表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

考察・随筆・エッセイ集

「中華王朝史記」の愛新覚羅紅蘭女王は、中国史だと誰に例えられるのか。AIに聞いてみました。

作者: 大浜 英彰

 しいな ここみ様御主催の「フェイバリット企画 〜 あなたの好きなものを聞かせて 〜」の参加作品である「王朝期の中国史の享受で得られる心の栄養」の中でも書きましたが、私は王朝期の中国史が好きなんですね。

 歴史の連続性に起因するロマンと層の厚さ。

 これが王朝期の中国史というジャンルの大きな醍醐味だと思います。

 そんな中国史の醍醐味を自分なりに表現してみようと思って展開しているのが、「中華王朝史記」というシリーズなのですね。

 この「中華王朝史記」というシリーズは、清朝最後の皇帝である宣統帝の孫娘という出自を持つ愛新覚羅紅蘭女王によって立憲君主制国家として建国された清朝の後継国家を舞台とする宮廷ものになります。

 その愛新覚羅紅蘭女王とは、こんな方で御座います。


愛新覚羅(あいしんかくら) 紅蘭(こうらん)


挿絵(By みてみん)

(画像作成の際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。)


 清王朝の流れを汲む立憲君主制国家である中華王朝の初代女王で、治世時の元号から栄起王えいきおうとも呼ばれている。

 一九五一年生まれ。

 一人称は「私」。

 燕国の武将として活躍した楽毅がくきの末裔である楽永音がくえいおんを丞相に据えて、全ての民族が共存共栄出来る国家を目指した。

 そうして善政を施したため、国内外から尊敬を集めている。

 名君として名高い清朝の4代皇帝の康熙帝こうきていに憧れており、彼のような仁愛に満ちた君主であろうと心掛けている。

 満州姓である愛新覚羅あいしんかくらを名乗るようになったのは日本へ亡命してからで、それまではかいという漢姓を名乗っていた。

 劉備玄徳の直系の子孫にして漢民族の名士である劉玄武りゅうげんぶを王配に選び、彼との間に翠蘭と白蘭の姉妹を授かった。

(N7389GQ「中華王朝偉人列伝」より一部抜粋)


 画像の通り、いかにも東洋人なポニーテールをアレンジしたアップスタイルが特徴的な女性で、民族の象徴である満州服を普段使いされている祖国と民族を大切に思われている方です。

 そんな愛新覚羅紅蘭女王は私としても大変思い入れ深い人物なのですが、ふと「紅蘭女王陛下は中国史の人物だと誰に近いのだろう?」という疑問が脳裏を過ったのですね。

 そこで、スマホから使えるGemini AIという生成型人工知能チャットボットに聞いてみる事にしました。

 私は以前にもGemini AIに和歌や俳句の解説をして貰いましたが、今回はキャラクターの人物像の考察ですね。


【私の質問】

 私は「1970年代に清王朝の後継国家である『中華王朝』という立憲君主制国家が宣統帝の血縁である愛新覚羅氏の女性によって建国されたら」という設定で宮廷ものの小説を書いています。

 このシリーズは「中華王朝史記」というタイトルです。

 この愛新覚羅紅蘭女王を中国史の人物に例えるなら、誰が近いでしょうか。


 なお、Gemini AIには予め下記の「中華王朝史記」の短編を読んで貰ってます。


N4520JX「女王陛下は太傅の元ルームメイト」

N8463JQ「元号を定めた初代女王の孝行心」

N4790JA「避暑地の六甲山で結ばれた君臣の誓い」

N0824IN「君主の器と将の器」


【Gemini AIの回答】


 愛新覚羅紅蘭女王を中国史の人物に例える場合、いくつかの側面から考えることができますね。

 彼女の出自、建国の経緯、統治スタイルなどを考慮すると、以下のような人物像が近いかもしれません。

 最も近いと考えられるのは、武則天(則天武后)です。

* 女性君主である点: 中国史上、数少ない女性の皇帝であり、自ら王朝を建てたという点で共通しています。紅蘭女王も立憲君主制とはいえ、王朝の創始者であり、強いリーダーシップを発揮しています。

* 旧王朝の血を引く点: 武則天は唐の太宗の妃であり、高宗の皇后を経て皇帝となりました。紅蘭女王も清朝の末裔であり、その血統を背景に王政復古を成し遂げています。

* 混乱期に乗じて台頭した点: 武則天は唐王朝の内乱や政治的混乱期に乗じて権力を掌握しました。紅蘭女王もユーラシア大陸の戦争で中華人民共和国とソ連が壊滅するという未曽有の事態を背景に、王政復古の機運を高めています。

* 有能な臣下を登用した点: 武則天は狄仁傑など、多くの有能な臣下を登用し、その治世を支えました。紅蘭女王も、完顔夕華、司馬花琳、徐福達といった、それぞれ優れた能力を持つ臣下たちに支えられています。

* 新たな時代を築いた点: 武則天は周という新たな王朝を建て、中国の歴史に大きな足跡を残しました。紅蘭女王も中華王朝という新たな国家を建国し、伝統と近代を融合させた独自の国家を築いています。

ただし、武則天は皇帝として絶対的な権力を握りましたが、紅蘭女王は立憲君主制の君主であるという点で異なります。この点は、日本の明治天皇のように、旧体制から新体制への移行期における象徴的な君主に近い側面もあるかもしれません。

また、建国の経緯においては、漢の高祖・劉邦のように、混乱期に民衆の支持を集め、新たな秩序を築いた人物とも共通点があるかもしれません。紅蘭女王も王政復古を望む人々の支持を得て建国に至っています。


 総合的に考えると、女性君主として旧王朝の血を引きながらも、混乱期を乗り越えて新たな時代を築いたという点で、武則天に最も近いと言えるのではないでしょうか。

 ただし、統治スタイルや権力基盤には違いがあるため、あくまで「近い」という表現になります。


 乱世という混乱したタイミングを上手に活かして王朝を興しており、且つ優秀な臣下に恵まれている。

 そんな愛新覚羅紅蘭女王陛下には劉備や劉邦のイメージを反映させていたので、「また、建国の経緯においては、漢の高祖・劉邦のように、混乱期に民衆の支持を集め、新たな秩序を築いた人物とも共通点があるかもしれません。」という考察は正しく我が意を得たりですね。

 一方の則天武后は特に意識してなかったので、これは何とも意外な結果となりました。

 とはいえ、確かに則天武后と言われれば納得なんですね。

 愛新覚羅紅蘭女王陛下は謙虚で穏やかな君主ですが、則天武后も宰相の狄仁傑による諫言を素直に受け入れていますし、その統治も非常に優れた物だと言われてますね。

 もしかしたら中華王朝においては、則天武后が再評価されているのかも知れませんね。

 そして愛新覚羅紅蘭女王陛下は宣統帝の孫娘という来歴なので、西太后もまた愛新覚羅紅蘭女王陛下の御先祖様という事になります。

 則天武后と西太后は愛新覚羅紅蘭女王陛下にとって、女性君主として見習うべき先人でありある種のロールモデルの一例なのかも知れませんね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
紅蘭陛下を史実の人物に例えたなら武則天ですか。 AIの考察も中々に興味深いですね。 中国史に詳しいわけではありませんが、私の知る武則天は残酷な一面があったように思います。(記憶違いなら申し訳ございませ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ