10.机上の情報戦
泉の伝説が残るフォンス地域に聳え立つ石造りの城、フォンティス城。そこに居を構えるメイフォンス侯爵には妹が一人いる。
ルエナ・ヒエムは、村がよく見える窓辺で新聞を広げていた。
ルエナの双子の兄、ウェントスによりもたらされた新聞には王太子の婚約者について書かれている。
そう、まさにこのルエナが未来の王太子妃に選ばれた、と。
「恙なく進んでいるようね。」
少々誇張表現が入っているようにも思えるが、望んだ内容は記載されている。
信用する侍女に、新聞社への報酬を間違いなく渡すよう指示する。
『情報を持っている者が勝つ。情報を操作出来る者が勝つ。それが社交界だ。』
亡き父、フィグ・ヒエムの教えに則り、ルエナは新聞を使った印象操作を図った。
婚約者を選ぶのは王家だが、国民の上に成り立つ王は世論を無視出来ない。
民衆がルエナに期待していると知らしめる事に意味がある。だから、記事の信憑性は大した問題では無い。
「アクイラ、進展はありましたか?」
ルエナが凛とした声で問いかけると、侍女のアクイラはすっと前に出た。
「先日の舞踏会のお話で持ち切りです。ルエナお嬢様が姿を見せられた事が注目されています。」
アクイラは、社交界でルエナが人気を博しているのが嬉しいようだ。やや興奮気味に答えた。
アクイラは行儀見習いの為にヒエム家で勤めている。その一方で、子爵家の令嬢として、社交界にもよく顔を出している。
そこで聞いた噂話を情報として、ルエナに共有してくれる。時にはルエナに有益な噂を広める役割も果たす。
アクイラはルエナ専属の情報員である。
「ですが、問題が。良くない噂も広まっているようでして。」
アクイラの表情が険しいものになる。自ずと声のトーンも低くなる。
「と言うと?」
「ルエナお嬢様とウェントスお坊ちゃまの関係を憶測する噂が立っています。」
近親相姦の噂が立っているらしい。何と不埒な事か。
「出所は分かりますか?」
ルエナの問いに、アクイラはこくんと頷いた。そして、噂を広めている令嬢達の名前を詠唱した。
挙げられたのは、スキエンティ公爵派の貴族ばかりだ。
ルエナにとって不利益な噂なのだから、当然ルエナを貶めたい者の仕業と考えられる。とはいえ、こうもあっさり犯人に辿り着けるとは。
(スキエンティ公爵、フィール・フーパ嬢も王太子殿下の婚約者を本気で狙っているという事ね。)
そうであれば、対抗手段を打たなければならないだろう。
ルエナの場合、本人が社交界に出て噂を否定するという手が使えない。
(駄目ね。戦う為の情報が足りないわ。)
今は作戦を練る以前の状態、情報収集の段階にある。
「アクイラ、便箋を用意してください。」
ルエナは協力者に手紙を送る事に決めた。尤も、手紙の相手は特段ルエナに協力しているつもりは無いだろうが。
==================
敬愛なるメル様
先夜の王城では、楽しいひと時を共有出来ました事を嬉しく思います。
第一王子殿下と踊られたファーストダンス、とても美しかったです。昨晩も夢に見る程、印象深いものでした。
その次に踊られていたのが、スキエンティ公爵のご息女でしたでしょうか。
以前、彼女とのお茶会について書かれていましたね。どのようなお話をされるのですか?
メル様の親しい方とわたくしに共通点があったら嬉しいです。
==================
ルエナが手紙を送るのは、フロンス以外で唯一手紙のやり取りが許されている文通相手、メル・クリス・ヴィリディステラだ。
ルエナは、幼少期からメル王女の話し相手を務めている。ルエナが城に閉じ籠るようになってからは、手紙で交流を続けている。
今、メルはルエナにとって情報戦の鍵を握る重要人物だ。友を利用するのは忍びないが、背は腹に変えられない。
「スノードロップの香水をかけて、メル王女へ送ってください。」
ルエナは侍女に手紙を託し、部屋の入り口でソワソワしている小間使いに目を向けた。
「報告を聞きましょう。」
小間使いの少年、ファルコがコクコクと頷いた。
ファルコは両手に沢山の手紙を抱えて、ルエナの前にやって来た。それらを全て机の上に広げた。
ルエナは一番近くの手紙を取り上げる。既に封が開けられている。
中身はケミア子爵からの結婚申込であった。
彼は子爵号を持っているが、マーキナーリス伯爵の長男である為、時期が来れば伯爵を継ぐだろう。身分は申し分無い。
「よくやったわ、ファルコ」
ルエナが頭を撫でると、ファルコはぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。犬のように愛らしい子だ。
これらの大量の手紙は、本来ルエナの元に届くべきものだ。
しかし、アヴィスが内容を確認し、不要と判断した。故に、ルエナに読まれる事無く棄てられる所だった。
それをファルコに指示して内緒で持ってこさせたのだ。
結婚申込やパーティーへの招待等が多くを占めるが、兄の目を盗んで勝手に受けようと考えている訳では無い。ここから自身の社交界的地位が読み取ろうとしているのだ。
「忙しくなるわ。」
全てに目を通すのは骨が折れそうだ。
ルエナは侍女に、お供に紅茶を淹れるようお願いする。その声は期待感で弾んでいた。
「楽しそうで何よりです。」
アクイラは目を細めた。
その後間もなく、アヴィスから王妃の晩餐会がある事を知らされた。
ルエナ・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:9.兄人の密議
アヴィス・ヒエム(24歳)
メイフォンス侯爵。ルエナの兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:9.兄人の密議
ウェントス・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:9.兄人の密議
フロンス・ナツラ(24歳)
プクラトディニス公爵の長男。アヴィスの乳兄弟。
初登場 :4.舞踏の授業
前回登場話:9.兄人の密議
メル・クリス・ヴィリディステラ(16歳)
ヴィリディステラ王国第一王女。ソリスの妹。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:8.不承の夜会
フィグ・ヒエム(享年51歳)
前メイフォンス侯爵。ルエナの亡き父。
初登場 :10.机上の情報戦
前回登場話:ー
フィール・フーパ(16歳)
スキエンティ公爵令嬢。カルチェの妹。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:6.壁の美しき花
クライシス・スコラ(27歳)
マーキナーリス伯爵令息。ケミア子爵。
初登場 :10.机上の情報戦
前回登場話:ー
アクイラ(22歳)
ヒエム家の侍女。子爵家の出で、行儀見習い中。
初登場 :4.舞踏の授業
前回登場話:5.天王山の支度
ファルコ(9歳)
ヒエム家の小間使い。身売りされた少年。
初登場 :10.机上の情報戦
前回登場話:ー




