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18.君子蘭の絶叫

「ルエナー!」


 絶叫にも似た声で名前を呼ばれた直後、落下が止まった。がくんと上下に揺れ、右手首と右肩に痛みを感じた。


 声がした方を見れば、ウェントスが手すりに身を乗り出し、ルエナを捕まえていた。


 ルエナが状況を飲み込めずにいると、今度は「殿下!」とウェントスが焦った顔で呼びかけていた。


 横を見ると、ソリスが今まさにバルコニーから飛び降りようとしていた。彼は手すりに両手足を載せ、制止したウェントスを凝視している。


「衛兵! 衛兵!」


 ソリスはすぐさま状況を理解し、手すりから部屋側に降りながら助けを呼んだ。


 小広間の扉が勢い良く開かれ、ぞろぞろと兵士が入って来た。彼等の力強い手によって、ルエナは無事に引き上げられた。


 部屋の中に戻り、安全が確保されると、ウェントスは放心状態のルエナに抱き着いた。


「い、いたい……。」


 ウェントスが力いっぱい抱き締めるものだから、ルエナは痛みを訴えた。


「医者を呼んでくれ。」


 その傍では、ソリスが兵士に指示を出していた。時折、掴まれて真っ赤になっているルエナの手首を心配そうに見ている。


 ルエナは、徐々に事態を理解した。そして思い出す。国の王太子ともあろう人間が、躊躇いも無く飛び降りようとしていた事を。


「なんて危険な事をなさるのですか!」


 ルエナは床に座り込んだまま、ソリスを叱咤した。


「わたくしの命は、殿下に比べたら塵のようなものです。それを救う為に命を落とされては、国が困ります。殿下の命には代えが利きません。」


 見事に自分の事を棚に上げ、理不尽に叱るルエナに、ソリスは強く怒らなかった。


「貴女が言いますか。」


 弱弱しく言い、無事を確かめるようにルエナの顔に手を伸ばした。


 パシッ。


 ソリスの手はウェントスによって振り払われた。


「無礼を承知で申し上げます。ルエンが投身を図ったのは、貴殿が原因ではございませんか?」


 ウェントスはあからさまな敵意をソリスに向けた。兵士達がウェントスに剣を抜こうとしたが、ソリスはそれをやめさせた。


「それは否定出来ない。」


 ソリスは立ち上がり、先ほどまで座っていた場所に戻った。ルエナとウェントスにも椅子に座るよう促す。


 ウェントスはルエナを支えて椅子に座らせ、自分も隣に座った。


「ルエナ・ヒエム嬢。差し支えなければ、先程の行動の理由をお聞かせください。」


 ソリスに問われ、ルエナは恐る恐る答えた。


「罪を裁かれる前に逃げようと思いました。わたくしがいなければ、兄達が罪人の家族という烙印を押されずに済むと考えたのです。」

「罪? 何の?」


 ウェントスが横から口を挟む。


「スキエンティ公爵令嬢殺害の罪です。」

「はあ? ルエンがそんな事する訳無いだろ?」

「だけど、殿下はそう確信していると……。」


 双子が揃ってソリスを見る。ソリスは予想だにしない話の流れに唖然としていた。


「いやいや、そのような事は決してありません。」


 ソリスは二人の視線で我に返り、全力で否定した。


「と、おっしゃってますが?」


 ウェントスは、ルエナが思い違いから愚行に走った事に気付き始めた。ルエナに引きつった笑顔を向ける。


 ルエナはばつが悪くなり、自分の手に視線を落として、言い訳を絞り出した。


「殿下の執務室でメモを見てしまって……。」

「あれは古いメモです。もう貴女を容疑者とは思っていませんよ。」


 勘違いの元となったメモ書きを、ソリスは既に意味の無い物だったと言う。


「わたくしを疑ってないのですか?」

「はい。これでも、人の上に立つ者として、人を見る目は養ってきたつもりです。」


 証拠も無いのに、ルエナを信用すると言うのだ。ルエナはソリスの全てを理解するのは不可能だろうと思った。


 ソリスが立ち上がり、ルエナ達を見て姿勢を正した。


「ルエナ・ヒエム嬢、ウェントス・ヒエム卿。お二人に謝罪申し上げます。メモを捨てず、残したのは不用意でした。貴女を追い込んだのは、私です。申し訳ございません。」


 王太子ともあろう人が、侯爵家の人間に頭を下げた。


 ルエナは慌ててやめさせようとしたが、ウェントスはそれを許さなかった。彼の謝罪を受け取るべきだと考えているようだ。


 確かに、ルエナの思い込みが原因とはいえ、ソリスは命を失いかねない事態を招いた。身分に甘えて良い状況ではないだろう。


「メイフォンス侯爵にも改めてお詫びに参ります。」

「あ、それはやめておいた方が良いと思います。ではなく、絶対駄目です。兄は関係ありませんので!」


 そんなウェントスも、アヴィスへの事情説明は断固拒否した。


 ソリスは腑に落ちない様子だったが、ウェントスの強い物言いに最終的に従った。


「国家反逆罪はごめんだもん。」


 ウェントスがぼそりと呟いた。


 呼んでいた医者がやって来て、ルエナの治療が始まった。そのタイミングで、ソリスは兵士を連れて退室した。


「ねえ、僕はルエナにも怒ってるからね。」


 ソリスが去ると、ウェントスはムスッとした顔で、ルエナを非難した。


「なんで誰にも相談しなかったの? 飛び降りる前に出来る事他にあったよね? 冤罪を認めるのも意味わかんない。無実を証明しようと思わなかったの?」

「無実の証拠は無いじゃない。」

「例えば、真犯人を探すとかさ。」


 ウェントスが大きく溜息をついた。


「そういえば、どうしてウェンスがここにいたの?」

「話題を逸らそうとしても駄目だよ。」


 ウェントスの圧に負けて、ルエナは「ごめんなさい。」と、項垂れた。


「様子がおかしかったから。」


 ウェントスは王城でルエナを見かけ、妹がただならぬ空気を纏っている事に気付いた。


 後を追い、小広間の隣の部屋で盗み聞きしようと目論んだ。部屋に入ると、バルコニーが繋がっている事が分かり、そこでルエナ達の会話を聞いていたらしい。


 そこへ突然、ルエナが飛び出して来て驚いたと言う。


「ありがとう。おかげで命拾いしたわ。」

「本当に。」


 ウェントスはまだぷんすか怒っている。しばらくこの怒りが収まる事は無いだろう。


 どうせ状況が変わらないなら、ずっと気になっている事を尋ねても良いはずだ。


「ウェンス、その恰好は何?」


 ルエナが尋ねると、ウェントスは目を見開き、ガタッと椅子を倒して立ち上がった。さらに動揺を隠すように、腕を顔の前でクロスさせ、ルエナから距離を取った。


「何でもない。偶々着る機会があって。」

「偶々近衛騎士団の制服を着る事があるの?」


 ウェントスはヴィリディステラ王国の近衛騎士団員の制服を身に纏っている。団員でない者が着用を許されるものではない。


 ルエナの追求から逃れられないと観念したのか、ウェントスは渋い顔をしながら「騎士団に入ったんだ。」と言った。


「いつから? お兄様はご存じなの?」

「入団は三年前から。アヴィスは知らない。」

「三年前……? 学校に通ってたはずよね?」

「学校は一年で辞めた。」


 貴族の子息は十二歳から十八歳の間、パブリックスクールに通うのが通例だ。ウェントスも例に漏れず、入学した。


 だが、すぐに学校をさぼった。その裏では、騎士の師匠に教えを乞うていたらしい。


 その事実を知る者は家にはいない。知人に工作を依頼して学校に通っているふりをし、長期休暇のみ帰省する事で不信感を抱かせないようにした。当時、存命の父をも騙していたと言うのだから驚きだ。


(言われてみれば、気がかりな点は多かったわ。休暇の度に変な傷を作って帰って来たし、学校で習うはずのダンスも苦手そうだった。そういう事だったのね。)


 十六歳の少年が近衛騎士団に入れるのだから、ウェントスの実力は相当なものだろう。彼の才能が活かせる分野が見つかったと喜ぶ事は出来る。


「でも、お兄様は許さないんじゃない?」


 ルエナの指摘に、ウェントスは益々渋い顔をした。


「だから、ね。黙っといてくれよ。」

「良いけれど、きっといつかバレるよ。」

「うんー。」


 ウェントス自身、アヴィスに隠れて師匠の元へ通ったり、騎士団の業務を行ったりするのに限界を感じている。


「怒るよねー。絶対怒るよなー。」


 ウェントスは困ったように頭を掻いた。

ルエナ・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:17.緊迫の小広間


アヴィス・ヒエム(25歳)

 メイフォンス侯爵。ルエナの兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:17.緊迫の小広間


ウェントス・ヒエム(19歳)

 メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。

 初登場  :1.籠城の花嫁

 前回登場話:13.繧繝の見合い


ソリス・ヴィリディステラ(19歳)

 ヴィリディステラ王国第一王子。

 初登場  :6.壁の美しき花

 前回登場話:17.緊迫の小広間

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