第二十九話 徒花の結実(5)
※第二十五話からまとめて投稿しておりますので、読み飛ばしにご注意ください。
驚愕のあまりオリヴィアは言葉を失った。
大きく見開かれたアーモンド型の目は時折りぱちぱちと瞬き、ぽかんと開いた口が間抜け感を増長してしまっている。
人の話を聞いていたのだろうか——思考の止まった頭がそれでもなにか考えようと捻り出したのが、これだ。恐れ多いことこの上ない言葉が浮かぶ程度には、オリヴィアもこの場に慣れてきたのだろう。
ところが嬉々として口を開いた国王が、さらに衝撃的な事実を突き付けてきたではないか。
「種明かしをすると、この飼育係の件は端から婚約者を決めるつもりなどなかったのだよ」
「………………え?」
国王が語った話によると飼育係に選ばれた候補者は全員、その親も含めて札付きの人物だったらしい。彼らを野放しにしていてはいずれ社会の腐敗に繋がりかねないとして、国王自ら灸を据える機会を伺っていたというのだ。
しかし、ただ呼び出すだけではその意図に勘付かれてしまうかもしれない。勘の良い者は調査の手が及ぶ前に、証拠隠滅に走る可能性だって十分にある。
そこで、一計を案じた結果が王太子の婚約者だった。
彼らが渇望するその座をチラつかせれば、候補者たちの出方は手に取るように分かる。狙い通り飼育係の務めを放棄した候補者たちへの戒めを名目にして、監督者である親と共に国王の前に跪かせ、彼らを糺す算段だったのだと。
つまり、レステーヌ伯爵家もその対象だったのだ。
「全家に妙齢の娘がいたのは渡りに船であった。でなければ、この計画は成立し得ないだろう? とまぁ、こういった事情もあって、あなたの従姉妹をお招きしたのだ。社交界において多くの者が、彼女の対応に苦慮しているという話は聞き及んでいたからね」
要するに令嬢の暴走を理由に一家を招き、ついでに悪事も責罰するといったところか。
(私がメルクと仲を深めている間に、裏でそんなことがあったなんて……)
詳らかになった事実の壮大さに気圧されて、オリヴィアは半ば抜け殻のようだ。
「まさか、成功者が出るとは私も思っていなかったのだよ」
「はっはっは」と高らかに笑い声を響かせながらも、そこにオリヴィアや候補者たちを嘲るような意図は感じられない。むしろ自身の計略を覆された番狂わせな展開を、心から愉しんでいるような雰囲気だ。
(飼育係の任務を達成するかどうかなんて、関係なかったんだわ……)
結局、叔父叔母やベアトリスが謁見の間に呼ばれたということは、オリヴィアから引き継いだベアトリスが国王の期待通りの振る舞いをしていたということだろう。先ほどの様子からして、メルクと仲良くしていたとも到底思えない。代役を立てようが立てまいが、どのみち同じところに帰結していたのだ。
(だけど、これで使用人のことは守れたということかしら)
叔父たちが屋敷に戻って来る可能性はまだ残っているが、さしあたっての不安は解消されたことに胸を撫で下ろす。
しかし、まだ疑問が解消されたわけではない。
「さて、なぜあなたを婚約者にするかという話だが——」
そんなオリヴィアの内心を見透かしたかのように、国王が話を続ける。
「こちらとしても条件を達成した者が現れた以上、おいそれと手放すわけにはいかないのだ。飼育係に選ばれた令嬢の動向は諸侯が最も関心を寄せるところであったし、妙齢の娘とその親は皆、王宮からの招待状を首を長くして待っていたであろう。当然、レステーヌ伯爵家の令嬢がメルクに選ばれたことは、すでに諸侯の知るところでもある。この意味が分かるかな?」
「……はい」
「一度発したことだ。王家の威信のためにも、可能な限り覆したくはない。なに、後に別れるのは本人たちの自由だ」
とんでもないことを言うものだと、オリヴィアは思ってしまった。
あたかも別れることが当然であるかのような口ぶりからして、諸侯を納得させるだけの材料が揃えばそれでいいのだろう。
決して悪人ではないが完全なる善人でもないあたり、国を統べる立場にある人というのはなんとも掴みどころがない。
正直なところ、エリアスの考えていることはオリヴィアにはよく分からない。
自身の縁談にもかかわらず基本的に静観の姿勢を崩さないあたりは国王の肩を持っているようにも思えるが、それだと先のエリアスの発言と矛盾してしまうのだ。
だからといって縁談に前向きかと言われると、全く以ってそんなことはなさそうである。
(世間を納得させるために、とりあえず婚約してくれってことよね? 成人を迎えたら独り立ちすることしか頭になかったから、突然言われても……)
そう、そもそもオリヴィアは艱難辛苦に耐えることに精一杯で、自分が婚約するなどという概念に思い至ったことすらなかったのだ。
国王の言わんとしていることは、オリヴィアだって分かっている。
王太子の婚姻の影響力と重要性も、自身が縁談を断ることができる立場ではないということも弁えているつもりだ。
だからこそ、諾する前に足枷となり得ることは解消しておかなくては。
「ですが、これから裁かれようという身で、おめおめと婚約者の座に居座るわけにはまいりません。そもそも私には、このご縁に見合う後ろ盾がないのです。あくまでも今の私の立場は、レステーヌ伯爵家の前当主の娘に過ぎませんから……」
「それに関しては心配に及ばん。先ほども言った通り、彼らにはレステーヌ伯爵家の令嬢が手懐けたと伝えてある。そして伯爵家は今後、ある者に任せ……——ふむ、丁度良いところで来たようだ。入りなさい」
国王の一声によって開かれた入口の扉が、一人の人物を招き入れた。
オリヴィアは数拍じっとその人物を見つめた後、ようやく該当する名前にたどり着き、興奮のあまりそのまま声を上げた。
「——マーカス叔父様?!」
「やぁ、オリヴィア。暫くだね。ヨランダ様に似て、ずいぶんと美しくなった……」
マーカスは一定の速度を崩すことなく目をまん丸にしたオリヴィアの隣までやって来ると、国王に向かって姿勢正しく頭を下げた。
「国王陛下、ならびに王太子殿下。此度の愚兄の不祥事につきまして多大なるご迷惑をおかけしたこと、この場をお借りして深謝申し上げます」
「うむ。その言葉を信じ、レステーヌ伯爵領の立て直しをそなたに任ぜよう」
「寛大なお心遣いに感謝申し上げます。この身に余る光栄、犬馬の労も厭わない所存でございます」
癖の強い香色の髪と下がった目尻に父の面影を感じさせるこの人は、ジョエルの末の弟マーカス・レステーヌだ。ディオンのそれと同じ形状の臙脂色の仕着せを纏っているのは、文官として王宮に勤めているからである。
「オリヴィア嬢」
「はい」
紅玉の双眸が再びオリヴィアを捉える。
「今、聞いた通りだ。これからは彼が養父となり、あなたに力を貸してくれるだろう。当然、あなたの気持ち次第ではあるが、もう、なにかに耐える必要はない。存分に幸せになりなさい」
「幸せ……?」
「あなたはこれまで多くの苦難を経験したのであろう」
「……?」
言うなり紅の眼差しがエリアスへ向いたことによって、束の間、広間に妙な静寂が訪れた。しかしそれは、おもむろに踏み出したエリアスの靴音によって打ち破られる。
コツコツと軽やかな足音がすぐそばで止むのに合わせて、オリヴィアは体ごとエリアスのほうへ向いた。そして、その形の良い唇を丁寧に開いた王太子は、それでいて衝撃の事実を口にしたではないか。
「レステーヌ伯爵領の調査に加えて屋敷にも人を派遣し、隙を見て使用人全員から話を聞いた。レステーヌ卿や夫人、ベアトリス嬢が君に酷い仕打ちをしていたことも、ベトアリス嬢が使用人たちを人質にとって君に代役を強制させたことも調査済みだ」
「……ぇ…………」
「報告書によると、彼らはこうも言っていたそうだ。『我々使用人にとって最も大切な存在だから、どうかお嬢様を助けてあげてほしい。我々では現当主一家に太刀打ちできないから』と——」
「そ、そんな……では、みんなは……」
「今回の企ての協力者だ」




