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 領主館に戻り、わたしは目を見開いた。領主館で働く使用人たちの左手の小指に結ばれた運命の赤い紐が、漆黒の紐に変わっていたのだ。



「なにこれ……。どういうこと……」



 その恐ろしい光景に息が詰まるが、この状況はわたしにしか見えない。


 今朝まで彼らの運命の紐は赤かった。それが漆黒に変わった理由、それは、ひとつしかない。


 ウェイン様が予定を変更して、急遽領主館に戻ってきたことだ。


 ヨハン様の運命の紐を確認すると、彼の紐は赤いままだった。


「ヨハン、今日はもういいぞ。早く行ってやれ」

「え? ヨハン様、今からどこか出掛けるんですか?」


 ウェイン様の言葉に、わたしがヨハン様に尋ねると、代わりに答えたのはウェイン様だった。


「ヨハンはデュスカーナ領の出身なんだ。明日は休んで久しぶりに実家に顔を出すように言ったんだ。幼馴染の恋人にも会いたいだろうし」


 ヨハン様は表情を変えることはなかったが、耳が赤くなっていた。可愛らしい一面も持ち合わせていたらしい。


「へぇ、ヨハン様にもそう言った相手がいたのね」


 わたしがそう言うと、ヨハン様は嘲りを込めた目をわたしに向けた。


「お前、その性格を直さないと恋人なんかできないぞ?」

「なによ! わたしにだって求婚者くらいいるわよ!!」

「どこのもの好きな男だよ」


 そこにいるあんたの主人だよ!! と言ってやりたい思いをぐっと抑えつつ、ちらっとウェイン様に視線を向けると、それに気づいたヨハン様が眉間に皺を寄せた。



「お帰りなさいませ、ウェイン様。少しよろしいでしょうか」


 家令に呼ばれたウェイン様がその場を離れると、ヨハン様は真剣な表情でわたしに告げた。


「おい、ウェイン様を想っても無駄だぞ? ウェイン様にはずっと想いを寄せている方がいるんだ」

「え……」

「届かぬ思いだとおっしゃっていたがな。強く優しく知的であり、まるで陽だまりのような女性だそうだ」

「それって……」

「誰かは知らないが、おまえではないことは確実だ」



 ヨハン様の皮肉に反応すらできなかった。わたしはそれが誰を指すのかわかってしまった……。



 ウェイン様は義母であるイゾルデ様を想っているんだわ……!



 その衝撃の事実に、わたしの胸は締めつけられるようだった。



「とにかく、俺は今夜は恋……いや、実家に帰るから留守にする。ウェイン様の護衛は任せたぞ」



 ヨハン様の声にはっとして我に返った。



 そうだわ……! 今は余計な事を考えている場合ではない。この状況を何とかしなければ……!




 そのとき、偶然使用人たちの話が耳に入った。


「メイド長、申し訳ありません。息子が熱を出してしまって」

「ここは大丈夫よ。早く帰ってあげなさいな」


 そう話すメイドの運命の紐は赤いままだった。



 そうか! 運命の赤い紐が赤い彼らは、今夜この領主館にはいない者たちだ。つまり、今夜、領主館で何かが起こるということだ!!



 ウェイン様の命を狙う真犯人は、ウェイン様もろとも使用人たちまで殺す気なのだ……!



 人の命を何だと思っているんだ!! 絶対に許せない!!



 わたしは奥歯をぐっと噛みしめた。





 ***





 夜が更け、領主館の周囲は静寂に包まれていた。月明かりが薄く差し込み、影が長く伸びている。夜空に浮かぶ無数の星々は静かな輝きを放ち、遠くからはフクロウの鳴き声が聞こえる。真夜中の冷たい空気が肌に触れ、わたしの心臓は緊張で高鳴っていた。


 わたしは物陰に身を潜め、耳を澄ませて周囲の音に注意を払っていた。館内は静まり返り、ただならぬ雰囲気が漂っていた。使用人たちも寝静まり、領主館全体が深い眠りについているかのようだった。風が揺らす草の音すらも緊張感を高めた。



 突然、焦げ臭い匂いが鼻につき、領主館の一角から薄い煙が立ち上るのを見つけた。



 放火だ!!


「火事だ! 急いで消火しろ!」


 わたしと共に身を潜めていたウェイン様は、すぐに使用人たちに指示を出し、消火活動に取り掛かった。煙が薄く広がり、視界がわずかに曇る中、わたしは冷静に状況を見極め、放火犯の影を探した。


 すると、黒い影が領主館の裏口から逃げ出すのを目撃した。わたしはその影に気づかれないように後を追った。


 影は素早い動きで、領主館の敷地を抜けて行った。わたしは足音を立てないように慎重に追い続けた。



 影は一軒の宿に入った。わたしは宿の外で息を整え、どうするか考えた。すると、後ろから足音が聞こえ、振り返るとウェイン様が追いついてきた。


「イリーゼ、犯人がここに?」

「はい、この宿に入りました。どうしますか?」


 ウェイン様は少し考えた後、決断した。


「踏み込むぞ」






 わたしは頷いてウェイン様とともに中に入った。突然現れたわたしたちに驚いていた宿の主人に手短に事情を話し、放火犯が潜んでいるだろう部屋に案内してもらった。


 宿の中は薄暗く、静まり返っていた。廊下はひんやりと冷たく、わずかな灯りが揺れる影を作っていた。わたしたちは慎重に進み、その部屋にたどり着いた。足音が響かないように気をつけながらドアの前に立ち、ウェイン様と目を合わせた。


 わたしたちは頷き合い、バンッとドアを開け部屋の中に入った。


 部屋の中には所々が焦げた黒い服を着た男の他に、もうひとりの人物がいた。わたしたちはその姿を見て驚きに息をのんだ。



「イゾルデ様……!?」



 そこにいたのは、ウェイン様の義母であるイゾルデ様だった。


 イゾルデ様がウェイン様の命を狙っていた真犯人……?






「あら、バレちゃったのね」



 イゾルデ様はクスクスと笑いながら、困惑した表情を浮かべつつも楽しげにそう言った。この状況を面白がっている彼女の態度に、わたしは怒りと共に若干の狂気を感じた。



「母上、なぜこんなことを……?」



 ウェイン様は冷静に問いかけたが、その表情には戸惑いと混乱が入り混じっていた。押し寄せる感情の波に飲まれそうになりながらも、何とか冷静さを保とうと努めているようだった。



 イゾルデ様はスッ……と笑みを止め、静かに語り始めた。



「わたしにはね、大好きな婚約者がいたのよ。なのに、貧しい家の犠牲となって突然彼と引き離され、愛してもいないあなたの父親と結婚させられたの」


 イゾルデ様は淡々と続けたが、その表情は次第に虚ろなものへと変わっていった。


「わたしがエリオットを生んだ頃、彼も結婚し、そして娘が生まれたわ。わたしたちは結ばれなかったけれど、お互いの子供を結婚させようと彼に手紙を書いたの。彼の返事はエリオットが公爵位を継ぐなら娘を嫁がせてもいいというものだったわ。だから、エリオットに公爵位を継がせる必要があったの。でも、そうするにはあなたの存在が邪魔でしょう? それなら、あなたに死んでもらうしかないじゃない」


 イゾルデ様の言葉に、わたしは握った拳に力を込めた。ウェイン様に視線を向けると、彼の顔には、イゾルデ様への深い失望と、母の愛を失った痛み、そして、彼女の利己的な言動への怒りが現れていた。


 自分の命が狙われていたその理由が、彼女の偏狭な私欲によるものだと知り、ウェイン様の心は今、耐え難い苦悩で満ちているはずだ。


 ウェイン様はこんな人のことを……。


 わたしはイゾルデ様に近づき、手を振り上げた。パンッという乾いた音が響き、彼女は床に倒れこんだ。


「ふざけないで!! そんな馬鹿げた理由でウェイン様の命を狙っていたなんて、絶対に許せない!! 残念だったわね!! ウェイン様は運命の相手と幸せに生きるんだから!! 次期公爵なら娘を嫁がせるですって!? そんな最低なことを言う男となんて、結婚しなくて正解だったのよ!!」


 わたしは溢れそうになる涙を堪え、彼女に向かって叫んだ。



「母上、あなたの計画はここで終わりです」



 ウェイン様は毅然とした声で言い、彼女を立たせようと手を差し出した。しかし彼女はその手を掴もうとはせず、天井を見上げ、涙を流しながら静かに笑っていた。







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