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第二十三話 王太子の企て(ディオンside)(1)

 遡ること、約一ヶ月——


「エリアス王太子殿下、ずっとお顔をお見せできず、申し訳ありませんでした。改めてご挨拶させてくださいな。わたくし、ベアトリス・レステーヌと申します」


 幾重にもフリルをあしらった赤いドレスの裾を軽く広げ、一人の令嬢がエリアスの前で儀礼的な挨拶を披露した。


 派手な髪飾りで巻きの強い髪の上半分をまとめた彼女は、しっかりと化粧を施したその顔に勝ち気な笑みを湛え、じっとエリアスを上目に見つめている。

 彼女のものと思しき香りは、残念ながらディオンの鼻腔をとろかすものではないようだ。鼻が利くメルクに配慮してそういう類のものを好まないエリアスは、どう思っているのだろうか。


(傍目には、少々過度なこしらえに思えるが……)


 一個人の好みの範疇を超えない意見ではあるものの、この点に関してはエリアスと一脈相通ずるところがあると理解している。


(ここが社交の場であれば、難なく溶け込んでしまうのだろうな。女性のおめかしというのは、なんとも奥が深い)


 むしろ装いに関して言えば、これまでのベアトリスのほうが特殊だったのだ。

 かつて飼育係として登城した四名の令嬢も、今のベアトリスと同様の格好をしていたのだから。


 今更あの褪せた黒地の良さを実感するなど、虫がいいにもほどがある。


(だからといって、魔女の仮装など怪しまずにはいられないだろう。初日に対面した時も目を合わせようとしないし、その後の報告でも様子は変わらずだと聞けば疑いを挟みたくもなる)


 自分に対する呆れが止まらず、ディオンは額を押さえた。


(だが、これは——)


 眼前で主人に言い寄るベアトリスに、ディオンは確信めいた眼差しを向ける。


 レステーヌ伯爵家にはなにかある——そう思わずにはいられないほど、目の前の彼女は別人なのだ。その違いはたなごころを指すように明瞭で、登城初日の案内以外で姿を見ていないディオンですら一瞬で見抜けてしまうほどである。


 昨日、執務室へ戻ったエリアスから『明日も来るように』伝えたと聞かされて、ディオンは驚かされたばかりだというのに。


 そもそも二日前に飼育係の元へエリアスを送り出した時だって、戻ってきた主人の話にディオンは耳を疑ったではないか。詳しく聞けば聞くほど、エリアスと飼育係の関係はディオンの期待とは真逆に展開しているように思えてならず、あれほど戦慄いたというのに。


 その結果が、これである。


(殿下のあの言葉は、こういうことだったのか……)


 それは二日前、エリアスにベアトリスの印象を尋ねた時のことだった。

 長椅子でくつろぐエリアスは不敵な笑みを浮かべ、『なるほど、確かにあれはおもしろい』と言ってのけたのである。


 要するにエリアスは、魔女の仮装になにか裏があると初日の時点で勘付いていたのだろう。そうでなければ、あれほどディオンの警告を受け流したり、成り行きに任せるような態度で臨んだりなどしない。


(だが、まさか別人が来るとは……。いや、ここへ来て顔を晒したということは、恐らく彼女が——)


「実は、頬にひどい怪我をしておりましたの。みっともない姿を殿下にお見せするわけにもいかず……無礼を働きましたこと、どうかお許しください」


 怪我をしたという頬に手を当てて、しおらしげな様子でエリアスを見上げる彼女は、王宮に着くやいの一番にエリアスの元へやって来た。


 いや、「やって来た」というのは語弊がある。


 今日のエリアスは午後からの外出に備えて、捌いては増える書類を執務室で片付ける予定であった。


 他の公務と比べてさして労力を必要としないため穏やかに過ごせるはずだったその貴重な時間は、一人の使用人の来訪で強制的に終わりを迎えたのである。


『殿下の婚約者と名乗るお方がいらっしゃったのですが……』


 扉を開いたディオンの目に入ったのは、憔悴しきった様子の飼育係の侍者の姿だった。


 彼曰く、ベアトリスが『王太子の婚約者』だと言い張っては、エリアスを探して王宮内を闊歩しているらしい。


 侍者には申し訳ないがディオンは最初、彼の説明を話半分に聞いていた。

 それはこれまでの一週間、正面玄関で侍者に出迎えられた()()が大人しくメルクの部屋へ直行していたからだ。

 

 この日もその手筈で侍者を待機させていたのだが、今日のベアトリスはこれまでと一転して、王宮に着くや否や『王太子殿下に会わせろ』と言って聞かなかったのだという。

 

 もとより飼育係として王宮ここへ来ている者は、許可なくメルクの部屋から出ることを禁じられている。

 ところがベアトリスはメルクの部屋へ近付こうとしないばかりか、エリアスの居場所を教えない使用人たちに対して罵詈雑言を投げつけているらしい。


 これではさすがに彼らが気の毒だ。


 そういった経緯からエリアス自ら出向くこととなり、冒頭のベアトリスの挨拶に戻るのだ。同行したディオンは数歩下がったところから事の成り行きを見守っているが、彼女がエリアスを前にしてどう出るか内心気が気でない。


 対して主人のほうはというと、寸分も取り乱した様子なく上手く彼女に調子を合わせている。


「ベアトリス嬢、ご足労賜り感謝する。それで、我が藤狼の様子はいかがだろうか」

「あの子でしたら利口に自身の寝台で眠っておりますわ。ですから、その間に殿下へご挨拶に参りましたの」


 侍者の話では、メルクの部屋に寄ってすらいないらしいが。


「そうか。では、引き続きあの子の世話を任せたい」

「かしこまりましたわ、エリアス殿下」


 そう言いながらも、なぜかベアトリスは一歩前へ踏み出した。


 ディオン含め周りを囲む護衛が身構えるも、エリアスが視線でそれを制する。

 その様子を諾と見たのかエリアスの隣へ踏み入ったベアトリスは、そっとエリアスの腕に自身のそれを回したのだ。


 振り払うことをしない主人に、ディオンは目を丸くする。


「ですがわたくし、これまでずっと一人であの子の面倒を見ておりました。話し相手もおらず、とても寂しかったのです。どうか今日だけは、殿下のおそばにいることをお許しくださいな」


 すでに自分はエリアスの婚約者だと、ベアトリスはそう思っているのだろう。断りなく異性に触れるなど、未婚の女性がするものではない。


 だが驚くべきことにエリアスはそんな彼女を咎めることなく、さも同感という風に滑らかに口角を上げたではないか。


「確かに、私はこれまで執務を優先しすぎたのかもしれない。これから客間へ案内しよう。私も仕事を片付け次第、そちらへ向かう。温かい紅茶と菓子でも楽しみながら、互いのことを知る時間としようではないか」

「まぁ、それは嬉しいですわ。殿下」


 執務室の外だというのに、ディオンはなんとも間抜けな顔になってしまった。


 初めて目の当たりにするエリアスの甘言に、開いた口が塞がらない。

 手慣れた者からすればさしたる糖度ではないのだろうが、それはエリアスにしてみれば砂糖菓子級の甘さなのだ。


 呆然とするディオンを余所にようやくエリアスの腕から離れたベアトリスは、軽快な足取りで侍者に案内されながら客間へと向かった。

 

 我に返ったディオンは、その後ろ姿に企てを言い渡された時の国王の言葉を思い出す。


 ——彼女たちならメルクには目もくれず、一目散にお前の元へ駆け寄るであろう。


(本来、この企てはこういうものだったな)


 妙な納得感を得たことに、ディオンは可笑しくなってしまった。


 だが、主人のほうはそうではないらしい。


「ディオン」

「はい」


 自身の名を呼ぶエリアスの声に、先刻の甘さは微塵も含まれていない。そのことが、ディオンをたいそう安心させた。


「レステーヌ伯爵家を探れ。采配は任せる」

「仰せのままに」


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