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第六話 婚約者選考会審査開始(4)

「……君が新しい飼育係か」


 いたって単調な口ぶりで問われたはずなのに、どうにも言葉に詰まってしまう。仕方なくオリヴィアは返事の代わりに首肯した。


「……そうか」


 縋るようにフードの縁を掴む手にぎゅっと力を込めた。


 間違いなくこの人はこの世でもっとも顔を見られてはいけない相手なのだ。


「挨拶が遅れて申し訳ない。我が名はエリアス・グラネスト。家族が世話になっている」


(やっぱりそう、よね……) 


 オリヴィアは大きく落胆した。


 エリアス・グラネスト——名前だけは耳にしたことがある。

 グラネスト王家にあって王位継承権第一位の人物、この人こそがメルクの飼い主である王太子殿下だ。


(殿下はいらっしゃらないと聞いていたばかりに、完全に油断していたわ……。どうにかして上手く切り抜けないと……)


 予想外の事態に度を失いそうになる中、脳裏を過ったのはレステーヌ家の使用人たちの顔だ。


(……ダメね、挙動不審でいるほうが不自然だわ。ここは飼育係に選ばれた令嬢として、堂々としているべきよ……!)


 臍を固めたオリヴィアは外套の裾を軽く持つと、片足を丁寧に斜め後ろ内側へ引き膝を軽く折った。

 そしていまだ騒がしい鼓動に寄り添うように、落ち着いた声でこう述べたのだ。


「お初にお目にかかります、エリアス王太子殿下。レステーヌ伯爵家より参りました、ベアトリス・レステーヌと申します。この度は大変光栄な役目を賜り、心より感謝申し上げます」


 無礼であることは承知のうえで、外套のフードは下ろさなかった。そこだけはどうしても譲れない。


「侍者から定期的に報告は受けている。今朝から変わりはないか?」

「はい。昼食も残さず召し上がってくださいました。今はゆっくりと眠っていらっしゃることでしょう。お食事の前に少し……」


 畏まった顔つきで報告を続けながらもオリヴィアは内心、狐につままれたような感覚である。

 この格好に対するお咎めを期待していたわけではない。むしろ等閑視してもらえるなど、オリヴィアにとってはありがたいことこの上ないのだから。


 それでもエリアスは、あまりにも飼育係に興味がなさすぎる。目の前に立つ令嬢は、仮にも自身の婚約者候補なのだ。そんな相手が顔も晒さないような不心得者でいいのだろうか。


(なんて、私が言えた義理ではないわ)


「……しましたので、半刻ほど前から寝台でお休みになっておられます」

「そうか、細やかな心配りに感謝しよう。引き続き面倒をかけるが、どうか仲良くしてやってほしい」

「もったいないお言葉にございます。このベアトリス・レステーヌにお任せください、エリアス殿下」


 一通り話し終えたことにより、オリヴィアの心には余裕が生まれ始めていた。

 

(…………)


 そして、その余裕は悪びれることなくオリヴィアの好奇心を啄く。間もなく、唆された若葉色の瞳がフードの陰から王太子を垣間見た。


(この方が、お従姉様の意中のお相手……)


 ベアトリスが絶賛するだけあって、確かにエリアスの存在感は目を瞠るものがある。


 光に透ける青みがかった銀色の髪は細氷のごとく繊細で美しい。やや中性的で凛とした顔立ちととても相性がいいのだ。


 白地を基本とした格調高い装いも魅力の一つなのだろう。

 部分的にあしらわれている紺地が目を引くうえに、上衣の襟や裾、そして脚衣の側面などには風雅な金糸の刺繍も施されているのだ。


 装飾は必要最低限といった中で、長さのある耳飾りが粋な印象を与えてくれる。そして、その胸元に輝くのは見覚えのある紋章だ。


 ここまで見るとエリアスは、ベアトリスの言葉通り「理想的な王子様」なのかもしれない。


 ところがオリヴィアが抱いた感情は、それとは正反対のものだった。


(お従姉様は本当に、この方を騙し通せると思ったのかしら?)


 あまりにも凝視していたのだろう、エリアスとしかと目が合ってしまった。

 その切れ長の目の奥に佇む青紫色の瞳は、霜夜のごとく冷ややかでとても鋭い。


 どうにもいたたまれずに、オリヴィアはつい逃げるように深く俯いた。


(この瞳は危険だわ……。少しの不手際からも、私がお従姉様ではないときっと見抜いてしまう……)


 今のところ、エリアスの振る舞いは誠実そのものである。自身の愛玩動物の部屋であろうと断りなく立ち入ることはせず、言葉遣いや態度に驕慢なところは少しも見受けられない。


 加えて、俯いたオリヴィアを深追いするなどという野暮なことはせず、相変わらずの声遣いでこう言ったのだ。


「メルクを庭へ連れて行く。通してくれ」

「かしこまりました」


 この完璧さがオリヴィアはかえって恐ろしい。


 その誠実さに相反して、エリアスの面持ちはずっと冷ややかなのだ。まるで精緻を極めた人形のようで、心の内が全く読めないのである。


 そのくせ灰簾石タンザナイトを彷彿とさせる青紫色の炯眼は、一介の小娘たちの企みなどいとも容易く見透かしてしまいそうで、ただの一歩ですら憚られるほどだ。


 かと言って逃げ出すわけにはいかないのだから、なんとも世知辛い。


(とりあえず、軽はずみな言動には気を付けないと……。殿下がいらっしゃるならお散歩に同伴する必要もないし、まずはお二人をお見送りするまでが踏ん張りどころね……!)


 言うまでもないことだが、『王太子殿下に会えたらその真意を確かめたい』などという浅薄な考えは、エリアスに対面した瞬間にとっくに消え失せていた。


 ——ゴンッ


「い゛っ——……!」


 ジンジンと頭蓋骨が悲鳴を上げる。

 

 エリアスを部屋へ案内しようと扉を押し開いたところで、頭を扉に強くぶつけてしまったのだ。原因はオリヴィアの前を疾風のごとく駆け抜けた、愛らしい存在である。


(メ、メルク?!)


 頭と脛を擦りながら、オリヴィアは何事かと目をぱちくりさせた。


(どうして……眠っていたはずじゃ……)


 正面衝突は避けられたもののメルクの立派な尻尾に脛を打たれ、よろけた拍子に扉と頭が接触したのだ。

 

 動揺を隠せないオリヴィアとは対照的に、勢いそのままに飛びかかったメルクをエリアスは難なく受け止めている。


 それどころか——


「すまない、怪我はないか」

「い、いえ、お構いなく……」


 こうしてオリヴィアを気遣う余裕すら見せるのだ。


(私にも遠慮なく飛びかかってくれていいのに、まだそこまでの仲ではないのね……)


 思い上がっていたつもりはないが飼い主であるエリアスとの差を実感し、オリヴィアは素直に悔しさを覚えた。同時にそこそこ重量のある藤狼を受け止めるためには、なによりも先ず、ある程度の筋力が必要であることを思い出す。


 その点、エリアスは均整の取れた体つきをしていて背丈も十分にある。女性の平均身長よりも高いオリヴィアですら見上げるほどだ。


(えっ……?)


 二人の様子をしばらく眺めていたオリヴィアは、あることに気付いて目を疑った。無邪気な存在を見つめるエリアスの表情が息を呑むほどに優しいのだ。


 失礼ながら笑顔と認定するにはほど遠いものの、その眼差しは間違いなくメルクへの慈愛に満ちている。メルクと目線を合わせるように片膝を突き優しい手つきで撫でるその姿は、藤狼を豊かさの指標と考えている人間のものでは決してないだろう。


(真意を尋ねるまでもなかったわ。これで心置きなくお二人をお見送りできる)


 そう安堵したのも束の間、おもむろに立ち上がったエリアスは部屋の奥へ向かうと手ずから散歩の支度を始めてしまった。


「で、殿下! 支度でしたら私が……」

「君の手を借りるほどのことではない。いつもやっていることだ」


 さしたることでもないという風に、なんとも手早くメルクに首輪を着けていく。メルクにとっても普段通りなのか、エリアスの動きに合わせて滞りなく体勢を変えているのだ。


 こうも巧みな連携を見せつけられては、オリヴィアの出る幕はない。渋々そばで見守ることにした。せめて二人のために扉を開けるくらいはしなくては。


 そうこうしているうちに手際よく首輪に引き紐を通したエリアスは、メルクの頭を軽く撫でると、その宝石のような双眸をゆったりとこちらに向けた。


「……?」


 そして、オリヴィアに向かってこう告げたのだ。


「君も一緒に来てもらう」




「……は……い…………?」


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