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第二十七話 徒花の結実(3)

※第二十五話からまとめて投稿しておりますので、読み飛ばしにご注意ください。

「満足か」


 地を這うようなエリアスの声が重なった。


 あまりにも冷酷かつ確かな怒気を含んだ声音に、ベアトリスがハッとする。しかし彼女はメルクに対する謝罪の言葉一つ口にすることなく、あろうことかエリアスへ歩み寄りながらこう言い做したのだ。


「エ、エリアス殿下……? 違いますのよ? 先ほどの言葉は、決してわたくしの本音などではございませんわ。これは……、そう、あの女にそう言えと命令されていただけで……」


 腕に縋り付こうと手を伸ばしたベアトリスを避けるように、エリアスが一歩退いた。

 

 その結果、当てを失ったベアトリスが「きゃっ」と小さい悲鳴を漏らし、その場でよろめく。


「エ、エリアス……殿下……?」

「言いたいことはそれで全てか、ベアトリス嬢」


 叔父の頭に隠れて、オリヴィアからはエリアスの表情が見えない。


 だが、立ち竦む従姉の様子から察するに、あの切れ長の双眸は彼女を冷眼視しているのだろう。その証拠にベアトリスは顔を真っ青にして、「あっ……えっ……」と言葉にならない声を発しながら、数歩後ずさったのだ。


「そなたは飼育係としての役目を、オリヴィア嬢にやらせていたな」


 ベアトリスが目に見えてぎくりとした。実行犯であるオリヴィアも姿勢を正す。


 やはりエリアスは気づいていたのだ。むしろ、あれほど杜撰な変装で疑いを挟まないほうが難しい。一週間、オリヴィアが無事に勤め上げることができたのは、エリアスに泳がされていたに過ぎなかったのだ。


(私を庭に誘われたのは、監視するためだったんだわ。誠実な対応だって、尻尾を掴むまで疑っていることを私に気取られないようにするため……)


 飼育係として関わったあの二日間。そこで見た姿はエリアスのほんの片鱗に過ぎないのだと、オリヴィアは改めて実感させられる。


 オリヴィアがエリアスに抱いた恐怖心は、ある意味正しかったのだ。

 しかし、それだけではないと知ったからこそ、オリヴィアはエリアスたちのそばを望んでしまった。


(それだけではないと知った程度で……恥ずかしい……)


 ——ちょっと王宮に入れたからって、調子に乗るんじゃないわよ!


 いつかのベアトリスの言葉が脳裏を過る。全く以ってその通りだ。

 

「王宮からの書状には、『ベアトリス・レステーヌ嬢を次の飼育係として招待する』と明記されていたはずだ。我々の目を欺こうとしたそなたの行為は王族に対する忠誠心を欠いたとして、大逆罪と見なされる」

「そ、そんな…………、だって、殿下は私との婚約を認めてくださって……」

「私がいつ、そなたを婚約者に認めると言った」

「で、ですから、期限内に殿下の藤狼と仲を深めた者を婚約者とすると……」

「確かに、通達にはそのような文言があった」

「でしたら——」

「メルク」


 ベアトリスが期待に満ちた表情を浮かべる一方で、エリアスは軽やかに愛狼の名を呼ぶ。


 その声に耳をピクッと震わせたメルクが、素早く主人の元へ駆け寄った。エリアスが優しく頭を撫でるのに反応して、メルクの三本の尾が元気よく左右に振れる。


「藤狼はとても警戒心が強く、心を開いた相手以外には自ら近寄ろうとはしない。特に、私の藤狼はその傾向が顕著だ」


 広間にいる全員に届けるためか、エリアスは少し声を張った。そしてメルクのそばに片膝を着くと、こう問いかけたのだ。


「メルク、お前の認めた飼育係は誰だ?」


 エリアスがポンポンッと二度軽くメルクの背中に触れる。するとそれを合図と受け取ったのか、張り切った様子でメルクが再び駆け出した。


 この場にいる全員が一匹の藤狼の動向に注目する中、メルクが向かったのは——


「——……っ!!」


 眼前の光景に、ベアトリスだけでなく叔父と叔母も顔を歪ませる。


(えっと……)


 片や、オリヴィアは当惑していた。


 選んでもらえたことは嬉しいものの、それを今、広間中の注視を浴びているこの状況で素直に表していいものか分からないのだ。しかもその視線のうち三つからは、憎悪や憤怒の念をひしひしと感じる。

 

 しかしながら足元の存在をなみするなど、オリヴィアにはこの上なく酷なことだ。藤色の美しい生き物はきちんと座り、琥珀の双眸を輝かせて褒められるのを待っているのだから。


(む、無理だわ……!)


 観念したオリヴィアは両膝を着くと、両手でメルクの顔を包み込み優しく撫でる。


「ふふ、大好きですよ、メルク」


 とはいえ、そろそろ刺さり続ける鋭い視線から逃れたい。


 撫でる手はそのままに、オリヴィアは無意識にエリアスを一瞥していた。それに気付いたエリアスがまるでオリヴィアの心の内を見透かしたかのように、再びその場の主導権を握る。


「ベアトリス嬢、どうやら我が藤狼はオリヴィア嬢を飼育係と認めたらしい。つまり、婚約者の話はそなたの早合点——」

「そんなこと認められませんわっ!!!!!!!」


 苛立ちから全身を小刻みに震わせていたベアトリスが、ついにエリアスの言葉を遮った。もう己の立場を弁えている余裕など、彼女には残っていないのだろう。


「でしたら、どうして殿下は私を受け入れてくださいましたの?! お茶やお菓子を用意して歓迎してくださったではありませんか! あれが嘘だったなんて私は絶対に信じませんわ! 今も素気ないフリをなさっているだけで、本当は殿下も私を想ってくださっているのでしょう?!」


 大声で捲し立てたせいで、ベアトリスの声は掠れてしまっている。


 「そうだわ、殿下ったらあの女に毒されてしまったのね?!」などと自己完結している彼女には、もはやエリアスの言葉も届かないのかもしれない。


「殿下だって——」

「そろそろよろしいかな、ベアトリス嬢」


 さらなる持論を述べようとしたベアトリスを制止したのは国王だ。


 これまでずっと悠然たる面持ちで眼下を眺めていた君主が適時とばかりに口を開いたことで、混沌としていた場の空気が一気に引き締まった。


「司法官殿」


 国王の呼びかけで黒装束の人々が一斉に姿勢を正す。


 ここにきて、ようやく彼らの立場が判明した。彼らは法を司る法科院の役人だ。オリヴィアも聞きかじった知識だが、その身を包む漆黒の装束が俗に言う法服なのだろう。


「我々の主張はお聞きいただいた通りだ。適切な裁きを期待しておりますよ」

「仰せのままに」


 最前に立つ司法官が胸に手を当てて目礼し、あとの二人もそれに続く。


 ほどなくして姿勢を戻し、そのまま踵を返して入口へ向かって来る彼らを、扉の前にいるオリヴィアは慌ててメルクと共に脇へ避けて見送った。


「レステーヌ卿、並びに夫人、そしてベアトリス嬢。あなたたちの話は、司法官殿が改めてじっくりと聞いてくれるだろう。彼らを別室へ連れて行ってくれ」


 叔父たち三人は数人の騎士によって、部屋の外へ連れ出される。


 扉が閉じられるその瞬間まで三者三様の主張を続けていたが、それが国王やエリアスに聞き入れられることはなかった。


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