第三十一話 夕陽のいたずら(第一部完)
「そう……だったんですね……、私宛のお見舞いの品を……」
マーカスを残して謁見の間を後にしたオリヴィアは、早々に言葉を失くしていた。
恐縮しながらもエリアスの隣に立ち、二人同じ速度で歩いている現状に戸惑っていたところ、エリアスが話の口火を切ったのだ。
とはいえその内容は、決して談笑と呼べるようなものではなかった。
前置きとしてオリヴィアに聞く覚悟があるか確認したのは、エリアスの配慮だったのだろう。一拍おいて切り出された本題は、オリヴィアが屋敷を出ることを禁じられていた理由だった。
まさか自分宛ての見舞品を、叔父が全てくすねていたなんて。
(皆様のお優しさに対して、なんてことを……。改めてお詫びに伺わないと……)
あまりの愚行ぶりに呆れて物が言えず、オリヴィアは額を押さえる。
オリヴィアの零したため息に反応したのだろうか。不意に、二人の間を歩くメルクがオリヴィアを見上げた。
その愛らしい姿はオリヴィアにとって、どんな薬にも勝るほどの凄まじい浄化作用を持つ。
琥珀の眼差しに答えるようににっこりと微笑みかけただけで、オリヴィアの心はずいぶんと癒やされたのだから。
「仔細は改めてマーカス殿から聞いてくれればいいが……」
「? はい」
「彼は何度も君に手紙を送り、屋敷にも頻繁に足を運んでいたそうだ。当然、君に会えたことは一度もないと言っていたが」
「え……? ですが、使用人たちはそんなこと一度も……」
「大方、レステーヌ卿が口止めしていたのだろう。告げ口すれば君を屋敷から放り出すとでも脅して」
「…………」
使用人同様、マーカスもオリヴィアを気にかけてくれていた人物のうちの一人だったということだ。
両親が亡くなる前は頻繁に屋敷を訪れていたが、確かにマーカスはいつも優しかった。旅行が趣味であるマーカスだが持参する土産のセンスがいつも独特で、ジョエルに突っぱねられていた記憶がある。
目の間で繰り広げられる愉快な兄弟喧嘩を、オリヴィアはヨランダとミオと一緒に笑って見ていた。
楽しい思い出に思わず口角を上げたオリヴィアであったが、ある心の引っ掛かりがその幸せに浸ることを拒んだ。数拍ほど曇った表情をやがて真剣なものへと切り替えて、オリヴィアは婚約者の名を呼ぶ。
「エリアス殿下」
立ち止まったオリヴィアの数歩先でエリアスが振り返る。
一つ、エリアスに伝えなくてはいけないことがある。自身の行いを赦され縁談を承諾してから、そしてエリアスにオリヴィアとして関わるようになってから、ずっと心に引っ掛かっていたあることを——。
「どうした」
尋ねるエリアスから目を逸らしたい気持ちに駆られる。それでもオリヴィアはグッと堪え、意を決して口を開いた。
「私はベアトリスお従姉様を手に掛けようとしました。ミオ……私が以前飼っていた藤狼が亡くなった時のことです。彼女の投げたランプが頭部に直撃し、それが原因でその子は絶命しました。私は彼女がどうしても許せなくて、何度か刃を向けようとしたのです」
「…………」
「それほどの強い怨念を、私は内に秘めております。きっと殿下はその御身が危険に晒されるようなご経験を、何度もされたことでしょう。もし私がおそばにいることで、殿下の気が休まらないのであれば、やはり婚約者としては……」
青紫の双眸に捉えられ、オリヴィアは勢いを失ってしまった。
一寸たりともぶれることのない眼差しは、どれほど言葉で覆い隠したところで、たちまち本質を見抜いてしまう気がする。しかもそれは、まだオリヴィアすら気付いていない本質だ。
「だが、思いとどまったのだろう?」
「それは、使用人と偶然遭遇したり、剣が、抜けな……くて…………」
オリヴィアは口元を押さえた。
(あれは……全部……)
深夜に二度も起きた使用人との遭遇、鞘から抜けない短剣。あれらは全て、オリヴィアの手が血に染まるのを防ぐために、使用人が画策したものだったということだ。
そんなことにも気付けなかったなんて。
(は、恥ずかしい……!)
ガバッと勢いよく顔を両手で覆う。
一体彼らは、どこまでオリヴィアを守れば気が済むというのだ。次から次へと発覚する事実に感謝すると同時に、自身の浅はかさを思い知らされてオリヴィアはどんどん追い込まれた。
ただちに身を隠したいオリヴィアであったが、しかしエリアスが陽の下へ連れ出してくれる。
「なにも問題はない」
オリヴィアはゆっくりと顔を晒すと、疑問を含めた眼差しでエリアスを見つめた。
しかし答えをくれぬまま、エリアスはゆっくりと歩みを進める。
確かに、廊下のど真ん中で立ち止まったままでは、他の通行を妨げてしまう。しかも、そこに止まっているのが王太子となれば、退いてくれと言うわけにもいかない。
エリアスの数歩後ろから、オリヴィアは小走りに距離を詰める。
ようやく二人の歩幅が揃ったところで、その端正な顔に確信めいた笑みを湛えた王太子は、驚くほど軽やかな声遣いでこう述べたのだ。
「先の君の告白に対する答えだ。大切な存在を失えば、程度の差こそあれ人は私怨を抱く。それは当然のことだ。重要なのは、強い感情が自身の中に在ると知ること。そして、それに呑まれぬよう己を制する強さを持つこと。君はそれを使用人たちから学んだのだろう」
「……はい」
肯定するオリヴィアの声に戸惑いが滲む。
「復讐心を抱くな、とは言わない。だが、正しく抱くべきだ。それが、君自身の出した答え——ちがうか?」
「——……っ!」
やっぱりこの宵の瞳は心臓に悪い。
オリヴィアにも見えていない部分にグッと入り込んでは、奥底に隠れていた心理をこうして掘り起こしてしまう。
(そうよ、私……)
ベアトリスを赦すことなど、一生かかってもできそうにない。ひょっとするとそれは、生まれ変わっても残っているかもしれない。紛れもなく激情なのだ。
しかしその恨みを、実のところオリヴィアは消したいと思っていない。ということに、たった今気が付いた。
(だって……)
ミオの死は過去に残り続けるというのに、そこに対して抱く感情は切り捨てなくてはいけないなど、あまりにも理不尽だとオリヴィアは思うのだ。
「そう……ですね。恨みの念を抱え続ける自分を、私は完全には否定できません。ですがそれに振り回されないことが、人としての義理であるとも思うのです」
「その感情だけを理由にして、私が君と距離を取ることはない。万が一、君が自身の振る舞いを省みない人間であったなら、そもそもの付き合い方を考えなくてはいけない」
「そ、そうですが……その、どうして私の心が決まっていると……?」
「私が拒絶した場合、君は婚約解消を申し出るつもりだったのだろう。私の近くにいるために、自分を変える選択肢が君の中にない証拠だ。少なくとも、この点においては」
「あ……」
「決して悪いことではない。自分の感情など、最終的には自身と折り合いをつけるしかないからな」
不思議と、オリヴィアは清々しさを覚えた。
後ろ暗さを抱く自分を否定できない自分、それを隠したまま婚約者でいることの後ろめたさ。心の奥深くまで覗かれたはずなのに、エリアスのお陰でそれらと上手く付き合いたい自分の存在に気付くことができたのだから。
「ふっ、僥倖だな」
エリアスがなにか言ったような気がしたが、隣を向いたオリヴィアの目に映ったのは無表情な横顔だった。
すでに正面玄関まで目と鼻の先といったところまで来ている。エリアスとの会話はここまでになりそうだ。そのことに少し名残惜しさを感じている自覚は、今のオリヴィアにはまだない。
間もなく玄関前の広場にちらりと馬車が見えたところで、二人は自然と立ち止まり互いに向き合った。エリアスの背後に国王との話を終えたらしいマーカスと、彼を案内するために残っていたディオンの姿が小さく見える。
(屋敷を出てから、ずいぶんと時間が経っていたのね。そろそろ、陽が暮れるわ)
赤を多分に含んだ陽光を見てそう思ったオリヴィアは、最後に——と改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございました。これからはマーカス叔父様と領地の再建に努めます」
「王家としての責務を果たしたまでだ。それに、領地再建はあくまで彼の役目だろう。君は幸せになればいい、と言いたいところだが——」
「もちろん、婚約者としてのお役目も全ういたします」
橄欖石の瞳を輝かせて、水を弾く若葉のような笑みで答える。偶然にも恩返しの機会を得られたことが、今はとてもありがたく思えるのだ。
だが次の瞬間、不意に和らいだエリアスの表情にオリヴィアの鼓動は大きく反応した。
「ああ、よろしく、婚約者殿。……いや、オリヴィア」
きっと、いや、絶対に夕陽のせいだ。
(わ、私に婚約者が務まるの……?!)
すでにマーカスやディオンの元へ去ったエリアスの後ろで動けないオリヴィアの顔が、真っ赤に染まっていたのは。
これにて第一部完結となります。ご覧いただきありがとうございました。
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