9.兄人の密議
ルエナを王太子の婚約者にしてはならない。これは共通の目標のはずだった。
だから念入りに下準備をした。ソリス王子にも、ヘルバ王妃にもルエナが気に入れられないように。
王太子が新たな婚約者を得る為、舞踏会を開くという王城からの文を受け取り次第、アヴィスはルエナを部屋に幽閉した。と言っても、自室に籠るよう指示を出しただけだ。普段ならそれだけで部屋から一歩も出てこない。
だが、この時はアヴィスの意思に反して、ルエナが王の遣いの前に姿を現してしまった。体調不良による舞踏会の欠席も難しくなった。
続く、お茶会と称した王妃による面接も、ルエナが不利になるよう細工した。
フロンスは王妃の甥という立場を活かし、時事問題を多くするよう進言した。ルエナは、フォンティス城の外の世界を知らないから。
だがしかし、それは現実に逆の結果を生んでしまった。
『小公爵が薦めるだけあるわね。最も良い答えを貰ったわ。皆、自身が仕入れた砂糖を勧めたり、他の飲み物を提案する中、紅茶に果実を入れるだなんて。』
ヘルバはフロンスの前で、さも可笑しいと言うように笑った。
王妃はフロンスがルエナを邪魔しようと考えているなんて思わない。ただ、甥がルエナ・ヒエムを推していると思っている。
そうして迎えた舞踏会当日。
アヴィスはルエナから片時も離れず、門番の役割を果たした。当然、ルエナへの誘いは全て断った。
そういう趣旨があった訳では無いが、ウェントスもまたルエナから男達を遠ざけていた。兄妹という言葉だけでは包括出来ない二人の世界に、誰も入り込めなかった。
唯一人、それらの鉄壁の守りをすり抜けた男がいた。
ヴィリディステラ王国第一王子、ソリス・ヴィリディステラだ。
彼はいとも簡単にルエナを衆目の中に連れ出した。
王命を拒否出来ないとはいえ、アヴィスがルエナの舞踏会参加を許可したのは、碌に踊れないと思ったからだ。妹の恥を晒すつもりは毛頭無いが、仮に踊る事になっても、王太子が婚約者にと考える展開にはならない。
その当ても完全に外れてしまった。ルエナはソリスの挑発的なリードにも難なく対応し、見事に踊り切って見せた。
「こんなはずでは無かった。」
アヴィスから苦し気な声が聞こえる。
舞踏会から四日後、アヴィス、フロンス、ウェントスの三人はフォンティス城の執務室に集まった。この秘密の会議に新たな悩みの種が生まれた。
王城から手紙が届いた。王妃主催の晩餐会への招待だ。今回はルエナだけが対象となっている。
王妃が名指しでルエナを招待しているのだ。王妃のお墨付きをいただいたも同然だ。
「あの伯母上を唸らせるとはな。」
フロンスがしみじみと言う。
ヘルバは気難しい人で、フロンスですら他人を笑って褒める姿を見た事が無かった。あの王妃にルエナが評価されていると考えれば、誇らしい気もする。
「言ってる場合か。王妃に気に入られたら終わりだと言っていたのはお前ではないか。」
アヴィスが苛立ちを顕にする。こうも順調にルエナが王太子妃候補として躍進を続けていれば、焦りも出てくる。
「こんなことになるなら、さっさとフロンと婚約でもさせておけば良かったな。」
「今からでも遅くないぞ。」
二人とも、それが現実的で無いと理解している。
王妃が目を掛けていると明白な状況で、甥がルエナと婚約すれば多方面から批判される。その時はルエナにも被害が及ぶかもしれない。
「デビューさせないと思ってたのに。」
兄達の動向を窺っていたウェントスが、初めて口を開いた。
「王子と同い年だと、先代が触れ回っていた。年齢詐称でデビュタントを遅らせる事も、させない事もできなかった。」
「クソ親父。」
アヴィスはウェントスに、口が悪いとは指摘しなかった。アヴィスも事情を説明しながら、心の中では亡き父に対する怨言を繰り返していたから。
「こうなってしまった以上は仕方無い。次の事を考えよう。」
フロンスが空気を変える為にパアンと手を叩いた。
「この晩餐会に参加出来るのはフロン兄だけだ。」
「期待して貰っている所悪いけれど、伯母上がいる手前、出来る事は少ないよ。ルエンが恥ずかしい思いをするのも嫌だしね。」
フロンスが肩をすくめると、アヴィスが嘲笑うようにフッと息を吐いた。
「その程度の覚悟では何も出来はしない。」
「何も出来ない? ルエンに会いたいからって下らない事で呼び出してるような奴には言われたくないな。」
「敷居を跨がせない事も出来るのだぞ。」「おいおい、その手は卑怯だろう。」などと、軽口のようで本気の言い合いを始めるアヴィスとフロンス。
ウェントスはそれを止めるどころか、火に油を注ぐ。
「そう言うフロン兄だって、ルエンにラブレター送ってたじゃないか。」
舞踏会の日、ルエナがフロンスからの手紙を懸命に読んでいた。その内容も少しウェントスは知っている。
「お前、まさか……⁉」
アヴィスが目を見開き、フロンスを見る。まさかルエナに恋情を抱いていやしないか、と。
フロンスはフォンティス城からの追放を恐れ、顔面蒼白にしながらブンブンと首を振った。
「無い。誓ってそれは無い。」
フロンスがあまりに必死に否定するものだから、それはそれでアヴィスは兄として複雑な気持ちになる。
フロンスはヒエム兄弟の冷たい視線から逃れようと、弁明を続けた。
「俺にとっても可愛い妹なんだよ。俺との婚約は逃げ道との認識で相違無い。婚姻を結ぶ事があっても、妻の務めを求めるつもりは無い。跡継ぎは養子を入れれば良い。」
くだらない喧嘩は良策を生まなかった。なす術なしとの結論に至った。
「せめて王子殿下の心意気を試させて頂くとするか。」
アヴィスは招待状に添えられた依頼文を指でなぞった。
ルエナ・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの妹。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:8.不承の夜会
アヴィス・ヒエム(24歳)
メイフォンス侯爵。ルエナの兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:8.不承の夜会
ウェントス・ヒエム(19歳)
メイフォンス侯アヴィス・ヒエムの弟。ルエナの双子の兄。
初登場 :1.籠城の花嫁
前回登場話:8.不承の夜会
フロンス・ナツラ(24歳)
プクラトディニス公爵の長男。アヴィスの乳兄弟。
初登場 :4.舞踏の授業
前回登場話:8.不承の夜会
ソリス・ヴィリディステラ(19歳)
ヴィリディステラ王国第一王子。
初登場 :6.壁の美しき花
前回登場話:8.不承の夜会
ヘルバ・ヴィリディステラ(38歳)
ヴィリディステラ王国の王妃。
初登場 :3.王妃の試練
前回登場話:8.不承の夜会




