31.聖女の行進
「解毒剤が効いているのでしょう。ご令嬢は回復に向かわれています。」
毒の専門部隊に属する医者がルエナを診て言った。
ルエナは城内の客室で眠っている。薬を飲んでから気を失うように眠ってしまって、ソリスは彼女をベッドに運ぶ事しか出来なかった。
窮地は脱したと思われ、ソリスは体の力を抜いた。一時はどうなる事かと思った。
今はまだ、ルエナがどこで毒を盛られたのか考える気力が湧かない。
無論、ソリスが動かずとも、専門部隊は先に調査を始めているだろう。これはカルチェの暗殺事件と繋がりがあると見るべきだろう。彼らの管轄するところとも言える。
ルエナの傍で椅子に沈み込んでいると、ノックも無しに扉が開け放たれた。五人程のトリア教徒がぞろぞろと部屋に入って来た。皆、フードを深く被っている。
「入室は許可していない。」
ソリスは立ち上がって、ルエナを守るように枕元に移動する。無礼者達を近づけまいと導線を塞ぐが、一人では成す術がなかった。
教徒達はルエナのベッドをぐるりと囲み、「嗚呼、恐ろしい。」「呪いだ。」等と口々に言い始めた。ぼそぼそと低く、小さく声を発せられる様は不気味だった。
「これは呪いだ。祈りを捧げなくてはなりませぬ。」
そう言って最後に部屋に入って来たのは、神官と思われる男だ。唯一顔を隠していない。
「祈りだ!」
「聖女の祈りを!」
「嗚呼、主君のご加護がありますように。」
神官が現れると、信者の言葉は「呪い」から「祈り」に変わった。
(馬鹿馬鹿しい。)
ソリスはこの茶番を冷めた目で見ていた。ルエナが倒れた原因が毒である事は分かっている。呪いのような非科学的な事象ではない。
何故彼らが許可も無しに部屋に入れるのか。衛兵は何をしていると言うのだろう。
ソリスは苛立ちを露わに、衛兵を呼び寄せようとした。その為に吸い込んだ空気に引っ張られたかのようなタイミングで、真っ白の衣を身に纏った少女が入って来た。
「聖女様」
「聖女様」
「お祈りを」
「聖女様」
聖女と呼ばれた少女は、ソリスの目の前に跪いた。
「ルエナ・ヒエム様の為に、祈りを捧げてもよろしいでしょうか?」
信者が崇めたくなるような可憐な少女である事は認めよう。だが、この者に特別な力があるとは思えない。
ソリスは彼らの自由を許さなかった。
「不快だ。立ち去れ。」
有無を言わさないソリスの態度に、神官が狼狽えた。
「いえ、そういう訳には……」
「触れるな。」
神官の言葉を遮って、ソリスは警戒心で満ちた声と視線を、ベッドの向こう側にいる者に刺した。ソリスの後ろで、信者の一人がルエナに手を伸ばしていた。
当初の予定通り、衛兵を呼び、トリア教の者共を強制退場させる。
それに意義を唱えたのは、部屋の外でこっそり様子を伺っていた王女だった。
「お兄様、このままでは姉様が……!」
メルがソリスに懇願する。組まれた両手には強い祈りが込められている。
ソリスはメルのお願いを一蹴した。それどころか、軽蔑の眼差しを向けた。
「こいつらを招いたのはお前か、メル。」
メルがトリア教に傾倒している事は知られている。今回も、ルエナの一大事と聞き、トリア教の聖女とやらに縋ったのだろう。
衛兵が彼らの入室を止めなかったのも理解出来る。姫が手引きしたのだから。
「頼むから、今は静かにしてくれ。ルエナは無事だ。聖女の祈りが無くてもな。」
「でも、……」
ソリスは頭痛を訴えるように額に手を当てた。妹が何か言おうとしても、耳を貸さなかった。
「彼女をお救い出来るのは聖女の祈りだけです。後悔する事になりますぞ。」
神官も何かほざいていたが、ソリスが気に留める事は何も無かった。
邪魔者が失せると、ソリスは再び椅子に腰を落ち着けた。目を閉じ、聖女のあまりに都合の良い登場について考えを巡らせた。
と、その時、背筋に寒気が感じられた。危険が近づいている気配がある。
ソリスは恐怖の正体が分かる気がして、気合いを入れる為の深呼吸を行った。すぐに現れるであろう、その人を立って待つ。
直後、ノックの音があり、ドアを守る衛兵がソリスに声をかけた。
「メイフォンス侯アヴィス・ヒエム様がご到着されました。」
礼儀の分かっている者の来訪だ。ソリスの許可が下りてから、扉が開かれた。
アヴィスはソリスの知る冷酷な顔で現れた。だが、肌の色がいつもより白いように見える。必死に平静を装っているのだろうと思われる。
その証拠に、彼は一言も発しなかった。一度だけソリスに礼をし、即座にルエナの傍に屈んだ。顔や手に触れ、ルエナの熱を確かめたようだ。
時間をかけて、ルエナが生きていて、ただ眠っているだけなのだと確認をすると、アヴィスは漸く口を開いた。
「二度も命の危険に晒された。」
アヴィスの声は重く、トリア教徒の発言の何倍も受け止めるのが難しい。ソリスは息を殺して、彼の低く唸るような言葉の続きを待った。
「この事をどうお考えですか?」
アヴィスはソリスに背を向けたまま問いかける。
ルエナはソリスに関わり、婚約者候補として立場を確実な物としてから命に関わる事件に巻き込まれている。
アヴィスの言う一度目は、先日の誘拐事件だ。ソリスとしては、これを一度目と認めてはならないのだが、否定する空気ではない。
二度目は言わずもがな、今回の毒の件だ。アヴィスも毒の存在を知らぬが、ルエナが暗殺の対象になった事は分かっているだろう。
実際は三度だ。アヴィスは、ルエナが投身自殺を図った事を知らないから、二度という事になっている。
「私の未熟さが招いた結果です。」
王族は常に命の危険と隣り合わせだ。暗殺や誘拐に巻き込まれる事は日常茶飯事と言って良いだろう。国の頂点に立つ者の宿命だ。
だが、婚約者、いずれは妃として親族を送り出す者にとっては、受け入れがたい事実である。家族が王族の仲間入りする事による恩恵は莫大だが、愛する者を自ら危険に放り込みたいと思う者はいないだろう。
「貴殿に大切な妹をお預けする事は出来ません。」
「そう判断されるのも致し方無いと思います。」
ソリスは何一つ否定する事が出来なかった。
それでも、ルエナを守る為に一つだけ聞き入れてもらわねばならぬ事がある。
「この場で言える事では無いと分かっていますが…….、今しばらく、ルエナ嬢を城に留めていただきたい。彼女の状態に詳しい医者がいます。どうか任せていただけませんか?」
アヴィスが立ち上がって、ソリスを正面に見据えた。片手はルエナの手を握ったままだ。
アヴィスに見つめられ、ソリスは目を逸らしたくなった。だが、それをしたら負けだ。アヴィスはソリスを見限るだろう。
「……仰せのままに。」
アヴィスはついに恭しく頭を垂れた。沈黙の長さから、彼が悩んだ事は見て取れた。
ソリスはほっとした。一命は取り留めたものの、ルエナは完全回復を果たしていない。毒の対処法を知る者の傍に置いておきたい。
アヴィスが頭を下げたまま、ソリスに尋ねる。
「妹を陥れた者の素性は分かっておられますか?」
「いえ。ですが、見当はついています。」
アヴィスが感情を悟らせない鉄仮面を上げた。ソリスは僅かに口許を緩めた。
「近日中の解決をお約束しましょう。」
***
王城を出た聖女は、ロカ大聖堂までの道中、小規模のパレードを行った。
「王太子殿下の新しい婚約者様のお命を救ったそうだ。」
「聖女様には怪我や病気を治す特別な力があるらしい。」
聖女の噂は町中、否、国中に広まった。聖女の偉業が語られるのに、事実は関係無かった。
「誰です? ヒエム嬢を治療したと吹聴したのは。」
神官は、沿道でパレードを見守る民に笑顔で応えながら、傍を歩く信徒に尋ねた。
「もしご令嬢の身に何かあれば、聖女の信頼も薄れる。結果を待てと言ったはずだが。」
自分の思い通りに事が進まない事が不愉快極まりない。神官はぎりっと歯ぎしりをした。
神官に当たられた信徒は、自分の責では無いが謝罪をした。神官の機嫌を損ねれば、信者の立場が危うくなる。
「まあ、いい。」
考えはある。ルエナが命を落としたなら、聖女の祈りを断られたからだと言えば良い。事実、王太子は聖女の関与を拒否している。その点については、王城も否定出来ない。
神官は聖女の様子を見た。少女は、人々の歓声に迎えられ、嬉しそうに笑顔を見せている。
聖女本人は自分に本当に特殊な力が備わっていると思っている。実際は神官と、秘密を知るごく一部の信徒が演出しているに過ぎない。
今回はルエナに祈りを捧げる聖女の陰で、解毒剤を投与する予定だった。ソリスによって彼女に近づく事さえ止められ、解毒を使う事が出来なかった。
聖女が自分の力を信じているからこそ、周囲への信憑性も増す訳だ。
全てはトリア教の勢力を取り戻す為。かつては国教と認められ、国王ですら神官長に逆らう事が出来ない時代があった。
忌々しいのは、先代国王だ。豪王と呼ばれた先代は「今の世は我が王ぞ。」と、トリア教を切り捨てた。賢王もそれに続いた。
トリア教は三代目の雷王を崇めている。先祖とはいえ、過去の王を信仰する宗教を受容出来ない王が現れても不思議ではなかった。
この状況を打開する策が聖女だ。民が聖女に関心を寄せているのは、大変喜ばしい。
ルエナ・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:30.十月六日
アヴィス・ヒエム(25歳)
メイフォンス侯爵。ルエナの兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:29.図書室の管理人
ソリス・ヴィリディステラ(19歳)
ヴィリディステラ王国第一王子。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:30.十月六日




