめんね?……もう会う事もないかもしれないけどお互いこれからは元気に生きよ」
「……え?」
俺は相沢のその言葉を理解できずその場で聞き返す。
すると相沢は俺が疑問に思った事を親切に教えてくれるようで口を開いた。
「私さ、今日限りでもう今の学校辞めて違う学校に転校するんだよね。流石にイジメの事はママに言えないから学校辞めたいって言ったんだけどママは何も聞かずに許可してくれてさ。本当これであの辛い環境から抜け出せると思うと少し気が楽になるんだ」
「そうか」
俺は相沢があの学校からいなくなってくれた事に少し安堵している。
あのままずっとあの学校にいたら相沢の心も修復不可能なくらいに病んでしまったかもしれない。
それからすぐに相沢は俺に手を振ってから下校の道をひと足先に駆けて行った。
相沢は次の日からは宣言通り教室に来なくなり、水瀬達はまた適当なやつを見つけては虐めを繰り返していた。
そして俺たちは2年生から3年生となり中学を卒業した。
相沢の事件は俺が元天才子役であり容姿も良かったから起こった事だった。
俺はもう二度と自分の周りの人間を傷つけたくない。
だからこそ高校ではできるだけ目立たないように過ごそうと決めたのだ。
そこで夢は終わりいつもと変わらぬ日常が始まる。
俺は瞼を開けてベットの上で体を起こす。
「今日もいい朝だな」
窓の外から差し込んでくる光が気持ちいいと感じながら、新たな1日を始めるのだった。




