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19.城下の比翼

「ええ? 王太子殿下と城下町デートですか?」


 アクイラが驚く。


「以前、あまり街に出た事が無いと話したのを覚えていてくださったようで、お誘いいただいたのです。」


 ルエナは敢えて「デート」という表現を否定しなかった。ルエナ自身、そのつもりで考えているからだ。


 最近、ルエナが手紙のやり取りを出来る人が一人増えた。ソリス王子だ。フロンス、メル王女に次ぐ三人目の文通相手だ。


 ルエナの肩の痛みが引くまでの間、二人は手紙で交流をしていた。十分に療養し、そろそろ会う事を考えても良いと思い始めた頃、ソリスから王都の街へ出かけようと誘いを受けた。ルエナはすぐに返事をした。


 ルエナの為に予定を立ててくれる事は勿論嬉しい。ただそれ以上に、ソリスに会えるという事が心を弾ませる。


「ですから、街で目立たない恰好になりたいのです。」

「お任せください!」


 アクイラはすぐに他の侍女達を集め、お忍びコーデの準備を始めた。


 化粧は控えめに、髪も過度に飾らず、服は落ち着いたデザインを……。


「んん、隠し切れない高潔さ。流石はルエナお嬢様です。」


 出来る限り地味で、身分が分からぬような見た目を目指したが、珍しいストロベリーブロンドの髪と令嬢らしい立ち振る舞いは隠し切れない。


 かつらの装着を提案されたが、ルエナは断った。


 籠城の花嫁の姿を知る者はほんの一握りしかいない。それが貴族でないならなおさらだ。髪色を隠さずとも、正体に気付く者はいないだろう。


「アクイラはいつもわたくしを褒めてくださいますね。」

「それは当然ですよ。お嬢様が完璧なのは、努力あってのものですから。」


 ルエナが照れて、唇を巻き込んだ。アクイラは過剰な称賛ではないと、強く主張した。


 アクイラは約七年前からルエナの傍にいる。


 当時十二歳のルエナは既に早熟の淑女として、デビュー前でありながら、社交界でその名を轟かせていた。アクイラが礼儀見習いでヒエム家に来たのも、ルエナの評判あってこそだ。


 アクイラは、その名声が一朝一夕で成せる物では無いと理解していた。幼少期からの努力と苦労があったのだと、会えば瞬時に分かった。


 そして、ルエナはそれで満足していなかった。常に向上意識を持ち、研鑽を怠らなかった。


 それを傍でずっと見てきた。アクイラは年下のルエナを心から尊敬している。


「努力が報われる時が来たのだと思うと、わたくしも嬉しゅうございます。」


 漸くルエナの魅力に気づくお方が現れた事に、アクイラは喜びを表す。


「そうしたら、アクイラも自分の幸せを考える番ですね。」

「わたくしはもう十分幸せですよ。」


 アクイラは冗談めかして笑ったが、本気で結婚を考えていないようにも取れた。


 そもそもアクイラは結婚相手を見つける為に、修行として家族に送り出されたのだ。それなのに、「お嬢様の結婚を見届けるまで傍を離れるつもりはございません。」と言い出し、本末転倒も良い所だ。


 アクイラも二十二歳。女性の結婚適齢期から外れそうにある。ルエナが相手を見つけ次第、否、ルエナの結婚を待たず、自身の嫁ぎ先を見つけるべきである。


 ルエナとしては嬉しいような、心配なような複雑な心境だ。


「お嬢様に相応しい男性がいらっしゃらなければ、わたくしが結婚を申し込みましたのに。」


 アクイラは、いざ悲願の待ち人が現れたらと寂しいものだ、と口許を緩めながらルエナを見送った。


 優秀な侍女達が御者と馬車を手配してくれたらしく、支度後すぐに出発出来た。


 二人は王都にあるトリア教の教会前で待ち合わせた。


 このロカ大聖堂は、トリア教が最も力ある時に建てられた教会だ。威厳を示す大建築物でありながら、美術的魅力を兼ね備えている。トリア教が国教でなくなった今も、街のシンボルとして、その存在感を示している。


 ソリスも平民の中に身を隠せるよう、相応しい服装で現れた。


「いつもと雰囲気が違いますね。」

「殿下も。」


 ソリスは、金髪を隠してかつらを被っている。


 この国で金髪は珍しいものではない。とはいえ、王族や貴族のような明るく、純粋な金髪は街中では目立ち過ぎる。


 黒髪のソリスは、いつもより顔の線がしっかりして見える。整った顔立ちがより明らかになった気がする。


 ルエナはアクイラが言いたかった事を完全に理解した。


(殿下の上品さも、麗しさも隠せていないわ。)


 宝石や精巧な刺繍等、飾る物は一つも身に着けていないのに、格別である事が分かってしまう。仕草や自信に満ちた顔が、彼の高貴さを物語っている。


 ソリスのような美形は、何を着ても似合うのかもしれない。


(これで本当にお忍びになるかしら。)


 ルエナの危惧を知ってか知らずか、ソリスがにこりと微笑む。


「お名前で呼んでもよろしいでしょうか?」

「は、はい。」


 突然の申し出に、ルエナは狼狽してしまった。極めて来た感情を殺した笑顔を保てなかった事を悔しく思う。


「ありがとうございます、ルエナ。私の事も名前で気軽に呼んでください。」


 婚約者でもないのに、王太子を名で呼ぶなど恐れ多い。厚意を断るべきかと思われた。


 しかし、ルエナは、度々二人に行き交う人々の視線が注がれている事に気付いていた。「殿下」と呼んではすぐに正体がバレてしまう事を懸念しての提案だと理解した。


「はい、ソリス様。」


 ルエナの返事を聞くと、ソリスが「さあ、行きましょうか。」と手を差し出した。ルエナは迷うことなく、その手を取った。


「仲の良い夫婦だね。」


 パン屋の女将が温かに言う。


 何度目だろうか。ルエナとソリスが揃って店に入る度、道中すれ違う人に挨拶する度、二人を夫婦だと思い、仲の良さを誉めた。


 恋愛結婚が稀の世の中では、白昼堂々と男女で出かける仲は夫婦以外無いと思っても仕方ない。


 家同士の利益の為に婚姻を結ぶのは、何も貴族だけではない。資産や技術を得る為、取引の為、理由は様々だが、当人達の意思は反映されないのが世の常だ。


 貧しい者程、その傾向は顕著だ。金の為に娘を金持ちに送る者もいるとか。人身売買に近い行為だ。


「はい、ありがとうございます。プンパニッケルをください。スライスしていただく事は可能ですか?」


 ソリスが慣れた様子で注文する。女将の「はいよ。」という覇気のある声が店に響く。


 女将がザクザクとパンを切り分ける。作業中の彼女に、ソリスが横から話しかける。


「ピクニックに最適な場所をご存じですか?」

「そうだねえ。川上の丘なんてどうだい?」

「あの宿の近くですか?」

「そうそう。その宿が拡大するってんで、最近木を切ったらしくてね。今じゃ、ちょっとした広場になってるそうじゃないか。ソーセージ屋の若いのが景色が良いって言ってたよ。」


 女将は親切に対応してくれる。ルエナは、彼女の話に問題なく着いていけるだけの土地勘を持つソリスに感心していた。


 店を出るなり、ルエナは感想を伝えた。


「街での買い物もお手の物ですね。」

「初めてではないですから。」


 聞けば、ソリスは時々城を抜け出し、庶民の生活に触れているのだそうだ。息抜きに丁度良いらしい。


 食材を買い揃え、二人は女将がお薦めする丘に向かった。


 街を一望できる程高くは無いが、確かに良い景色だ。王城やロカ大聖堂等、王都を代表する建築物を眺められるのは良い。


 王城からの景色に比べれば見劣りするのだろうが、ルエナはこの展望も趣があって良いと感じた。


 ひとしきり景色を堪能すると、二人は食事を取る事にした。


 それぞれの専門店で購入したパン、バター、チーズ、ローストビーフ、ワインを広げる。


 ソリスが薄くスライスされたパンにチーズを載せ、口に運ぶ。さらに、ワインで喉を潤す。


 ルエナは彼に倣ってパンを食べる。強い酸味が口に広がる。


「まあ、美味しい。」


 ルエナの感想に、ソリスがにこっと笑った。そんなソリスに、ルエナは「あの。」と、躊躇いながら話しかけた。


「はい、何でしょう?」

「毒とは何ですか?」


 突然、ソリスがごほごほと咳き込んだ。


「知らない方が良い事もありますよ。」


 ソリスは呼吸を整えながら、拒絶するような言葉を発した。


 ルエナが悲しい顔をすると、ソリスはすぐに気づいた。慌てて弁明する。


「あ、教えたくないという事では無く……。いずれ知らなくてはならない事柄でもありますから、後日お教えします。ただ、楽しい話ではありませんので、今はそういう事は忘れて、楽しみませんか?」


 ルエナは安堵した。ソリスはルエナを遠ざけない。


 再びパンを口に入れた。ライ麦の香りが口から鼻に抜ける。


「では、私も聞いてもよろしいですか?」


 ルエナはパンを頬張りながら、視線だけソリスに向けた。


「私と結婚するのは嫌ですか? 死んでしまいたい程に。」

「んっ⁉ ……けほけほ。」


 今度はルエナが咳き込む番だ。


「あまりに躊躇せず身を投げられていましたので、私との結婚が嫌なのか、と。」

「あ、ああああれは……!」

「存じています、私が追い込んでしまった事は。意地悪な物言いでした。」

「嫌だなどと断じて思いません!」


 ルエナが必死に否定すると、ソリスは「良かった。」と、心底ほっとしたように朗らかに笑った。


「改めて問います。私と婚約していただけますか?」


 初夏の陽気に包まれて、ソリスが問いかける。


「はい。謹んでお受けいたします。」


 食べかけのパンを片手に、ルエナは答える。


 まさか王太子との婚約の話を、城下町で、庶民に扮している時にする事になろうとは。


 だが、取り繕わないのが二人らしくて良い。ルエナはそう思った。

ルエナ・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:18.君子蘭の絶叫


ソリス・ヴィリディステラ(19歳)

 ヴィリディステラ王国第一王子。

 初登場  :6.壁の美しき花

 前回登場話:18.君子蘭の絶叫


メル・クリス・ヴィリディステラ(16歳)

 ヴィリディステラ王国第一王女。ソリスの妹。

 初登場  :6.壁の美しき花

 前回登場話:11.龍虎の衝突


アクイラ(22歳)

 ヒエム家の侍女。子爵家の出で、行儀見習い中。

 初登場  :4.舞踏の授業

 前回登場話:14.悲劇の前奏曲

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