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第二十一話 ベアトリスの自慢話

※こちらの話には少々暴力的な描写が含まれておりますので、苦手な方はご注意ください。

「王太子様はまさに理想通りなお方よねぇ。お顔立ちは見ていて飽きないし、寡黙なところもやっぱり素敵だわぁ」


 自室の長椅子に控えめに腰掛けるベアトリスは、頬を赤く染め婀娜めいた目つきで遠くを見つめる。


 これが本当にあのベアトリスなのだろか——そう思ってしまうほど、今の彼女はしおらしい。


 飼育係の任務を終えてから、すでに二週間が経過した。


 ベアトリスの話ではいまだ婚約者に関しての明確な回答は得られていないらしいが、それでも彼女は毎日、朝早くに屋敷を出ては日が暮れるまで王宮に居座っているそうだ。


 そして屋敷へ戻った従姉はまず、こうしてオリヴィアを自室に呼びつける。その目的は、エリアスに対する礼賛を従妹に聞かせるためではない。


『お前の時とは違って、殿下は私をとても温かく迎え入れてくださるの。庭園をご案内していただいて、美味しいお茶とお菓子までご用意してくださるんだから』


 これはオリヴィアがようやく倉庫を出られた日、すなわち飼育係を終えて四日目の呼び出しで聞かされた話だったか。


 そう、彼女の真意は「いかに自分が歓迎されているか」をオリヴィアに自慢すること、これ一択だ。


 一昨日は確か、こうも言っていた。


『最近は王宮内を移動される際に、隣を歩くことを許してくださるの。きっと私という婚約者の存在を城中の人間に知らしめたいんだわ』


 こうして詳らかになる王宮での様子について、その真偽は確かではない。ベアトリスが婚約者を自称している時点で、いささか信憑性に欠けるのだ。


 さらに、どうにも従姉の口から語られる王太子像と、オリヴィアが接したエリアスの姿が一致しない。具体的にどこがと問われれば回答に困る程度には感覚に頼ったものであるが、彼女の話すエリアスはまるで創りもののように思えてならないのである。


 だからといってベアトリスに疑問を呈することができるほど、エリアスのことを知っているわけではない。あくまでも一週間、いや、ほんの二日ほど関わっただけの間柄に過ぎないのだ。


 だからこうして従姉の自慢話に口を差し挟むことなく、小一時間ほど立ち通しで聞くほかないのである。


「それにしても、さすが王太子様と言ったところかしら。そばに置くに相応しい人間かどうか、()()を見極める目をお持ちのようね。こんな薄汚い女よりも私を相手にしているほうが、殿下もご気分がいいに違いないわ」


 ベアトリスの言葉がいずれも、オリヴィアを嘲弄するためのものだということは分かっている。自分より厚遇される従姉を指を咥えて眺めるオリヴィア——ベアトリスはこれを御所望なのだろう。


 そんなことは分かっているのに——


 心の中に生ぬるい感情が生まれてしまったことを、オリヴィアは素直に悔しく思った。


 ——私……、ここに居たいんだわ…………


 王宮生活も大詰めを迎える中、最後の最後で気付いてしまった新芽の存在。たとえそれが徒花であろうと、ひとたび芽吹いてしまえばそう簡単に枯れてはくれない。


 迂闊にも望んでしまったことを、オリヴィアは今更ながら後悔している。かつてのオリヴィアならば、ベアトリスの嘲りにこれほど心が揺さぶられることはなかったというのに。


 それにしても——


(やっぱり、メルクの話が一度も出てこない……)


 一週間ほど前にメルクの様子を尋ねてみたところ、平手打ちをお見舞いされた。ベアトリスにとって触れられたくない部分なのかもしれない。そう思うと、オリヴィアの不安はより一層色濃くなる。


「いっ——……」


 知らぬ間に目の前に立っていたベアトリスに一つに束ねていた髪を掴まれ、オリヴィアは引きずり下ろされるように床に這い蹲る。


 ボーッと考え込んでしまったのがいけなかった。


「うっ…………」


 グイッと強く髪を後ろに引かれたことで、オリヴィアは四つん這いのまま顎を突き出すようにして上向いた。


 目が合ったベアトリスが不気味な笑みを湛えている。


「そう……、そうよ。お前は昔みたいに、そうやって苦痛に顔を歪めていればいいの。本当に馬鹿よね。私だって泣き喚く相手に手荒な真似はしないわ。私がなにをしても顔色一つ変えない、気味の悪いお前が全部悪いのよ!」


 荒々しく語気を強めたベアトリスは、言い切ると同時にむしり取るように髪から手を離した。反射的に顔を歪めたオリヴィアだったが、皮肉にも彼女の言葉によって心に居座っていた生ぬるい感情が退いていくのがはっきりと分かった。


(そうよ、決めたじゃない……)


 俯いたオリヴィアは絨毯に着いた両手をぎゅっと握り締めた。若葉色の瞳が鮮やかさを増し、心の内を色濃く映し出す。


 侍女の言葉を思い出したあの日、オリヴィアはある決意をしたのだ。


 ——泣くのはこれが最後。金輪際、お従姉様には屈しない。


 ——そして、いつか使用人みんなをこの家から解放する。


 オリヴィアはずっと後悔していた。


 両親をぼんやりと見送ってしまったあの日、彼らが出かけたのは、オリヴィアの誕生日プレゼントを探しに行くためだったのだ。

 最初にお願いした物はすでに手に入れてあったというのに、オリヴィアが直前で別の物をねだったせいで、二人は出かけることになったのである。

 

 ミオがいなくなってしまったあの日、自身の髪を掴むベアトリスに抵抗してでも、きちんと施錠すべきだった。体の痛みなど切り捨てて、ランプが当たる前にミオを抱き締めるべきだった。


 両親もミオも、オリヴィアが殺したようなものだ。最後にオリヴィアを追い詰めるあの夢は、そんなオリヴィアの心の写し鏡になっている。


 それでも、まだ大切な存在が手の中に在る。


 失う後悔など、二度とごめんだ。そのためには、自ら行動を起こさなくては——


 そうして決意を固めたオリヴィアは使用人に思いの丈をぶつけた。

 当初は全員で家を出て離散する算段で話したのだが、未成年のオリヴィアを案じた使用人全員が首を横に振ったのだった。


 家に残るその代わり——と言ってはなんだが、自身を庇わぬようにと彼らを言い含めたのはこの時だ。


 オリヴィアが期待通りの反応をしなくなれば、ベアトリスの苛立ちを増幅させることになるのは目に見えている。そんな状態の彼女が使用人に手を上げないわけがない。


 だから彼女の癇癪が落ち着くまで、使用人はベアトリスの前に姿を表さない。そう約束したのだった。


「——……っ! な、なによ、その目は……」

 

 ベアトリスの声が焦りに震える。


 ゆっくりと彼女を仰いだオリヴィアの顔には、なんの感情も浮かんでいない。怯えを一切消した強い眼差しだけが、ベアトリスをじっと見据えている。


 そんなオリヴィアの態度を見れば、ベアトリスの苛立ちなど容易に臨界点に達してしまうのは自明のこと。


 それでもオリヴィアは決して顔を歪めることはせず、さらにはその場しのぎの謝罪の言葉など間違っても口にしない。


 従姉からの罵詈雑言が心を掠めることがないよう、意図的に感情の生成を止める。


 それがこの屋敷での、オリヴィアの下手くそな処世術だった——





「お嬢様! ベアトリス様のお召し物、ご覧になりましたか?!」


 さらに二週間が経過した、ある日の昼下がり。


 嫌悪感を隠す気もなく声を上げたのは、侍女のハンナである。数人の使用人たちと休憩室で昼食を摂った後の、しばしの歓談中の出来事だ。


 ハンナは元はオリヴィアの侍女であったが、叔父一家が屋敷に来てからはベアトリスの侍女を任されている。


 燃え盛る炎の前でオリヴィアにあの言葉をかけてくれたのもハンナだ。

 

 そんな彼女は現主人が大嫌いなご様子。その証拠に彼女が「お嬢様」と呼ぶのは、今も昔もオリヴィアだけ。はじめのうちは呼称の使い分けにベアトリスが気付いたらと肝を冷やしたオリヴィアだったが、そんなヘマはしないのがこの侍女の強かなところである。


「叔父様たちのご出発までは倉庫にいたから見ていないわ。お従姉様のお召し物がどうかしたの?」

「ベアトリス様、奥様の婚礼衣装を選ばれたんですよ! あれはお嬢様のお輿入れのためにと、我々が丁寧に保管していたものなのに……!!」


 食台に置いた拳を、ハンナはこれでもかというほどに握り締めた。


 彼女は「……そう」と微妙な反応を見せたオリヴィアに代わって、ベアトリスの不道徳とも取れる行為に心底腹を立ててくれている。


 ハンナが「奥様」と呼ぶのもヨランダだけである。「旦那様」も然りだ。あくまでハンナにとっての主人一家は、ジョエルとヨランダ、そしてオリヴィアなのだろう。その徹底ぶりはもはや尊敬に値するほどで、執事長や侍女頭だってなにも言わない。


『明日はお父様とお母様も王宮へご招待いただいているの。なんでも国王陛下直々に私たちにご挨拶したいそうよ。ようやく私と殿下の婚約話が進みそうだわ』


 昨夜の呼び出しで、ベアトリスがそんなことを口にしていた。


 結局、婚約者についてもメルクとの関係についても確認できず終いだが、国王が出てくるということが全ての答えだろう。


 ——エリアスはベアトリスを婚約者に選んだのだ。


「私が婚礼衣装の手入れを怠らなかったのは、他の誰でもないお嬢様のためです! それをあの女……!」

「ハンナ、ありがとう。あなたがずっとお母様のドレスを大切にしてくれていたことは知っているわ。本当に感謝してもしきれない……。だけど私はもうお従姉様の言動に、いちいち心を乱したくないの。こちらが嘆き悲しむ姿を見せれば見せるほど、あちらはつけ上がるだけだもの」

「お嬢様……」


 ベアトリスの行動がオリヴィアへの当てつけであることは、疑う余地もない。「自分は王太子殿下に選ばれたのだ」、そう言いたいのだろう。


 多少なりとも煽られたことは認めざるを得ないが、それでも胸が潰れるような思いを感じたのはほんの一瞬のことだ。あとはハンナに言い聞かせた通りである。


 そんな主人の覚悟を感じたのか、ハンナはそれ以上なにも言わなかった。


「なんだか外が騒がしいですね。なにかあったのでしょうか?」


 使用人の一人が入口を見遣りそう口にした。扉の向こうから、なにやら慌ただしい足音が近づいてくる。


 間もなくその音は休憩室の前まで来ると、勢いよく扉を開いて衝撃の言葉を放ったではないか。


「お嬢様、大変です! 王太子殿下の藤狼が——……」


ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

再び清書のストックが切れてしまいましたので、次の投稿まで少しお時間をいただきます。

更新しましたら活動報告にてご案内いたしますので少々お待ち下さい。

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