12.懐旧の味
かくして、ソリス第一王子の婚約者候補二大巨頭による戦いの火蓋が切られた。
応接室に招待客が集まると、程なくして、晩餐会の会場に案内された。
入場の際には、ヘルバ王妃が考えた組み合わせで男女のペアを組ませた。
ソリス王子のペアにはフィールが選ばれた。
ソリスのエスコートを受けながら、フィールは「ほら御覧なさい。」と目で訴えて来た。
ルエナは意に介さず、ペアのアエス・メタッルのエスコートに従った。
「ルエナ嬢、またお会い出来ましたね。」
アエスは心なしか嬉しそうだ。ルエナと腕を組んで廊下を歩きながら、囁いてきた。
(名前で呼ぶ事を許した覚えは無いのだけれど……。)
爵位等の身分で呼ぶか、フルネームで呼ぶのが礼儀だ。許可も取らずに親し気に名を呼ぶとは、少々引っ掛かる。
そう言えば、舞踏会後に届いた結婚申込の中にアエスの名前もあった。
しかも、手紙を読めば、肖像画を添えている旨が書かれていた。アヴィスがすぐに処分しただろうからルエナは実物を目にしていない。見合い肖像画まで寄こすとは熱心な事だ。
「あの時の約束が守れて良かったです。」
ルエナは、アエスの馴れ馴れしさを気にしないようにして、にこやかに答えた。
晩餐会の会場である広間に入ると、ヘルバが決めた席順で皆席に着いた。
ルエナとフィールはソリスを挟む形で座った。ヘルバも、婚約者の候補には二人を考えているのだろう。
「えぇー? そんな事ございませんよぉ。」
晩餐会が始まるなり、フィールの甘ったるい声と楽し気な笑い声が響いた。ソリスに絵の技術を褒められ、謙遜したようだ。
既に二人の会話は盛り上がっている様子。フィールがソリスの心を掴もうとしているのが窺い知れる。
「ルエナ嬢は楽器を演奏されますか?」
「あ、はい。チェンバロを少々。」
「良いですね。私も学校で触れた事があります。お好きな曲はありますか?」
ソリスが隣に居ても、ルエナに話すチャンスは無かった。
アエスが仕切りに話しかけて来るし、ソリスはフィールの相手で忙しい。ペアを組んでいるのだから当然の構図だが、ルエナは完全に後手に回っている。
この場で唯一信頼の置けそうな人物はフロンスしかいない。だが、彼はヘルバと話していて、ルエナの状況に気付きそうにない。
打開策を講ずる前に、デザートの時間になってしまった。
「どういう事?」
「皆違う?」
困惑した参加者達のひそひそ声が蔓延する。
テーブルに運ばれたデザートの種類は多かった。なんと、招待客のそれぞれに違うデザートが用意されたのだ。
「王子が皆様のお好きな物を用意したい、と。事前にご家族に伺いましたの。」
ヘルバが皆の反応を面白そうに見ながら、この会の趣向を説明した。
晩餐会の招待状に、参加者の好物を尋ねる一文が添えられていたと言う。その親族からの返答を元に、この歓迎のデザートを準備したらしい。
ルエナに提供されたのはスフォリアテッラだ。三角形のパイだ。
これはこの国であまり普及していない食べ物だ。ルエナはモンシーグニ帝国を旅行した時に知った。
ルエナがスフォリアテッラ気に入った事を知っているのは、共に旅行したアヴィスだけ。間違いなくアヴィスが答えた。
頬張ると、パリパリパリと心地良い音を立ててパイが崩れた。中から飛び出したクリームは仄かにフルーツの香りがする。
あの時食べた、あの味だ。
(アヴィスお兄様は覚えていてくださったのね。)
思わず笑みが零れてしまった。ルエナの少女のような微笑みに、周囲の者達から感嘆の声が漏れ出た。
「特にルエナ・ヒエム嬢の好物には苦労しましたよ。」
唐突に、ソリスの口からルエナの名が出て来た。
「恥ずかしながら私はこのスイーツを存じ上げず、レシピの調査から始まりました。さらに驚いた事にラードを使用しているとかで。その調達にも苦戦しました。」
ソリスは苦労話を語って、ルエナに微笑みかけた。
(お兄様、危険な橋を渡りましたね。)
アヴィスが回答した料理はヴィリディステラ王国ではマイナーな物。それはつまり、企画者のソリスの手を煩わせる可能性があるという事。
ソリスは嫌な思いをしなかったようだが、どう転ぶかはアヴィスにも分からなかったはずだ。
「痛み入ります。思い出の味を食す機会を頂けるとは思いもしませんでした。」
ルエナが心からの感謝を伝えていると、視界の端でフィールが唇を噛み締めていた。
ルエナの為なら努力を惜しまないかのような、ソリスの発言を受けた反応だ。
ルエナは気付かなかったが、デザートが出されてからずっと、ソリスはルエナのリアクションばかり気にしていた。
その全てがフィールに不快感を与えたのだろう。
フィールのきつい睨みから逃れるように反対側を見ると、アエスがフォークを手にしたまま固まっていた。
彼のデザートはバウムクーヘン。祝いの場でも出される定番のお菓子だ。
(アエス・メタッル卿はバウムクーヘンが苦手なのでしょうね。)
彼の父は王妃や王太子の印象を考えて無難なお菓子を返答したのかもしれない。息子の嫌いな食べ物を知らなかったのだろうか。
そんな理由を抱えようと、王子が用意してくれた料理を一口も食べないのは無礼だ。
「ルーベス侯爵卿、ルーベス侯爵卿。」
ルエナは小声でアエスに呼びかけた。冷汗をかいた顔がルエナに向けられる。
「こちらなら食べられますか? 良ければ、わたくしのと同じ物が欲しいと言ってみてください。」
スフォリアテッラを指さして言うと、アエスは返事代わりに瞬きした。
「私も彼女と同じ物を頂きたい。」
アエスは後ろを振り向き、壁沿いに控えていた使用人に依頼をした。使用人は理由も聞かず、アエスのデザートを取り換えた。
アエスはスフォリアテッラを美味しそうに食べ始めた。その合間に、「ありがとう」と口の動きだけでルエナに礼を告げた。
一連の様子を見ていた他の客も、スフォリアテッラが気になっていたらしい。
「私もあのデザートを頂けますか?」
「私も是非。」
「わたくしも。」
次々、スフォリアテッラを要求する者が現れた。
パイは零れるし、クリームは垂れる。スフォリアテッラを美しく食べるのは至難の業であるが、皆初めて食べる料理を興味深そうに味わっている。
結局、ルエナはソリスと満足に話す事が出来なかった。
それでも、アヴィスが妹に興味が無いわけではないと分かった事、好きなお菓子を多くの者と共有できた事で、ルエナの心は満たされていた。
ルエナ・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:11.龍虎の衝突
アヴィス・ヒエム(25歳)
メイフォンス侯爵。ルエナの兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:11.龍虎の衝突
フロンス・ナツラ(24歳)
プクラトディニス公爵の長男。アヴィスの乳兄弟。
初登場 :4.舞踏の授業
前回登場話:10.机上の情報戦
ソリス・ヴィリディステラ(19歳)
ヴィリディステラ王国第一王子。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:9.兄人の密議
ヘルバ・ヴィリディステラ(38歳)
ヴィリディステラ王国の王妃。
初登場 :3.王妃の試練
前回登場話:9.兄人の密議
カルチェ・フーパ(享年17歳)
スキエンティ公爵の長女。王太子の元婚約者。
初登場 :2.王家の使者
前回登場話:11.龍虎の衝突
フィール・フーパ(16歳)
スキエンティ公爵令嬢。カルチェの妹。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:11.龍虎の衝突
アエス・メタッル(17歳)
ルーベス侯爵令息。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:10.机上の情報戦




