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29.図書室の管理人

 ウェントスが騎士号を得て以来、ルエナは王城への出入りが増えた。元々近衛騎士団の任で城に通っていたウェントスに着いて行くようになったのだ。


 その事に、アヴィスは良い顔をしなかった。ルエナの目的はソリスに会う事にあったからだ。通い妻のような事をする妹を受け入れられないのは当然である。


 だが、彼らの逢瀬は決して可愛らしい物では無かった。


「毒というのは、人体に害を成す物質です。今回はそれを経口摂取したと思われます。毒を人に使う場合、食べ物に入れる事が多いですし、嘔吐物に毒の反応があった事も分かっています。」


 いつか約束していた毒の話を聞いていた。二人は、亡き婚約者のカルチェ・フーパの死の真相を突き止める為に動き出したのだ。


「害のある食べ物があるだなんて……。しかも、それを殺める為に利用する人がいるのですね……。」


 ルエナは毒の存在を知らなかった。恐ろしい世界を見たと、両腕を抱きしめるように寄せた。


「王家は情報を統制してきました。民の安全の為に、毒を隠したのです。」

「では、何故犯人は毒を知っていたのでしょう?」

「全てを管理する事は難しいです。密輸入される事も無いとは言い切れません。」


 毒に関する基本的な情報を共有し終えると、ソリスはこれまでの調査記録を見せた。


「国内の毒が使用された事件は王家の管轄する専門部隊が対応します。彼らこそ毒のエキスパートなのです。分かっているのは、毒を摂取したのが昼頃である事、毒は幻覚作用があり、呼吸器を止めてしまう物だという事です。」


 そこには事細かに、被害者の状態と、その日の動きが書かれている。以前見たソリスのメモより詳しい。


「お昼頃で飲食したタイミングと言えば王妃陛下とのお食事が最も可能性高いのでしょうけれど……」

「ええ。陛下は毒見をつけていますし、カルチェ・フーパ嬢も同じ物を食しています。考えられるのは、器に毒が塗られていたか、前後の水分補給や軽食で盛られたくらいです。そのどちらも検討しましたが、実行が困難な状況だったんです。」


 調査書に目を通しながら、改めて事実確認をしていく。


 食器に毒を塗るのが現実的でないのは、使われた食器が銀製だったからだ。多くの貴族が食事に銀食器を使う。王族との食事なら、なおさらだ。それは単に、美しく価値があるからに過ぎない。だが、その裏で銀は毒の発見に大きく貢献している。銀は毒に反応して色を変えるのだ。


 ルエナは銀の働きに大層驚きつつ、犯行する者にとって悪手である事は理解出来た。


 昼食前後のカルチェの行動については証言がある。


 妃教育で授業を行っていた講師は、カルチェと同じ紅茶を飲んだと言う。彼には全く症状が無く、その紅茶に毒が入っていたとは考えにくい。


 カルチェが城内を歩く時、常に付き従う侍女がいる。王城に仕える侍女なので長く時を過ごした訳では無いが、二人はとても仲が良かったそうだ。その侍女が言うには、昼食後、図書室でお気に入りの本を読んでいた、と。図書室は飲食禁止の為、そこで服毒した可能性は極めて低い。


「犯行方法が分からなかったので、容疑者……と言うより、動機がありそうな人ですね、を先に考えてもみました。ですが、ルエナを追い込む以外の効果はありませんでした。」


 ソリスが見るからに肩を落とした。


「要するにどん詰まりなのです。」


 半年以上調査を続けているソリスは、もうお手上げ状態にある。ルエナという新しい視点を得たくなる程に、打つ手無しである。


 ソリスから事件の全容を聞き、ルエナは震えが止まらなかった。命を失いかねない怖ろしい事が、この王が住まう城には蔓延っているのだ。


 でも、聞いた事は後悔していない。ソリスが約束を守り、女性相手だと隠さずに話してくれる人で良かった。


「暗い話をし過ぎました。一度、話題を変えましょう。そうだ。城で行ってみたい所はありませんか?」


 ルエナの顔色が悪いのを心配して、ソリスが城内のツアーを提案した。ルエナは好奇心を搔き立てられ、遠慮せず案内をお願いする事にした。


 残念ながら、それは後日に延期となった。ソリスが仕事に戻る時間になってしまったのだ。ソリスは公務の合間を縫って、忙しい中ルエナに時間を作ってくれているのだ。


 ルエナ以上にソリスが悔しがった。せっかくだから図書室を覗いてから変えると良いと言うソリスの顔は、決して送り出す人のものでは無かった。


 ルエナは国王が管理する図書室に大変興味があった。ソリスが付けてくれた侍女を引き連れて、図書室に向かった。


 図書室の入口に立つ警備隊には既にルエナが来る事が伝わっていたらしく、難無く中に入る事が出来た。


 溢れんばかりの書物の倉庫に、ルエナは感嘆の声を漏らした。どこを見渡しても本なのだ。天井が信じられない程高く、いくつもの本棚が聳え立っている。その棚にびっしりと本が詰まっている。高い棚の資料を取る為の専用の梯子を見つける事も出来た。


 ルエナの他に人がいて、多くが官僚だった。業務に必要な書物を探しに来たのだ。尤も、位の高い者は部下に本を取りに行かせるので、本人がここに来る方が珍しい。


 ルエナが物珍しげに周囲を見渡していると、一人の老人が近づいて来た。彼は図書室の管理をしている官僚の一人だそうだ。話し好きの老人は、相手がルエナと分かった上で話しかけて来た。


「新しい顔を迎えるのは久々でございます。ここ数年は、テイラー殿下か大臣がお見えになられるくらいで。」


 老人が不意に遠くを見て、目を細めた。ルエナはすぐに彼が誰かを思い浮かべている事が分かった。そして、それが誰なのか分かった気がした。


「カルチェ・フーパ嬢も幼い頃はよくいらしてまして……あ、比べるつもりなど滅相もございません。老人の思い出話と思ってください。」

「気にしておりませんよ。カルチェ・フーパ嬢はどのような方だったのですか?」


 現婚約者候補と言われるルエナに、前の婚約者の話をするのはよろしくないと悟ったらしい。老人は失言を焦ったが、ルエナは本当に気にしていなかった。むしろ、誰も語ろうとしない彼女の話を聞けるチャンスだと思った。


 ルエナが前のめりに尋ねると、老人は本当に嬉しそうに、楽しそうに語りだした。


「空想が好きな可愛らしいお嬢さんでした。図書室に来ては、物語をよく読んでおられました。特に兄弟姉妹が主人公のお話が好きで、妹御と冒険に出かける事を想像していらっしゃるようでした。」

「仲の良い姉妹でしたのね。」

「ええ、ええ。妹御をここに連れて来たいとおっしゃられた事もございました。それが叶う事はありませんでしたが。」


 カルチェよりフィールを知るルエナとしては、性格のきついフィールが姉と上手くやっていたとは思えなかった。老人に話を合わせたが、仲睦まじい姉妹を想像するのは難しかった。


「ほうら、ご覧ください。カルチェ・フーパ嬢の入室記録です。十年程前はこうして毎日のように来られていたんですよ。」

「記録を取っているんですね。」

「勿論でございます。大切な書物に何かあっては困りますからね。あの子も、余程お疲れだったのか、一度書物に涎をつけてしまった事がありましてね。」

「まあ!」

「その時に見た夢が物語の世界だったと、それはそれは大喜びで話すものですから叱るに叱れなくて……。」

「可愛らしいお嬢さんでしたのね。」


 老人の話の長さは想像を遥かに超えていた。カルチェの話は聞きたいと思っていたが、もう十分だ。


 「さて、ルエナ・ヒエム嬢は何か読まれますか? 本探しをお手伝いいたしますよ。」と言ってくれるまで一時間もかかった。


 老人が毒を知る者であるか判別出来なかったので、毒に関する書物を尋ねるのはやめておいた。代わりに、カルチェが好きだったという児童書を教えて貰った。


 そうして、ソリスの体が空いていない時は図書室に通い、カルチェが読んでいたという本を借りるようになった。

ルエナ・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:28.王太子の大切な人


アヴィス・ヒエム(25歳)

 メイフォンス侯爵。ルエナの兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:28.王太子の大切な人


ウェントス・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:28.王太子の大切な人


ソリス・ヴィリディステラ(19歳)

 ヴィリディステラ王国第一王子。

 初登場  :6.壁の美しき花

 前回登場話:28.王太子の大切な人


カルチェ・フーパ(享年17歳)

 スキエンティ公爵の長女。王太子の元婚約者。

 初登場  :2.王家の使者

 前回登場話:24.侯爵家の長男

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