第二十八話 徒花の結実(4)
※第二十五話からまとめて投稿しておりますので、読み飛ばしにご注意ください。
「——さて、オリヴィア嬢」
廊下から人の気配が消え、やがて広間に訪れた静穏な時の流れ。
それを壊さない鷹揚とした声に名を呼ばれたオリヴィアが室内へ向き直ると、国王が「こちらへ」と手のひらを上に向けて壇前を示した。
「は、はい……」
おずおずと、けれども足早にオリヴィアは指定された場所へ向かう。
不意に足元に気配を感じて目を落とすと、そこには隣をついて歩くメルクの姿があった。視線に気づいて顔を上げたメルクと目が合い、オリヴィアは思わず微笑みを零す。
ところがメルクの振る舞いが目に留まったのは、オリヴィアだけではなかったようだ。
「はっはっは、これは見事な懐き様だ。メルクはオリヴィア嬢に完全に心を開いているらしい。お前もそう思うだろう、エリアス」
「……異論はございません」
国王の発言に同意するのは不本意だったのだろうか。即答しないあたり、エリアスが言葉を選んでいたようにオリヴィアには思えた。
片やメルクは自身が話題に上っていることなど露知らず、壇前で鯱張るオリヴィアを残して、さっさと主人の元へと去っていった。
「まずは、急ぎ王宮へ参れと申し付けた非礼を改めて詫びよう。書状の内容も、あまり気分の良いものではなかっただろう」
「謝罪していただくことはなにも……。確かにとても驚きましたが、こうして再びメルクの元気な姿を見られたことを嬉しく思っています」
「あなたがエリアスに負けず劣らずメルクに愛情を注いでくれたことは、私の耳にも届いている。私もメルクとの仲をさらに深められるよう、あなたの手ほどきを受けたいものだ」
「身に余る光栄にございます……」
これまで広間を支配していた張り詰めた空気が一転して、とても柔らかいものになった。国王がまるで世間話をするような、穏やかな物腰で話しかけてくるからだ。
それに伴って早鐘を打ち続けていたオリヴィアの心臓が、段々と落ち着きを取り戻していく。
(次は、私が裁かれる番ね……)
オリヴィアは「ふぅ」と軽く息を吐いた。ここに来るまでずっと緊張が続いていたが、いざお鉢が回ってくるとなると案外冷静に受け入れられそうだ。
「して、オリヴィア嬢——」
国王の口ぶりが明らかに変わった。
いよいよオリヴィアに裁きが下る時が来たのだ。自分に否があることは分かっている。どんな処罰でもどんと来いだ。
「我が息子の婚約者にならないか?」
「………………え?」
国王の予想外の問いに、オリヴィアは自分の耳を疑った。
てっきりすぐに処罰を言い渡されて、そのまま牢へ入るのだとばかり思っていたからだ。
「えっと……あの、お言葉ですが、私の処罰についてお話なさるのでは……?」
「と、いうと?」
「先にもありました通り、私は従姉の代役として皆様を欺いておりました。王宮から届いた書状に従姉の名前が載っていることを承知の上で、彼女の企てに加担したのです。ですから、裁きを受けて然るべきかと……」
「確かに全てあなたの言う通りならば、法科院にその審議を委ねるのが正しい対応と言えよう」
「では……」
「だが、法科院とて暇ではない。他にも対応すべき問題が山積みなのだ。そこで、あなたについては法科院同意の下、私に一任されることとなった。だから、こうしてあなたの主張を聞こうとしているのだ」
「そ、そうですか……」
それがどうして、先ほどの問いなのだろうか。
確かにオリヴィアは飼育係として婚約者の条件を達成したが、あくまでそれは代役という欺瞞行為の片棒を担いだからに過ぎない。
元より書状にはベアトリスの名が記されていたのだ。つまり、婚約者候補に名が挙がっていたのはベアトリスであり、さらにはつい今し方、婚約話は彼女の早合点であることが明らかにされた。従ってオリヴィアがエリアスと関わる理由は、もうどこにもないのである。
とはいえ、オリヴィアがどれほど思案を重ねても、国王の意図までは推し量れそうにない。ならば、ここはひとまず正直に答える以外、オリヴィアに残された道はなさそうだ。
「陛下」
改めて背筋を伸ばしたオリヴィアは君主を真っ直ぐに見据えると、芯のある声でこう答えた。
「婚約者の件、謹んで辞退させていただきます」
「そうか、ならば聞き方を変えよう。オリヴィア嬢、あなたは王太子妃の座に興味はあるか?」
まるでオリヴィアがそう答えることを分かっていたかのように、国王は顔色ひとつ変えることなく二つ目の問いを投げかけたではないか。
「ございません」
オリヴィアも淀みなく答える。
エリアスやメルクのそばを望んだ気持ちに、嘘はない。それは、自身がただの監視対象であったことを勘案しても変わらないものである。
誠実な対応の裏に思惑があったのは、彼を欺いていたオリヴィアに否があってのことなのだから、そうして然るべきだと思うのだ。
(それに、なんとなくだけれど……)
エリアスと関わった二日間を順に振り返ってみる。そして、エリアスの言動全てを監視目的だと切り捨てていっても、どうしても消えない感覚が一つオリヴィアの中に残るのだ。
それはエリアスの振る舞いに作為的なものを感じなかった、ということである。メルクに向ける眼差しやオリヴィアへの謝罪など他にも挙げれば切りが無いが、あれらはきっとオリヴィアが代役でなくともそうしていた気がするのだ。
(いい加減、諦めが悪いかしら……)
調子に乗った己を恥じたばかりだというのに、すんなりとそれに従ってくれない感情にほとほと嫌気が差す。
だからといって、婚約者の立場を欲することはまた別の話だ。
あくまでオリヴィアが願ったのは飼育係としてそばに在ることであり、そこにエリアスと結ばれることまでは含まれていないのだから。
(エリアス殿下もきっと……)
オリヴィアは斜め前に立つエリアスを目の端に捉える。
だが期待虚しく、頼みの綱は一瞬にして切れてしまった。お得意の無表情で静観しているエリアスからは、これといった意思を見て取ることはできないのだ。
ところが、果敢にもその無表情を崩さんとする猛者がこの広間にはいるのである。
「エリアス、お前はどう思う?」
紅玉の瞳が緩慢な動きで息子を捉えた。
先ほどまで主人の足元に座っていたメルクは、床に腹をつけるように伏せて眠っている。長丁場に飽きたのだろう。
「これが彼女の意思なのでしょう。であれば、尊重して然るべきです」
答えるエリアスの口調は、どこか投げ遣りとも取れるものだった。
先ほどは肩透かしを食らったが、やはりエリアスもオリヴィアを婚約者とする案には不承知なのだろう。
欺瞞行為に加担した前科があるのだ、当然の判断だとオリヴィア自身も納得している。
それなのに、国王は口を尖らせて抗言を口にした。
「だが、オリヴィア嬢はメルクを手懐けたのだ。婚約者として申し分ないだろう」
「当人が望んでいない以上、無理強いすることはできません。諦めてください」
「まったく、お前はもう少し食い下がろうという気はないのか。せっかくメルクが懐く令嬢が現れたというのに、私はお前の無欲さが寂しいぞ」
目の前で繰り広げられる親子のやり取りを、オリヴィアは唖然とした面持ちで眺める。
と同時に、少しばかり気が抜けてしまった。
裁きの場にもかかわらず、あたかも食事中に雑談でもするかのような調子の彼らは、なんだかとてもゆるいのだ。
「オリヴィア嬢」
「は、はい!」
口が裂けても言えないが、前触れなく舞台上に引き戻されたことで少々狼狽えてしまったのは、紛れもなくこの親子のせいである。
「私にいい考えがある」
「は、はい……」
オリヴィアはごくりと喉を鳴らした。若葉の双眸はじっと国王を見つめているため、エリアスが呆れたように零したため息には気付かない。
「あなたを我が息子の婚約者としよう」
「………………え?」




