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28.王太子の大切な人

「誇らしわ、ウェンス。」


 正装に身を包んだ兄に、ルエナは心からの賛辞を送った。受け取るウェントスは憂鬱な顔をしていた。これから格式ばった式典に参加しなければならない。ウェントスの大嫌いな時間だ。


「団服の方がマシなのに。」


 首元が詰まった感じがするのか、ウェントスは襟を引っ張る。


「仕方無いの。近衛騎士団は『騎士』で構成された陛下直属の団体ではないじゃない。公式の場で制服を着たいなら、近衛騎士団員が全員騎士になるか、騎士だけの新しい団体を作らないと。」

「そんなの王様が作ってくれれば良いじゃん。」

「陛下はお忙しいのよ。それに、騎士号を叙された方はまだ二十人程度しかいないの。」

「それじゃあ、騎士団にならないな。」

「そういう事よ。」


 ルエナはハンカチでウェントスの顔を拭いてやった。汗をかいていた訳では無いが、そうする事で兄を落ち着かせられると思ったのだ。


 そうして顔に触れていると、突然ウェントスは切り替えた。「まあ、いいや。」と、先程まで幼い子供のように膨れさえていた頬を、スッと戻した。かと思えば今度は上気させた。


「ルエンはアヴィスから離れるなよ!」


 自身と同じくらいの高さにある妹の肩を両手で掴んで、よく言って聞かせた。ルエナが痛いと冗談交じりに言っても無視した。


「今日来るのはお偉い所のご老人ばっかって話だから、血気盛んな不届き者はいないと思うけど、念の為!」

「ご老人って……不届き者はウェンスの方よ。」


 受勲式に参列するのは、爵位を持つ、各家の当主のみ。確かに年配者が多いが。


 ウェントスは言いたい事だけ言って、控室を出て行ってしまった。ちょうどタイミング良く、式典の主役を呼びに来た従者のノックが鳴ったのだ。


 従者と共に移動しているはずなのに、廊下を走るような騒々しい足音が聞こえる。ルエナは思わず頭を抱えた。


「馬子にも衣装だな。」

「もう、お兄様ったら。」


 ずっと黙ってソファに座っていたアヴィスが、どこか他人事のように言った。王の近くでこそ、礼儀を注意して欲しいのに、いつもの口煩さはどこへやら行ってしまったのか。


(これでも、ウェンスの晴れ舞台を喜んでいるのかもね。)


 ルエナはいつもと変わらぬ真面目な相貌を、微笑ましく思いながら見つめた。


(あー、でも、なんだか緊張してきちゃったわ。)


 自分の事ならともかく、あの腕白者が国王の前に出ると思うと、胸が詰まる。へまをしないか心配だし、彼にそれを乗り切れる対応力があるとも思えない。


 外で呼吸を整えずして式典に参加できまい。ルエナはアヴィスに断って、控室を出た。一緒に行こうと言うアヴィスには、式典の始まりを知らせる者が来るかもしれないという適当な理由を付けて残らせた。今のルエナにとって、アヴィスの存在は負担では無いが、緊張をほぐすには一人が良いと思った。


 王城を好き勝手歩けるものではない。外の空気が吸えそうな場所はあったかと思い巡らせながら、ゆっくり廊下を歩いていると、向かい側からソリスがやって来た。


「会えて良かった。」


 ソリスにそう言われて、ルエナは次に彼に会う時にどんな顔をすべきか考えておくのを忘れていた事に気がついた。ソリスは表情を曇らせていて、とても明るい話をするとは思えなかった。


「母が暴走したようです。危機に陥ったルエナを私が助けに行けば、ルエナの心は私に向くだろう、と考えたらしく……安易でした。ルエナがご家族の手ですぐに救い出されたと聞いてほっとしました。怖い思いをさせてしまったでしょう。どうか謝罪をさせてください。」


 捲し立てられ、ソリスが頭を下げようとするまでルエナは言葉を発せなかった。


「なりません。」


 ルエナは慌ててソリスを止め、頭を回転させる。ソリスが主人の「よし」を待つ犬のような眼差しでルエナを見つめている。


 最も避けるべき事は、ソリスに王妃の関与を認めさせる事。誘拐事件の真相を聞いてしまえば、ルエナ側は彼を事件の証人にせざるを得ない。そうなれば、王家内の対立を引き起こしかねない。王妃と王太子の対立は国の平和を乱す。それだけは何としても避けなければならない。


(お兄様が聞いてなくて良かった。)


 ルエナは一呼吸置いて、静かに言った。


「今のお話、聞かなかった事に致します。互いに知らぬ方が良い事もありますわ。」


 ルエナの真意を察したのだろう。ソリスはそれ以上謝罪を述べようとせず、ただ一度頷いた。


 このまま去るのは違う気がしたが、他に語る内容も無いので、ルエナは会釈をして場を離れようとした。碌に外気を吸えなかったが仕方あるまい。


 ルエナの背中に、ソリスが話しかけた。


「何も無かったのですから、今まで通り貴女は会ってくださると思っていて良いですよね?」


 振り返れば、顔を曇らせるソリスがいた。ルエナは何故かわからぬが、心臓をぎゅっと握られたように痛んだ。


「勿論です。」


 ルエナは気付けば優しく笑っていた。


 ソリスはルエナに会えなくなる事を重大事と考えている。ルエナはそれ程求められている事に、まんざらでもないと思った。


 ルエナの憂鬱は、ソリスとの関係への不安もあったようだ。彼と和解して戻ると、ウェントスのせいだと思っていた緊張も、幾分かましになっていた。呼吸が随分と楽になった。


 控室に戻り、間もなく現れた迎えの従者に従って大広間へ移動した。


 決しては多くは無いが、国を支える重要な人物達が神妙な面持ちで待ち構えていた。彼らがウェントスの受勲を見守るのだ。


 国王が現れると、早速式典が始まった。


「此度の献身を称え、騎士号を与える。」


 国王が目の前で跪くウェントスにローブを授ける。王が認める騎士のみが得られるローブだ。今後、騎士として正装する際は、それを身に着ける事となる。


 一番不本意そうな反応をしていたウェントスも、国王に認められる事は嬉しいらしい。ルエナにも彼の顔が見えなかったが、背中から笑っているのを感じた。


 始終、ルエナは主役でないのに、度々視線を感じた。


 王は抽象的に述べたが、叙勲の経緯は貴族の知るところだった。ルエナを賊から救い出した功績を認められた事は周知の事実だ。


 それはつまり、王家にとってルエナは重要な人物であると言っているようなもの。ウェントスの騎士号は、身分を示す単純な物では無い。少なくとも、この場にいる貴族達はそう考えた。

ルエナ・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:27.橋渡しの熟練者


アヴィス・ヒエム(25歳)

 メイフォンス侯爵。ルエナの兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:27.橋渡しの熟練者


ウェントス・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:27.橋渡しの熟練者


ソリス・ヴィリディステラ(19歳)

 ヴィリディステラ王国第一王子。

 初登場  :6.壁の美しき花

 前回登場話:25.無敵の砦

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