20.無二の後ろ盾
ルエナは馬車を下りるなり、アヴィスの執務室に連行された。
「無断外出をしたな?」
アヴィスはかなり立腹していた。ルエナには視線の一つも向けてくれない。
「近頃、認識が甘くなっているようだが、外出を許可している訳ではない。王家からの断れぬ招待が続いていただけで、非正式な誘いに応える事を許していない。」
今回、ルエナはソリスと会う約束を個人的に交わした。その事を特にアヴィスに報告せず出かけてしまった。
アヴィスが怒るのも仕方無いかもしれない。籠城の花嫁のブランディングには、露出を控える事が何より大切だから。
「ごめんな──」
「ルエナの外出に加担した者を全て解雇する。」
妹の謝罪を聞こうともせず、アヴィスは惨い判断を下した。
「そんな! あんまりです! 悪いのはわたくしなのです。」
「ああ。ルエナに責任が無いとは言っていない。部屋から出る事を禁ずる。」
アヴィスが執事のウバイを呼び寄せ、ルエナの見張り役に任命した。
ウバイは誰よりもヒエム家当主に忠実だ。ルエナの間違いを一つも見逃しはしないだろう。
「ですが、お兄様、今を逃してはヒエム家の大損失となります。上手くすれば、王太子妃になれるやもしれません。」
「……黙りなさい。」
「わたくしにはヒエム家に良縁をもたらす役目があるはずです。それが漸く果たせる時が来たのです。」
「黙りなさい。」
二度目の抑止で、ルエナは口を噤んだ。アヴィスはルエナの言い分を聞き入れぬつもりだ。
「ルエナお嬢様、お部屋に戻りましょう。」
無礼にもウバイが口を挟んだ。確かに会話が続く空気では無いが、誰も執事に発話の許可を与えていない。
ルエナは注意しようと思った。しかし、アヴィスが何も言おうとしないので、ルエナも押し黙った。
(そこまでウバイに権限があると言うの?)
ウバイは祖父の代からヒエム家に仕えている。長きにわたり、彼は目立たず、使用人の一人に過ぎなかった。それがアヴィスに代替わりした途端、頭角を現した。
執事長となり、常にアヴィスの傍にいる。ウバイが現当主の右腕である事は誰の目から見ても明らかだった。
「お兄様、おやすみなさい。」
ウバイの指示に従うのは癪に障るが、ルエナは仕方なく自室に行く事にした。
ルエナの部屋では、アクイラが今にも泣きそうな顔で待っていた。既に解雇の話は使用人達に通達されているようだ。
すぐにでも抱きしめてあげたい所だったが、それは出来なかった。
共に移動して来たウバイは、部屋の中にまでは入って来なかったが、ドアの向こうで耳を澄ましている事だろう。
ウバイの監視下では、令嬢と侍女の関係にそぐわない行動は許されない。
逆に言えば、抵抗の意思を示す絶好のチャンスとも言える。
ルエナは、アクイラをはじめ、侍女の正面に立った。
「貴女方は、わたくしが直接雇います。服や宝石を売れば、給与を工面する事も出来ます。皆様のお力を借りる必要はございますが。」
胸を張り、全てを受け止める母のように優しく笑う。主人として安心感を与えられるように。
「お嬢様……!」
「どのような理由があろうと、一方的に職を奪って良いはずがありません。」
アクイラが感動して、ついに涙を流した。侍女達に、御者にも心配いらないと伝えるようお願いする。
「ルエン~。」
閉ざされた扉の向こうから、ウェントスの情けない声が聞こえてくる。
「ウェントス坊ちゃん、廊下は走るものではありません。」
「げっ。ウバイがなんでここに?」
「業務の為です。」
部屋の外でウェントスとウバイが話している。
アヴィスの右腕なだけあって、ウバイは礼儀に厳しい。ウェントスをこのまま放置しておけば、厄介な事になりかねない。
ルエナはそっとドアを開け、顔を覗かせた。
「ウェンス……ウェントス、入って。」
癖でニックネームで呼んでしまったが、ウバイに指摘される前に訂正出来た。
「ルエン~。」
ルエナの計らいに気付かず、ウェントスはその場でルエナに抱き着こうとした。ルエナは慌てて兄の腕を引いて部屋に押し込んだ。
「失礼します。」
ウバイに一言挨拶だけ残して、ドアを閉めた。
「騎士団の事バレちゃった~。」
ウェントスは早速ルエナに抱き着いた。アヴィスにこっぴどく叱られたと泣く。
若くして近衛騎士団に所属出来ている事。それ自体は褒められるべき事。事実、嫡弟の多くは騎士や弁護士、医師等の体裁の良い職に就く。
にも拘らず、ウェントスが叱られたのは、兄であり当主であるアヴィスの許可を取らなかったから。通うべきパブリックスクールを抜け出したから。
「それで? 辞めるように言われた?」
「ううん。それは大丈夫。師匠に挨拶させろって。」
「当然ね。」
ウェントスは不服そうに、ルエナの肩にぐりぐりと顔を擦り付けた。
「……それだけ?」
相当叱られたらしいのに、ウェントスに課せられた罰は少ないようだ。ルエナは拍子抜けしてしまった。
「んー。なんでよりによって軍人だって怒ってた。」
ウェントスは怖かったと訴える。ルエナが帰ってくるのを待っていた、と。
(よりによって、ね。お兄様が騎士団を毛嫌いしているイメージは無いし、ウェンスが仕事をするのを止める訳がない。じゃあ、ウェンスの身を案じて?)
アヴィスはウェントスに興味が無いのだと思い込んでいたが、そうでは無かったのかもしれない。これは嬉しい誤算だ。
「ルエン。ルエンってば。」
ウェントスがルエナの体を揺する。考え事をしていて話を聞いていなかった。
「ルエンは大丈夫? ウバイが見張ってるけど。」
「あ、そうだった。わたし謹慎処分受けたの。部屋から出ちゃ駄目だって。」
「また?」
「今までより厳しいかも。」
「何があったの?」
ウバイに聞かれないよう細心の注意を払い、二人は小声で話す。
アヴィスに許可を取らず、ソリスに会っていた事が原因だと説明すると、ウェントスは大層驚いた。ルエナに制限を課すアヴィスの横暴さにではなく、兄に逆らってまでソリスに会おうとするルエナの大胆さに、だ。
「ルエンがアヴィスに従わない事ってあるんだね。いや、そういえば、前もあったね。プクラトディニス公が来た時。」
あの時は吃驚したと、ウェントスは笑う。
確かに、ここ最近の自分は以前と違う。ルエナ自身、ウェントスの感じる変化と同じものを実感している。
『お嬢様はこうして自由にお外に出られる日をずっと待っていらしたではありませんか。』
ふと、アクイラの声が脳内で再生される。
(そう……。わたしは自由になりたかったのね。)
ルエナは自分すら知らなかった本心に気付かされた気がした。
誰かの花嫁になる為、フォンティス城に隠されて生きて来た。そこへ舞い込んだ王太子妃探しの舞踏会の招待状。城を出るチャンスがやって来た。
ルエナはそれを逃すまいと必死だったのだ。王妃に気に入られ、王太子の気を引き、婚約が現実に近づいた。
だのに、アヴィスはそれを阻止するような行動ばかり。漸く巡って来た希望が失われようとすれば、誰だって悲しい。抵抗もする。
「ソリス様にお手紙を書くわ。ウェンス、届けてくれる?」
ウバイの目の届く所では、ソリス宛ての手紙を送れない。中身を確認されるに違いないから。
「そんなに殿下が好きなの?」
ウェントスがぷくっと頬を膨らませる。子供みたいな拗ね方だ。
(もう十九歳なのに。)
ルエナにだけ見せる顔だと分かっていても、双子の兄はいつまでも子供のようだ。けれど、そう思っているのはルエナだけではないかもしれない。ルエナも、傍から見れば子供だろう。
「わたし達はゆっくり大人になっていく。自分で決めなくちゃ。」
ルエナの覚悟に、ウェントスは呼応する。
「心得た。」
ウェントスはいつだって全身全霊でルエナの味方だ。
ルエナ・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:19.城下の比翼
アヴィス・ヒエム(25歳)
メイフォンス侯爵。ルエナの兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:18.君子蘭の絶叫
ウェントス・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:18.君子蘭の絶叫
ウバイ(54歳)
ヒエム家の執事。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:1.籠城の花嫁
アクイラ(22歳)
ヒエム家の侍女。子爵家の出で、行儀見習い中。
初登場 :4.舞踏の授業
前回登場話:19.城下の比翼




